第5話 美味しい「ティー」の淹れ方

――― アマイア暦1329年葡萄の月9月18日 午後 ―――

     <レイル共和国 カドマ村付近 ラフス川>



「…やぁ、こっちだ」


川の近くにある巨大な岩に腰掛け、リスや小鳥に囲まれた紳士がオルロに手を振る。


オルロが近づくと途端にリスや小鳥が離れていく。


「…面倒事を押し付けてすまなかったね。君もかけるといい」


ボイルは自分の隣をポンポン、と叩く。


「ここはラフス川がよく見える。いい眺めだぞ」


「…」


オルロは言われるままに岩の上へとよじ登る。


「…!!」


確かに良い景色だった。


広大な川が、陽の光を浴びてキラキラと輝く。透き通った水のおかげで川底にいる魚まで見ることができる。


先程までグリフォンと戦っていたのが嘘のように平和な光景がここにはあった。


「君もティー・・・はいかがかね?」


視線をボイルに向けるとその手には湯気の立ったティーカップとソーサーがあった。

正直、グリフォンとの戦いで疲弊ひへいし、その後村人たちに囲まれて気まずさいっぱいになっていたので、紅茶を飲んでのんびりする気分では全く無かった。


しかし、せっかくの心遣いなので「いただきます」と頷く。




「…時にオルロ、君は美味しいティーの淹れ方を知っているかな?」


ボイルはオルロにニヤリと笑って見せる。


「…いえ」


オルロは首を横に振った。


「それはいかん。紳士たるもの是非知っておくべきだ」


どこからともなくもう2客のティーセットを取り出す。


「ティーの最適な温度は沸騰ふっとう直後だ。覚えておきたまえ。カップに入れると温度が下がるので先に湯を入れて温めて置くのがポイントだ」


そう言いながら手際よくヤカンに入ったお湯をカップに注ぎ、実演してみせる。


「ポットには茶葉を先に入れて、茶葉が広がるように残りの湯を注ぐッ!!!…後から茶葉を入れてしまうと湯に浮いてしまうからな。茶葉の大きさで蒸らす時間も変わってくるが、ここは経験だ。短すぎれば薄いし、長すぎれば雑味が出てしまう」


ボイルは紅茶の淹れ方について饒舌じょうぜつに語る。


しばらくじっと紅茶を見つめた後、「ここだ!」とボイルはカップのお湯を捨て、ポットの紅茶をカップに注いだ。


シュバッ!シュバッ!と音が聞こえてきそうなくらいキレのある動きだ。




「これが至高の一杯。…そしてこれが適当に作った一杯だ。…飲み比べるといい」


いつの間にか用意された2客のティーセットを目の前に置かれる。




オルロは戸惑いながら、まず適当に作った一杯、という紅茶に口をつける。


赤みがかった茶色の紅茶だ。…普通に美味い。これでも全然問題ないと思う。


「至高の一杯の方も飲んでみたまえ」


ボイルに促され、もう片方のソーサーごとカップを持ち上げ、「いただきます」と恐る恐る口へ持っていく。


「…!!」


口をつける前から違いが歴然としていた。


先程よりも色味が濃く、夕日のようなオレンジ色だ。そして香りも先程と比べて段違いに良い。甘く上品な香りが鼻孔びこうをくすぐった。


口をつけると口の中でさらに香りが広がる。


ストレートティーなのにほのかに甘みがあり、コクのある舌触り。


「…美味しい…です」


紅茶の味はあまりわからないが、これは純粋に美味しいと思える。感動を覚える程だ。


ボイルはオルロの横顔を眺めてニヤリと笑う。


「その茶葉はエルフに分けてもらったものだ。エルフの紅茶は濃い色味と上品な渋み、そして鼻孔をくすぐる豊かな甘い香りが特徴だ。このティーに吾輩は目がなくてな」


「エルフの…」


オルロはルッカやジルベルトのことを思い出す。彼女たちもこの紅茶を飲んだことがあるのだろうか。


オルロは彼女たちに想いをせながら紅茶をすする。


ルッカは今頃どうしているだろうか?


オハイ湖で別れてから全く噂を耳にしない。


彼女のメンタルも心配だ。グラシアナや彼女の姉がいる限り、自殺することはないと思うが…。


オルロが、彼女の心のもろさや危うさに気づいてやれていれば、なにか変わっただろうか…?




