第9話 見えているのに見えていない攻撃
――― アマイア暦1329年
<レイル共和国 ラフス川中流 ミズロ湿地>
翌日、オルロはひたすら同じ行為を繰り返していた。
「…」
アシュラバエの前で『ハイド』を使い、姿をくらましたオルロは
このやり方であれば何度でもノーダメージでアシュラバエを倒すことができた。
だが、これはヒトクイグサがすでに反応しているので、ボイルの課題達成にはならない。
オルロはそれを理解した上でヒトクイグサがアシュラバエを捕食する瞬間を何度も観察する。
ボイルもオルロがなにか
ヒトクイグサの潜伏は『ハイド』にかなり近いものがある。しかし、オルロとヒトクイグサの決定的な違いは攻撃の瞬間まで、その気配が完全に
自分が捕食される立場だと気づかないが、客観的に見ると、不思議なことが起こっていた。
反射速度で圧倒的に上回るはずのアシュラバエは、2枚の葉が閉じる寸前まで、自分の身体に迫る危機に気づいた様子がないのだ。
まるでその攻撃が透明であるかのように…。
「…?」
オルロは5匹目のアシュラバエをヒトクイグサに誘い込んでもまだそのタネが理解できなかった。
「ただ攻撃が透明になるだけなら俺の透明の剣でも気づかれない筈だ。そもそも、ヒトクイグサの葉は消えていない。なんでこれに引っかかるんだ?」
2枚の葉が閉じるスピードは確かに速いが、そういう生き物がいるとわかっていれば避けられない程の速度ではない。
だが、そう思うオルロも位置を把握していなければ
「…師匠は速さだけがアシュラバエを捉える方法じゃない、って言ってたよな」
「左様」
「わっ…ちょっと!だから突然出てこないで下さいよ」
ぬっと目の前に現れるボイルにオルロは驚いた後、抗議の声を上げる。
この人はオルロを驚かせて楽しんでいる節がある。
「どうするかね?次の
「ちょっと待ってください…」
オルロはボイルを引き止め、考えを
なにかが閃きそうだ。
「…固定観念に囚われる、っていうのは…もしかしてスキルの使用方法のことか?」
オルロの脳裏にユージンの『エネルギーショット』が思い浮かぶ。
ユージンの発想は自由だった。「魔法陣には法則がある」と魔法陣の内容を読み解き、自分の用途に合わせて作り変えていた。
あれは魔法だからだと思っていたが、もしかしてスキルも同じことが可能ではないだろうか?
ユージンは『エネルギーショット』の魔法陣を
自動追尾の能力を取り払うことで、同じ
あれはまさに昨日のボイルの「ホーラス・ティー」の話と同じだった。
「『エネルギーショット』はこういうもの」という固定観念を取り払うことで、新しい用途を生み出したわけだ。
「俺が…『ハイド』の使い方を工夫するならどう使う…?」
オルロは唇に手を当てて考え込む。その様子をみて、ボイルは目を細める。
「…ヒトクイグサと同じことを『ハイド』で再現するならどうしたらいい?」
オルロはしばらくブツブツと呟き、そして『ハイド』を繰り返し発動する。
やがてオルロはうん、と頷く。
「…師匠、次のヤツをお願いしていいですか?」
「なにか、掴んだようだな」
ボイルはニヤリと笑う。
それに対してオルロは首を
「どうでしょう?試してみないとなんとも言えませんが…」
―― アマイア暦1329年
<レイル共和国 ラフス川中流 ミズロ湿地>
オルロは透明の剣を構え、ミズロ湿地を1人で歩いていた。
数日前とは異なり、湿地の入り口付近でも、相手をボイルに連れてきてもらうわけでもない。
ただ一人で湿地の探索を行っていた。
フゥーーーーーン………
湿地特有の30cmサイズの蚊の群れが人間の匂いに釣られて集まってきたのだ。
それは悪夢のような光景だった。視界を埋め尽くすような真っ黒な巨大な蚊の群れ。
蚊の魔獣の1匹1匹はレベル1~2程度の強さだが、30cmの蚊に群がられ、血を吸われればどんな冒険者でも、ただでは済まない。
蚊の群れはオルロを見つけて血を吸わん、と
「『ハイド』」
オルロは隠密スキルを発動する。
自分の気配を希薄にするというこのスキルは、今までは他の対象に攻撃対象を移す効果しかなかった。
つまり、1人でいる場合には意味をなさず、人間がオルロ1人しかいないこの状況では意味を成さない筈だった。
