第11話 シャケと熊


「はぐれ王様鮭キング・シャケ?」


オルロは、ボイルの脇に抱えられたままビチビチと尾びれを揺らし、必死の抵抗を試みる生き物を凝視する。


「シャケ…シャケ…シャケッ!!!シャーケェー!!!!」


「シャケ」を連呼する謎の生き物は恐らく「離せ!離せ!」と言っているのだろう。


目を三角にして、ボイルを睨みつけながら必死に逃れようとしている。


しかし、その一方で、そんな状況にも関わらず、オルロの手に持つマグロジャーキーもしっかりつかんだまま離さない。


「オルロ、とりあえずそのマグロジャーキーを彼にあげたまえ」


オルロはボイルに言われるままマグロジャーキーを持つ手をゆるめる。


すると、「シャケッ!」と一瞬でオルロの手からマグロジャーキーを引ったくり、ガツガツと食らう。


「…」


オルロは鮭の姿をしたこのシュールな生き物が同じ魚類であるマグロを食らう光景をなんとも言えない顔で眺める。


「…君が言いたいことはわかるぞ」


ボイルはオルロに頷きかける。


「なぜこんなところにまだシャケがいるか、と言いたいのだろう?」


「いや、そこではなく…でもそれも気になります」


オルロとしては、なぜシャケがマグロに反応したのかが知りたかったのだが、確かにレースが終わった後、王様鮭キング・シャケがなぜまだこんなところにいるのかも気にはなる。


「良かろう。だが、移動しながらでいいかね?」


「移動?」


「左様。このままここにいるとシャケの匂いを嗅ぎつけ、グリフォンがやってくるからな。今の君にはまだグリフォンは早い」


ボイルはシャケを脇に抱えながら歩き始めた。






「…このシャケは簡単に言うと「迷子」なのだ」


歩きながら突然ボイルは話し始める。



ボイルの話によると、はぐれ王様鮭キング・シャケというのは王様鮭キング・シャケつがい争奪戦―――通称「駆けっこ」の途中でコースアウトしてしまったシャケらしい。


「駆けっこ」は、人生をかけた熾烈しれつなレース故に、ライバルを殴ったり、蹴ったり、コースの途中にある障害物・・・めたり、というあらゆる妨害行為が平然と行われる。


恋のライバルに情けは無用。


女王鮭クイーン・シャケ獲得のためには友人だろうが、同胞だろうが、容赦なく切り捨てる。


当然、仲間を出し抜こうとショートカットを試みるシャケもいるわけだ。


そこで先程の川が二股に分かれる地形のような場所では、先頭集団から遅れたシャケが一発逆転を狙おうと集団とは別のコースを走ることを試みる。


結果、正しいルートを見失い、迷子になる。


「お前、集団から迷子になってたからこんなところをウロウロしていたのか…」


オルロはそのエピソードを聞いてシャケに声をかける。


「シャケェ…」


シャケはオルロの言葉が通じたのかどうかわからないが、悲しそうに鳴いた。


もしかしたらボイルに捕まった事をなげいているのかもしれないが…。



「師匠」


「うむ?」


オルロは先程浮かんだ疑問をこのタイミングで口にする。


「ちなみになんでシャケはマグロを食べるんですか?物凄く執着してるように見えますけど」


ボイルは髭を触りながらニヤリと笑った。


「…簡単だ。マグロに嫉妬しっとしておるのだ。鮭よりもマグロの方が、人気があるからな」


「え?」



そんな理由!?


っていうか、「シャケ」と「さけ」は別物じゃないの?



シャケは同じフォルムの生き物がマグロに劣っていると思われるのが気に食わないらしい。


「それって人間視点じゃないですか」


「案外、そういうことを気にする魔獣や魔物もいる、ということだ」



―――どこまでが冗談で、どこまでが本当かわからないが、ボイルの話では王様鮭キング・シャケはマグロを根絶するために、生まれてすぐに川から海へ下るらしい。


そしてマグロに勝つために圧倒的なスピードを身につけ、海の中を駆け巡る。


全てはマグロを狩るために。


そうしていつしか大人になるころにはマグロが大好物に変わるという。


女王鮭クイーン・シャケはその間どうしているのか?