オルロは再び紅茶を飲み比べる。


改めて飲んでみるとこの2つの紅茶の差は歴然だ。


同じ茶葉なのに淹れ方が違うだけなのに…まるで別物、と誇張無しに感じる。


「同じ素材でも向き合い方一つで全く別の顔を見せる…」


ボイルは紅茶の色味を楽しむように眺め、そしてオルロを向いた。


「…ただ茶葉にお湯を注いでいるだけでは到達できない味もある、ということだ。先程の話に通ずるものがあるだろう?」


「そう…ですね」


オルロはボイルと同様にティーカップの内側を見つめて頷いた。


この人はただ闇雲やみくもに鍛えているのではないのだ。


目標を明確に定め、その目標に到達するために極限まで創意工夫を行う。


無限に思える試行回数を重ねる中で、少しずつ真理に近づいていく。その努力を続けることができる人…故に彼はあれほどの力を手にしているのだろう。


それは決して凡人ではない。


努力と根性の化け物だ。


「…すまんな。若者に説教臭くなるのは年寄りの悪い癖だ。吾輩もまだまだ未熟…。故に半熟」


ボイルは紅茶に口をつけ、そして一息つくと、「…して、話とは何かね?」とオルロの方を向いた。




「…俺、実は1年前から記憶喪失なんです」


オルロはラフス川を見つめてしばらく黙ったあと、やがてボイルに告白する。


「気づいたらネゴルの大通りのど真ん中にいて、なにも覚えていませんでした。前にボイルさんに会った時、一緒にいた連中が最初の仲間で、実は…ボイルさんとあったすぐ後に解散しています」


「…ふむ?」


ボイルは相槌を打って続きを促す。


「仲間の一人が…その魔神教でして。それがわかってバラバラになってしまいました」


「魔神教か…確か、かつて世界を滅ぼしかけた魔神を慕う宗教集団、だったかな?」


ボイルもその名を耳にしたことがあるのか、呟く。


オルロは首を縦に振る。


「実はもしかしたら、なんですが、俺もその魔神教の…しかも幹部かもしれないんです」


「…」


オルロはチラリとボイルを見るが、ボイルはなにも言わずに黙って続きを促す。


「夢で、ですが…。俺は、仮面の集団と一緒にいたり、魔神教のトップの人間と親しげに話していました。一般に知られていない筈の魔神教の教皇の名前も知っていて」


「ただの夢とは思えない、そういうわけだな?」


「はい」


オルロは頷いた。


「俺は怖くなりました。自分の記憶が戻ったら一体どうなってしまうんだろう、と。仲間に刃を向けるようになってしまうのか」


「…君は記憶を取り戻したら仲間に刃を向けると本気でそう思うかね?」


ボイルはオルロに尋ねる。


「ない…と信じていますが…」


「吾輩もそう思うがね」


ボイルは紅茶を飲み干し、ソーサーへ置いて、岩の上に乗せる。


「人間の生き様は様々なところに現れる。表情や仕草、喋り方、歩き方、それに戦い方…。君の戦い方は真っ直ぐだ。真っ直ぐ過ぎるくらいだ。少なくとも吾輩には君は悪人に見えない」


ボイルは達人の観点からか、きっぱりとオルロが悪人には見えないと言い切る。


オルロはそのことを嬉しく思いつつも、うつむく。


「…俺のスキルはなぜか毒や毒耐性、そして隠密能力を上げるものに偏っているんです。まるで暗殺者のような…」


オルロはずっと自分が気にしていたが、誰にも打ち明けていなかった悩みを口にした。


「「狩人」ならば珍しいスキルでもないだろう?」


「そう…ですが…」


ボイルは立ち上がって、紅茶のおかわりを淹れる。


「…ティーのおかわりはどうかね?」


「…いただきます」


オルロがカップを差し出すとボイルはそれにエルフの紅茶を注ぐ。


「…」


「…」




しばらく沈黙の後、ボイルは「オルロ」と声をかける。


「…望む才を持っている者は少数だ。だが、絵描きの才能を持つ者が料理人を目指していけない道理はない」


「…?」


「君の正体が何者で、何の才能があるにせよ、重要なのは君が何になりたいかだ」


ボイルは鞄から小さな小瓶を取り出して、オルロに見えるように自分の紅茶へミルクを注ぐ。


「どんな茶葉だろうが、君がミルクティーを飲みたいならばミルクを注げばいい。…絵描きの才能を持つ料理人ならその才を活かして料理を盛った皿はさぞ華やかだろう。君に暗殺者の才能があるとして、君はその才能をどう活かす?」