しかし、オルロが『ハイド』を発動した瞬間、蚊の魔獣たちでできた黒い塊は突然対象を見失ったかのように空中で散開する。
オルロは黒い塊の中をそのまますり抜ける。
蚊は匂いや熱、呼気に含まれる二酸化炭素の3つから人間を探知し、集まってくる。
蚊は人間の汗の匂いに敏感で、湿気を帯びて蒸し暑いこの湿地帯でオルロはしっかりと汗を掻いているし、装備にも汗は染み込んでいる筈だ。
また近づけば熱探知の能力で人間の体温を特定することができる。
極めつけはその二酸化炭素を嗅ぎつける能力だ。一説では50m離れていても人間を見るけることができるという。
他に人間も動物もいない状態で、この血液のハンターたちがオルロを見失うわけがなかった。
従来の『ハイド』であれば、恐らく今頃オルロは血を吸いつくされてミイラになっていただろう。
しかし、オルロは実際にこのハンターたちの探知から逃れていた。
透明の剣が閃き、巨大な蚊たちがバラバラと地面に落ちていく。
「ふむ…」
それを遠くからボイルは眺めて頷く。
オルロはかなり賢い青年だ。
課題を与えたら、がむしゃらに動くのではなく、すぐにこちらの意図を推察し、答えを導き出そうとしていた。
ボイルの今までのヒントを
「ヒントを与えすぎたか?…次はもう少しヒントを与えるタイミングを考えた方が良いかもしれん」
ボイルは口髭を触りながら
答えへの到達が想定よりも
もっと自分で考え、答えを導き出すようにしなければ彼のためにならないかもしれない。
「もっと苦戦すると思ってヒントを与えたのだが…なんと未熟…いや半熟なことか。いやはや…」
弟子が真面目で優秀すぎるのも考えものだな、とボイルは呟く。
「…ッ」
蚊の魔獣の群れを全て倒し終わった後、気づくとオルロの
これも40~50cmある湿地特有の魔獣だ。蛭もまた人間の熱や二酸化炭素を手がかりに寄ってくる特性がある。
対処は蚊の魔獣と大きくは変わらない。
ただし、
激痛に驚いて無理矢理剥がそうとすると、隠していた牙を突き刺し、身体に潜りこもうとする性質もあり、対処を間違えれば大変なことになる。
スライムに似た性質を持つものの、色々な意味でスライムの方が断然可愛い。
昨日、始めて見た時はあまりの不気味さにパニックになった。あの時は師匠が助けてくれたが、今日は昨日よりも少し冷静に対処できている。
どうやらいつの間にか『ハイド』が切れていたらしい。
「『ハイド』」
オルロは気持ち悪さに耐えながら、蛭に攻撃を与えず、再度『ハイド』を発動する。
その瞬間、蛭の魔獣は
オルロは顔をしかめながら蛭の身体に透明の剣を突き刺した。蛭の身体から吸血したオルロの血が流れる。
義足よりも上の生身の部分をやられた。
毒に関しては完全耐性を持っているので問題ないが、気づかない内に思ったよりも血を吸われたらしい。
オルロは薬草を傷口に貼り、包帯を上から巻く。
ポーションをあおり、体力の回復をしつつ、警戒を続ける。
新しい『ハイド』にはまだ慣れない。効果時間も短く、気配を絶つ対象を間違えれば、『ハイド』を使っていないのと何ら変わらない。
実践の中で反復して身体に染み込ませるしかない。
そこに…。
「来た!」
オルロは遠くからこちらに向かって飛んでくる生き物を睨みつける。
アシュラバエが3匹。
蚊の魔獣と蛭の魔獣、そしてヒトクイグサもどこかに潜伏している可能性がある。
「ここからが本番だぞ、オルロ」
耳元でボイルの声だけが聞こえる。
「わかってます」
オルロはボイルに短く返事をし、左手に鋼のナイフを逆手に持ち、右手に透明の剣を
もう向こうはこちらを捕捉しているだろう。
オルロは足に意識を集中させる。
一歩間違えれば良くて大怪我、悪ければ死ぬ綱渡りのスキルコントロールが要求される。
「…行きます」
オルロは
足元のどこかに潜むはずのヒトクイグサは今の所、反応する様子はない。
…ここからだ。
アシュラバエの一匹がオルロに襲いかかる。オルロはそれを鋼の剣を振ることで
『ハイド』を使用しているにも関わらず、向こうはこっちを完全に視認している。…だが、それでいい。
視認しているということは新技が上手く発動しているということだ。
オルロはニヤリと笑う。
地面から
だが…
見える!!
