第8話 ホーラス・ティー

――― アマイア暦1329年葡萄の月9月22日 午前 ―――

    <レイル共和国 ラフス川中流 ミズロ湿地>



泥濘ぬかるんだ大地、目の前には1匹のアシュラバエ…を掴んでいるボイル。


オルロの修行のためにわざわざ捕らえてきてくれたらしい。


「…さて、昨日は遅くまで色々考えていたようだが、まずはおさらいだ」


ボイルはアシュラバエを放つ。


アシュラバエは真っ先にボイルに襲いかかろうとするが、その時にはすでに目の前にはいない。


「…少し離れたところで見ているから存分に試してみたまえ」


すれ違いざまにオルロにささやいたのか、声だけが耳元で聞こえ、周囲を見渡してもどこにも彼の姿はない。




「…」


昨日、思いついた方法は『ハイド』と先読み。


オルロは透明の剣を抜き放ち、戦闘スキル『ハイド』を発動する。


スキルによって存在が希薄になり、注視しなければ気づかれにくくなる。


アシュラバエは空中でホバリングしながら、6つの複眼でターゲットを探しているのか、小まめに首を傾げる。


オルロに気づいた様子はない。




「ここだッ!!」


オルロは透明の剣でアシュラバエに斬りかかる。


「!?」


アシュラバエはその瞬間、スイッ、と空中で蜻蛉返とんぼがえりし、その攻撃をかわす。


そして、オルロを発見し、飛び込んでくる。


「くそッ」


鋼の盾を突き出し、アシュラバエの攻撃を受ける。




『ハイド』は隠密行動に向いたスキルだが、一度攻撃を受けてしまうと解除される性質がある。


攻撃を直接受けにくい中衛、後衛でなら抜群の効果を発揮するが、前衛ではそのスキルも活かしきれない。


泥濘ぬかるんだ足が攻撃を受けた衝撃でズルッ、と滑る。


体勢を崩したオルロが思わず手をついた瞬間、地面が突然せり上がり、2枚の葉がパクンッ、と閉じる。




ヒトクイグサに呑まれた。


またしても姿勢が低かったために牙を避けることができたが、それはただの偶然に過ぎない。


しかし、流石に2回目なので、オルロも対処法は心得ているが―――


「ッ…!! いただだだだだだだ」


消化液がアシュラバエによって壊された防具の隙間から内部に染み込んでくる。


熱湯に触れたような熱さとビリビリとする痛みが同時に襲ってくる。


「くそ…昨日隙間は埋めたのに、ダメか」


穴の空いた部分には間に合わせだが、裏地から金属片と布をあてがい、補修したが、隙間すきまはどうしようもない。


オルロは痛みをこらえながら『猛毒攻撃』を付与した鋼のナイフをヒトクイグサの葉に突き立てる。


身体の内部に毒を送り込まれたヒトクイグサは身体をよじると2つの葉の内部をふくらませる。


昨日と同じ現象だ。


身体の拘束が緩んだ一瞬の隙をついて、透明の剣を突き刺し、わずかに生まれたスペースの中で剣を振るって2つの葉の上部を斬り飛ばす。




「ふう…」


消化液でベトベトになり、消化液に溶かされて体中から煙を上げながらオルロはなんとかヒトクイグサから脱出する。


まだ近くにいるはずのアシュラバエに警戒しつつ、冒険者バッグから手早くポーションを1本取り出し、頭から被る。


「…これ、何度も引っかかるとハゲるな」


頭皮が痛い…


オルロは顔をしかめながらポーションで濡れた重みで落ちてきた前髪をかき上げる。


羽音がするのでどこかにいるはずだ。


…どこだ?


オルロは周囲を確認する。1mもある大きな生き物だ。


早々見失うわけが…。


「…痛ッ」


いつの間にか背中に張り付き、オルロの肩に噛み付いていた。


ゾワッ…と鳥肌が立つのを感じながら、鋼のナイフを痛みがしたところへ向ける。


ブブブブ…と不快な音を立ててアシュラバエが離れていく。




『ハイド』作戦は失敗。


結局接近戦で、しかも人間がオルロ1人しかいない状況では『ハイド』はあまり役に立たないらしい。


ならば…と「先読み」の作戦に切り替える。


床に落ちていた泥だらけの小石を拾い、水切りの要領で地面に向かって投げ込む。


ヒトクイグサはオルロを丸呑みにする程の大きさがある。


ならば索敵はこれで十分。小石は地面を何度も跳ねて…




バクンッ!!!