彼女たちは川の上流で、宿敵マグロを多くほうむることができる健脚の持ち主が自分に求婚してくるのを、女子力を磨いて待っているらしい。


その説明にはツッコミどころは沢山ある。ある、が…


マグロにとんでもない執着を持っているのは、実際にマグロジャーキーを与えたオルロにはわかる。これは単なる大好物では片付けられない程の執着だ。


「どんだけマグロに深い恨みを持っているんだよ」とオルロは心の中で呟いた。






――― アマイア暦1329年紅葉の月10月6日 午後 ―――

     <レイル共和国 ウルグニ山 大空洞>



ウルグニ山の中腹にあった洞窟の中をしばらく歩くと、巨大な寝室ルームのような大空洞だいくうどうを発見した。


「…よし、ここでいいだろう」


ボイルは1人頷く。


中は真っ暗だが、ボイルもオルロと同じく『暗視』のスキルを持っているのだろうか?


―――いや、彼の場合はスキルが無いと言っていたので、単純に目を凝らしているだけなのかもしれない。


「師匠」


オルロは目の前にいる生き物を見て、ボイルに顔を向ける。


…5mはある王冠を被った巨大な熊がこちらを睨んでいた。


頭には王様鮭キング・シャケと同じ王冠がちょこん、と乗っている。


オルロはひと目で本能的にかなりレベルの高い魔獣であるとわかった。


王熊キング・ベアだ。…熊の魔獣が王様鮭キング・シャケを偶然捕まえて喰らったのだろう。時々、この時期、彼らのような魔獣が出る」


「シャケ!シャケシャケシャケシャケッ」


シャケは目の前にいる巨大な熊が天敵だと本能的にわかるのか、悲鳴に近い鳴き声を上げてジタバタと抵抗する。


「グリフォンといい…どんだけ天敵がいるんだよ、お前…」


オルロはシャケのその姿を見て気の毒になってくる。



「…大空洞の主・・・・・よ、すまない。吾輩たちにこの場所を貸してもらえないだろうか?」


ボイルはシャケを抱えたまま、目の前に立ちふさがる王熊キング・ベアと向き合う。


そして、ステッキを床に置くと帽子を取って頭を下げた。


しかし、そんなボイルの様子が目に入らないのか、王熊キング・ベアはボイルの抱えるシャケを見て、ボタボタとよだれを垂らす。


そして、上半身を起こして「ガァァァァァ!!!!」と大きく叫んだ。


―――お土産シャケ持参で領域テリトリーに入ってくれば、当然こうなるだろう。


オルロは苦笑いする。


王熊キング・ベアも、本能的にボイルの強さがわかりそうなものだが、まるで怖気おじけづいた様子はない。


生命喪失の危機に気づかなくなってしまう程、このシャケは美味しいのだろうか?


それともボイルが完璧に強者独特の気配を消しているから気づかないのだろうか?