オルロは絶好調の時の弓を引くような感覚を味わっていた。
集中力が極限まで研ぎ澄まされ、周りの状況がいつもよりもクリアに見える。
『ハイド』に意識を向け、効果範囲を足回りだけでなく、匂い、呼吸、体臭へ広げる。
その瞬間、
アシュラバエの2匹が連なってオルロに攻撃を
オルロはバックステップし、前の1匹に鋼のナイフで斬りかかる。それはやはり空を切り、生まれた隙をついてもう1匹がオルロへ取り付こうとする。
「ここだッ!!」
オルロは『ハイド』の効果範囲を透明の剣と足に限定する。
アシュラバエは透明の剣の風圧とオルロの腕の振りを知覚し、十分にかわせる筈だった。
しかし、『ハイド』が攻撃の瞬間の気配を完全に絶つ。
その結果、目の前で剣を振るっているにもかかわらず、アシュラバエはオルロの剣に反応できず、真っ二つに両断される。
「まず一匹…」
オルロは集中を切らさず、周囲を警戒する。
ヒトクイグサはどこにいる…?
オルロは今の動きの範囲の中にヒトクイグサがいないことを確認し、あえていそうな場に移る。
それをアシュラバエたちが追いすがる。
アシュラバエの1匹がオルロを追うのに夢中で足元の草に触れる。
その瞬間、地面から2枚の葉が飛び出し、そのアシュラバエを喰らう。
「よし!かかった」
オルロは確かにヒトクイグサの上を通過していた。
しかし、足に集中させた『ハイド』がヒトクイグサの上に「乗った」という感覚を打ち消したため、オルロに反応することができなかった。
そこを安全と判断したアシュラバエが見事にヒトクイグサの
「最後はお前だ!!」
オルロは義足の
最後に残ったアシュラバエが反応しようとした瞬間、攻撃動作を『ハイド』で隠し、目の前で
「…お見事!」
その様子を見ていたボイルが呟く。
優秀…実に優秀な弟子だ。
最後のアシュラバエが真っ二つになるのを見届けた後、ボイルはオルロの元へと向かった。
「師匠!」
「うむ。見事だった」
オルロはボイルが現れることを予期して声を上げると、やはりボイルはすぐに目の前に現れた。
「課題通り、ヒトクイグサに反応させず、アシュラバエを倒したな」
ボイルは頷く。
「『ハイド』の使用範囲を限定することで、奇襲攻撃精度や相手の
ボイルのアドバイスがなければ『ハイド』のこんな使い方は思いつかなかった。
「君はすでに気づいたと思うが、この『ハイド』を使った奇襲攻撃はヒトクイグサが行っていたことだ」
「やっぱりあれは『ハイド』を応用した攻撃だったんですね」
「食虫植物と同様、食人植物があの2つの葉を閉じるのにはかなりエネルギーを使う。彼らは捕食できずに3回あれを行えば枯れてしまう。故に、彼らの
ボイルは近づいてきた蚊の魔獣を追い払いながらオルロにヒトクイグサの説明をする。
「魔物や魔獣も生き延びるために必死だ。そこから学べるものもある。だが、魔物や魔獣が使える技をそのまま真似てもまだ「半熟」だ。君のその『奇襲攻撃』はもう少し「
ボイルはそういってオルロにウィンクする。
「とはいえ、見事だった。吾輩はまさか君がこんなに早くこの技術を習得するとは思わなかった。…修行は合格だ。次のステップに行くとしよう」
「次のステップ…」
「うむ」とボイルは頷き、そして言い放つ。
「まずはカドマ村に戻るぞ。大量のマグロと食料を買い込む必要がある」
「…? マグロ???」
オルロは首を傾げた。
なぜ新しく手に入れた『奇襲攻撃』の技術を磨くのにマグロが必要なのだろうか?
さっぱりわからない。
「今にわかる」
ボイルはニヤリと笑った。
~オルロはスキルアレンジ『奇襲攻撃』と『ターゲット外し』を習得した!!~
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