オルロから15m程離れたところで、ヒトクイグサが地面から顔を出す。


意外と近いところにもう1体、ひそんでいた。


オルロは顔をしかめながらヒトクイグサの閉じた葉に向けて突進し、斬りつける。


目の前のヒトクイグサを1体ほうむった。


アシュラバエは…


「オルロ」


「うわっ」


目の前に突然、卵の紳士がぬんっ、と現れる。


先程までいなかった空間に急に出現するのは本当に心臓に悪い。


「む…そうか、ちょっと待っていたまえ」


そういうとボイルはアシュラバエを捕らえて、オルロの前に戻ってくる。




アシュラバエは18本の腕をうぞうぞと動かしながら抵抗するが、ボイルが背中の羽を掴んでいるため、なにも出来ない。


オルロはそれを見て顔をしかめながらボイルの言葉を待つ。


「小石でヒトクイグサを見つける…いい発想だ。だが、それでは不合格だ」


「!?」


ボイルはアシュラバエを持ったまま、フワリと移動し、そしてある地点でアシュラバエを放つ。


アシュラバエはボイルに向かって突進する。


ボイルはそれにお構いなしにオルロの方を向いて口を開く。

「吾輩が君に与えた課題をもう一度説明しよう。1つは「ヒトクイグサが反応する前・・・・・に対応すること」だ。もう1つが「アシュラバエを倒すこと」。それらの鍵は君の得意なことを伸ばすことだ」


アシュラバエがボイルに攻撃しようと迫る。


その瞬間、地面からヒトクイグサがせり出し、アシュラバエを呑み込んだ。






――― アマイア暦1329年葡萄の月9月24日 夜 ―――

<レイル共和国 ラフス川中流 ミズロ湿地付近>


「…」


焚き火を眺めながらオルロは考え込む。


あれから丸2日、全く成果が出ていない。


小石作戦は結局、ヒトクイグサが反応してしまっているからダメだと言われると、ヒトクイグサの潜伏しているところを見極め、避ける以外に方法が見当たらない。


『ハイド』を使えばヒトクイグサの上を通っても反応されないことに気づいたが、結局アシュラバエはそれでは攻略できない。




師匠ボイル「得意なことを伸ばすこと」が攻略の鍵と言った。


方向性は『ハイド』と「先読み」作戦で間違っていない筈だ。


この2日は「先読み」作戦で、『ハイド』を使って潜伏しつつ、ヒトクイグサを回避。


さらにアシュラバエの逃げる軌道を予測しつつ、斬りつけるという方法を試し続けている。


だが、アシュラバエが問題で、虚を突いたつもりでもあっさりとかわされてしまう。そして、反撃を食らうと、『ハイド』が解除されるので、近くにいるヒトクイグサに喰われる。