「どう活かす………」


そんなこと、考えたこともなかった。


オルロは口の中でボイルの言葉を繰り返す。


「あらゆる才のない吾輩にとっては才があるということはうらましいことだ。確かに、君は暗殺者や魔神教の幹部になることもできるかもしれない。だが、君は君の選択でその道から外れることもできる」


ボイルはニヤリと笑って紅茶を掲げる。


「君はどうなりたい?」


「俺は…」






『あなたは私にとって英雄です』


アンの言葉が心の中に浮かぶ。






アンが自分に「オルロ」という名前をくれた時のことを思い出していた。


オルロは拳を握りしめ、絞り出すように声を出す。


「…俺は、英雄になりたい。「英雄オルロ」のように本物の英雄に…アンがつけてくれたこの名に恥じない英雄に…」


オルロは呟く。そして、ハッ、と眼の前に本物の英雄がいることを思い出し、顔を赤らめる。


「い、いや、なにいってんだ俺は…そんなのあり得ないですよね」


それに対し、ボイルは笑って首を振る。


「はっはっはっ。英雄、いいじゃないか。…だが、君が考える「英雄」とは、そもそもなんだね?」


ボイルは優しい眼差しをオルロに向け、問いかける。


―――「英雄」とはなにか、難しい質問だ。


オルロは淹れてもらった紅茶を飲みながら考える。


「………「守れる人」、でしょうか。目の前で困っている人たちを救えるような…できたらボイルさんのようにできるだけ大勢の人が救えるような人になりたい」


しかし、オルロには歩いて10日かかる距離から一瞬で駆けつけて人を救うことは無理だ。自分にはできる限界が…。


そう思いかけて、オルロは首を振った。


―――限界を自ら設定している自分がいた。


「…違う」


「うん?」


ボイルは眉を上げてオルロを見つめる。


「俺は…ボイルさん、あなたのようになりたい。自分に限界を作らず、どんな壁でも乗り越えられるような英雄に」


「…フッ…はっはっはっ!若い、若いなぁ…オルロ」


ボイルは笑う。


「…だが、嫌いではない。恥ずかしくて半熟卵からゆで卵になりそうだが…」


ククク、とボイルはシルクハットを目深まぶかに被る。


「…しかし、なぜ吾輩にこの話をしてくれたのだ?」


オルロはボイルの疑問に「確かに…」と頭を抱える。


「ボイルさんほどの英雄を捕まえて、俺の相談なんてなにを考えているんだ」と心の中で呟く。


大変失礼なことをしたかもしれない。


時間を取って話を聞いてもらう程のことだっただろうか…。


「…すみません。誰かに話を聞いて欲しかったんです。でも、今までずっと誰にも話せなくて。…さっきボイルさんが去ろうとした時に、直感で…」


ボイルは紅茶を吹き出す。オルロは気まずそうにポリポリと頭をく。


「君の直感で選んだ相手がこの半熟卵だった、というのかね?」


「そうです。…そして、ボイルさん、俺はあなたに話せて良かったと思いました」


オルロは真剣な目でボイルを見つめる。


本当は弟子入りしたい。弟子にしてください、と言いたかった。


しかし、相手があまりにも高名な冒険者であり、恐らく多忙の身だ。


そんな人に恐れ多くて弟子入りなど頼めない。


だからこれが精一杯だった。


話を聞いてもらい、アドバイスを受けた。オルロはそれで十分幸せだと思っていた。




「…君の目標のためには、力が必要だ」


ボイルは口をゆっくり開く。


「吾輩はまだまだ未熟で半熟だ。故に基本的に弟子は取らないつもりだったのだが…。しかし、こんな吾輩を目標にしたいと面と向かって言われてしまうと放っておくわけにもいくまい。…どうだろう?君さえ良ければ、もう少し君に教えたいのだが…」


ボイルは口髭を触りながらオルロをチラリと見た。


「え…」


オルロはパッと顔を輝かせる。


「で、弟子にしてもらえるんですか?」


「む…う、うむ…少しの間、簡単なアドバイス程度で良ければ、だが」


ボイルは頷く。ボイルもまた、オルロとの短い会話で奇妙な縁を感じていた。


なぜかこの若者と別れがたい。


それはかつて、異世界転移して、孤独だった自分や、才がなく、苦しんでいた若かりし自分とオルロを重ねていたのかもしれない。


「是非!お願いします」


オルロは頭を下げた。


そして小さくガッツポーズする。




これが「偽の英雄」赤髪オルロと「半熟卵の英雄」エッグ・ヒーローボイルの師弟関係の始まりだった。

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