ボイルに対し、王熊キング・ベアの巨大な腕が振り下ろされる。



「ふむ…ダメか」


ボイルはそう呟き、目の前に巨大な腕が振り下ろされているにも関わらず、まるでそんなものがないかのように帽子を被る。


そして、ステッキを拾って、その腕をひょいとかわした。


「できれば殺生せっしょうしたくないのだが、やはりダメだろうか?」


ボイルはシャケを抱えたまま、王熊キング・ベアの繰り出した腕を身軽にかわしていく。


その度にシャケと熊がそれぞれ声を上げる。


「シャッッッッッケェェェェェェ!?!?!?!?」


「グルガァァァァァァアアアアアア!!!!!!!」


前者は絶望の悲鳴を、後者は怒りの咆哮ほうこうを。


「むう…」


ボイルはそれらの声に顔をしかめる。



「吾輩がシャケを持っている限りダメか…いや、オルロ、マグロジャーキーを」


ボイルが手を伸ばすので、オルロは革袋からマグロジャーキーを数枚取り出した。


そして、王熊キング・ベアの猛攻をかわしながら素早く近づいてきた彼にそれを手渡す。


「シャケシャケシャケシャケ!!!!」


この期に及んで恐怖よりも食い意地が勝つのか、「それは自分のだ!」と言わんばかりにシャケがボイルのマグロジャーキーを食らわんと手を伸ばす。


だが、ボイルはその手を避け、怒り狂う王熊キング・ベアに向かってマグロジャーキーを放る。


「シャァァァァケェェェ!!!!」


シャケは必死で手を伸ばし、王熊キング・ベアへ飛んでいくマグロジャーキーに向かって悲しそうに叫ぶ。


「このシャケはやれないが、これで勘弁してもらえないだろうか?」


ボイルは王熊キング・ベアにシャケの代わりにマグロジャーキーを渡す提案をするが…



「ガァァァァァアアアアア!!!」


王熊キング・ベアはマグロジャーキーには目もくれず、ボイルに―――正確にはシャケに―――向かって突進する。


「ふう…」


ボイルは自分へ向かって突っ込んでくる王熊キング・ベアの背中に飛び乗り反対側へと跳躍する。


そして、「時にオルロ」と唐突に話し始める。


「先程見てわかるようにこのシャケはなかなかすばしっこい。王熊キング・ベアになる前のただの熊の魔獣がなぜこのシャケを捕まえられるかわかるかね?」


「…いえ」


オルロは王熊キング・ベアの攻撃がいつこちらに向かってくるかヒヤヒヤしながら首を振る。


「それは移動のコースが限定されているからだ」


「?」


「熊の魔獣は「駆けっこ」の時期にラフス川に群れで待ち構えている。シャケたちは「駆けっこ」の時期は最短距離を走るため、基本的に真っ直ぐにしか走らないのだ。…つまり、運良く会心の一撃クリティカルを出せば、魔獣でも一匹くらいなら倒せる」


ボイルは「だから…」と片手がふさがっている状態のままステッキで地面をコツン、と叩く。


「シャケは熊が嫌いなのだ」


その瞬間、王熊キング・ベアの身体に斜めの線が走り、目の前で上半身が下半身から滑り落ちていった。




「すまない、大空洞の主よ。吾輩が未熟だった。殺すしかなかった吾輩を許して欲しい」


ズシン…と大きな音を立てて倒れた王熊キング・ベア死骸しがいにボイルは謝罪する。


彼と修行を始めて半月以上になるが相変わらず太刀筋たちすじが全く見えない。


これで全速力でないのだから本当に底が見えない人だ、とオルロは思う。



ボイルは倒そうと思えば、いつでも倒せたにも関わらず、極力、王熊キング・ベアから大空洞を貸してもらう努力をしていた。


虫や植物には容赦がないが、基本的には言葉が通じる可能性があれば、極力平和的解決を望むというスタンスなのだろうか。


オルロは部屋中に松明を設置しながら、「師匠はなにを考えているのかさっぱりわからない」と心の中で首を傾ける。


魔獣や魔物とはどうやってもわかり合えないだろうに。



「…吾輩の元いた世界では、いわゆる「喋る魔獣や魔物」の友人が沢山いたのでね。問答無用で斬りかかるのには抵抗があるのだ。話し合いで解決できるのであればそうしたい」


ボイルはオルロの心の中を読んだかのように笑う。



「…さて、オルロ、場所もできたことだし、そろそろ修行を始めようか」


ボイルはそういうとシャケを放つ。


シャケは解き放たれた瞬間、全速力で王熊キング・ベアの死骸に駆け寄り、「シャケ!シャケ!」と顔をてしてし、と足で踏みつける。


…よっぽど憎いのだろう。


もしかしたらここに来るまでに熊の魔獣と対峙して嫌な目にあったのかもしれない。


そして、こちらを見て、「シャケェ…」と睨むと姿を消した。


「!?」


消えた!?逃げた!?


オルロが消えたシャケの行方を探す。



「…ダメだ」


いつの間にかボイルがシャケを抱えてオルロの前に戻ってくる。


どうやらこの大空洞からの脱走を試みたらしい。


離すと脱出を試み、また捕まる。



「…ダメだ」


「シャケケケケケケケケ!!!!」


シャケが目を三角にし、苛立って抗議の声を上げる。






離す、脱出、捕獲を繰り返すこと数十回。


とうとうシャケが先に折れる。


ぜぇぜぇ…と荒い息を吐きながら地面に座り込んだシャケは恨めしそうにボイルを睨む。


一方のボイルは息一つ乱れず、涼しい顔で「もう終わりかね?」と尋ねた。


「…シャケッ!」


シャケはボイルに顔をそむけ、オルロの方へ手を突き出す。


恐らくそれは「マグロをよこせ」だ。


「師匠…」


「構わない。あげてやりたまえ」


ボイルから許可をもらい、マグロジャーキーを1枚取り出すと、シャケはそれを引ったくって、ムシャムシャと頬張ほおばる。


「吾輩たちの当面の食事はアレだな」


ボイルは王熊キング・ベア死骸しがいを見やり、呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る