このパターンを繰り返していた。




「…」


なにかヒントがあるはずだ。


この課題は師匠ボイルの明確なメッセージが潜んでいる気がした。


「得意なことを伸ばす、の方向が間違っていないとするなら…なにが足りない?」


『ハイド』を使えばヒトクイグサを回避できる。


アシュラバエの視界もあざくことができる。


『ハイド』は最も正解に近い気がする。


だが、足りないのはアシュラバエの風圧感知を突破する方法だ。


「やはり速さ…?いや、それは俺の得意なことじゃない」


「…煮詰まっているようだな。オルロ」


オルロは突然声がかかり、ビクッと肩を震わせた。


いつの間にか隣にボイルが座っている。


「…師匠。びっくりするから突然現れるの、止めてくれます?」


心拍数の上がった胸を抑えながらオルロはボイルに抗議する。


ボイルは肩をすくめ、ポットからティーセットに紅茶を注ぐ。


そしてオルロの分を手渡す。


「今日のティー・・・はミンドル王国産のものだ」


「…いただきます」


伝説の英雄が自分のために紅茶を用意してくれる。


このシチュエーション自体がとんでもないな、と思いながらオルロは紅茶に口をつける。


「…この間のものよりもなんというか、香りが強いですね。しかも渋い」


オルロは顔をしかめて正直な感想を言う。色味もオレンジや赤、というよりもどちらかというと濃い紫に近い。これは残念ながらお世辞にも美味いとは言えない。


「うむ。ミンドル王国の茶葉はクセがある。このまま飲むのは慣れていないと美味しさを感じることは難しいだろう。だが、これを入れるとどうだろうか?」


ボイルはいつの間にか持っていた小瓶から、茶色い小さい塊を取り出し、自分とオルロのカップに2~3粒入れる。


「これ、なんですか?」


「フレバーの入った氷砂糖だ」


「?」


「ミンドル王国にある調味料の一つだ。まあ変わった形の砂糖だと思ってくれればいい」


焚き火を前に、ティー・スプーンで師弟は紅茶をかき回す。




「さあ飲んでみたまえ」


オルロはボイルに勧められて再び紅茶に口をつける。


「ん…これは好きかもしれません」


クセの強い風味と渋みはこの氷砂糖なるものを入れたことで一気に調和が取れた感じがする。


先程は独特の匂いに感じられた匂いが今ではむしろ爽やかさまで感じる。匂いに重なるように柔らかい甘みが口の中に広がり、渋さもなくなりすっきりとした味わいになっている。


「ホーラス・ティーという。このティーは昔、成人の儀式に使われていた。もっと濃く煮詰めたものだったそうだが、これを飲めることで、ドワーフは大人として認められたという」


「それは…なんというか…」


「うむ。昔は試練に使われる道具だったわけだ」


そのまま飲めばマズいわけだ、とオルロは頷く。


あの時、気を利かせて「美味い」とかお世辞を言わなくて良かった、と胸をなでおろす。


「だが、この氷砂糖の存在がホーラス・ティーを儀式の道具から日常で楽しまれる嗜好品へと変えた」


ボイルは先程入れた茶色い塊の一粒をオルロの手に乗せた。


「食べてみると良い」


言われるままに氷砂糖をかじる。


それはオルロの知っている砂糖よりも柑橘系の酸味と爽やかな匂いのするものだった。


「…レモン、ですか?」


「惜しい、オレンジだ。このオレンジの果汁の風味と酸味がポイントだったのだ」


レモンとオレンジだと随分外してしまった感じがあるが、ボイルはニヤリと笑うだけでオルロのそれを責めることはなかった。


「…」


オルロは紅茶を見つめる。


この紅茶は恐らくボイルからのヒントだ。なにかをオルロに伝えようとしているのだろう。


「…オルロ」


「はい?」


「大変申し訳ないが、このホ―ラス・ティーに深い意味はない」


「ええ…」


その様子を見て、ボイルは吹き出した。


「…君は真面目だな」


「そうですか?」


「そうとも」


ボイルは湯気の立ち昇る紅茶を一口すすり、そしてシルクハットを脱いで、脇に置く。


「真面目は君の美徳だが、それ故に、君は固定観念にとらわれるようだ。もっと柔軟に考えてみたまえ」


「柔軟に…」


「速さだけがアシュラバエを捉える方法ではない。…これ以上は君のためにならんな。ついつい口を出したくなるが、吾輩もまだまだ未熟…故に吾輩は半熟卵のままなのだな」


ボイルは紅茶を飲み終えると立ち上がる。


「…これは、ホーラス・ティーの話だがな。歴史のある成人の儀の道具は、限定的にしか使われていなかったが、この氷砂糖の存在に気づいた時、ドワーフのティー事情を一気に変えた。思ったよりも汎用性があったのだ」


「…」


「…おやすみ。オルロ。明日は答えが見つかるといいな」


ボイルはそういって目の前から姿を消した。




「固定観念にとらわれてる……速さだけがアシュラバエを捉える方法ではない……限定的なものではなく汎用性がある………………?」


一人残されたオルロは直前のボイルの言葉を口の中で何度も繰り返す。


そして、アシュラバエがボイルの目の前でヒトクイグサに喰われた様子を思い出す。


その前夜にオルロが一瞬、頭をよぎった考えだ。


「…ヒトクイグサはなんでアシュラバエを捕まえられるんだ?」


オルロは改めてそう呟いた。

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