五、八坂、過去を語ること

 八宏と男――八坂は、真鶴郡の一色村に双生児として産まれた。

 八つのころまでは、その村で暮らしていた二人だったが、家は貧しく、生活は苦しかった。

 母親は朝から晩まで身を粉にして働き、二人も幼いながらも荷運びをして日銭を稼いでいた。

 しかしどれほど働いても、生活は楽にならなかった。

 その原因は、父にあった。

 父は働いていなかった。朝から晩まで酒を飲み、母を怒鳴り、二人を殴りつけた。

 八坂の火傷も、何かのきっかけで激昂した父が、茶の注がれた湯呑を二人に投げつけたことが原因だった。

 ときには金を出せ、と強引になけなしの金を奪って家を出ていき、ひどく酔って、あるいはすこぶる不機嫌な様子で帰ってきた。おそらく、賭場へでも行っていたのだろう。

 結局、母は病で世を去り、二人は――。

「今思えば、売られたのだと思います」

 ある日、見知らぬ男たちにつれられて船に乗せられた二人は海を越え、珂国の東にある大国・黄羅コウラにつれていかれた。

 そこで二人は人買いのもとから逃げ出し、それ以降、力を合わせて生きてきた。

 日々の糧を得るために、盗みもし、ゆすりたかりをすることもしばしばあった。もし必要だったなら、人殺しもしただろう。

 そんな生活をしていた二人はあるとき、ヒョウという男に拾われた。

 飄は大陸の裏社会で名の通った男で、その名は黄羅ばかりでなく、周辺国でも知られていた。

 飄のもとで二人は徹底的に武術をしこまれた。特に教えこまれたのは、身のうちで練り上げた気を掌から流しこみ、挟んだものを破壊する術だった。

 二人の覚えは、飄すら驚くほど早く、一年がすぎるころには気を練る方法を体得し、三年も経つころには、八宏と八坂は飄の懐刀として名が知られはじめていた。

 しかし、思いかえせばこのころから、八宏は歪みはじめていた。

 飄やその知人から用心棒の仕事を引き受け、いざ戦闘となると、八宏は目を輝かせ、嬉々として戦いに身を投じ、次から次へと気を使って相手を殺していった。

 殺すまでもない相手まで手にかけ、そのたびに八宏はうっすらと暗い微笑みを浮かべた。

 八坂もそのことには気付いていたが、当時は気に留めていなかった。

 しかし飄は、八宏の歪みを見抜いていたのだろう。余計な殺生をするなと、しばしば苦言を呈していた。

 八宏には、それがわずらわしかったらしい。

 あるとき、八宏は八坂へ、珂国へ戻らないかと密かに持ちかけた。

 大陸では、どこへ行っても飄の目が光っている。しかし珂国なら、飄の目は届かない。そのうえ飄は最近、自分たちを疎んでいる。何か起きた日には、きっと自分たちは切り捨てられるだろう。

 飄がこのとき、ひどく神経質になっていることには、八坂も気付いていた。自分たちを近付けようとはせず、仮に会わなければならないときには、必ず人目のある場所を指定する。

 そのうえこのごろ、何か大きな仕事が動きはじめているらしいことも察していた。

「飄に、自分たちは駒ではないのだと思い知らせてやらないか」

 八宏の口車に乗ったのは、飄に疑われているとそれまでに何度か感じていたことと、何より当時の八坂が、八宏を信じていたからだ。

 夜陰に乗じて家を出、港の近くで八坂は八宏を待っていた。

 ほどなく、黒装束で現れた八宏は、八坂をうながして密かに船へ乗りこんだ。

 見つからないかとひやひやしている八坂とは逆に、八宏は不気味なほど落ちついていた。

「大丈夫だよ。僕らは飄の命令を受けていることになっているし、飄は今、それどころじゃないからね」

 そして数日後、堂々と真鶴郡の港におりた八宏は、一色村の実家へ行こうと八坂を誘った。

 八坂にも異論はなく、二人は記憶と照らし合わせながら道を歩いていった。

 実家には、記憶よりも老けた父と、見知らぬ若い女がいた。

「思い知らせてやろう」

 ささやくやいなや、八宏はいきなり板戸を蹴破った。

「な、何だ!」

 父が怒鳴る。

 それを意に介さず、すっと近寄った八宏は、父の頭をぽん、と両手で叩いた。

 あっというまに絶命した父を見おろし、八宏はその側で腰を抜かしている女へあごをしゃくった。

「八坂」

「え?」

「殺して」

 八宏が言い放った言葉に、女が壊れた笛のような悲鳴をあげ、助けて、と手を合わせる。

「うるさいから、殺して」

 女が八坂を見あげ、すがるような目を向ける。

 手をあげたものの、八坂はどうしても女の頭を挟むことができなかった。

 それを見ていた八宏は苦笑し、泣きじゃくる女の頭をぽん、と挟んだ。

 そのときの八宏は、鼻歌でも歌いだしそうな様子であったという。八坂が真っ青になっているのもかまわずに。

「実はね、こっちに来るとき、飄を殺してきたんだよ。足がつかないように、適当な奴が持っていた短剣で刺してね。ついでに僕らの部屋に血も残してきたから、きっと僕らも死んだと思っているよ」

 その後、二人の死体を始末しながら、八宏はおかしそうに八坂にささやいた。

 まるで子供のように目を輝かせている八宏に、八坂は何も言えなかった。

「これからどうしようか?」

 呆然とする八坂に、八宏はそう訊ねた。

「……しばらく、静かに暮らしたい」

「そうか」

 八宏は、拍子抜けするほどあっさりとうなずいた。

「それなら、お前と会うのはこれが最後だね」

 直後に当て身をくわされ、倒れた八坂が正気にかえったときには、八宏の姿は影も形もなく、あたりには夕闇が降りようとしていた。


 それから、八坂は真鶴郡や隣の綾杉郡を転々として日を送っていた。

 追手のことを考え、熊皮を被って顔を隠す熊の膏薬売りや虚無僧の格好をしていたという。

 しかし、いっこうに追手がかかる様子はなく、八坂も少し安心してきたころ、皇領の筒井屋の大番頭が変死したという噂が、彼の耳に届いた。

 話を聞き、八宏のしわざだ、と直感したという。

「目の前が真っ暗になって……止めなければならないと、思いました」

 八宏がひとごろしを楽しむ気持ちを、八坂は今でも理解できない。

 はじめて人に気を流し、中を壊したときの感覚を、八坂は今でも――背筋に走った悪寒とともに――覚えている。

 外側には傷ひとつつかないのに、確かにぐちゃりと何かが潰れるその感覚は、胸が悪くなるほど気持ちの悪いものだった。

 その嫌悪感がどうしても拭えず、八坂はできるかぎり、ひとごろしを避けていた。

 その後、同心が殺されたと聞いて、八坂はいよいよ八宏の凶行を止めなければならないと決意した。

 しかし、それは容易いことではなかった。珂国は大国ではないが、人間一人をらくらく探しだせるほど狭い国でもない。

 探して探して、探し続けて――あの夜ようやく、八坂は荒谷町の空き家に潜んでいた八宏を見つけだした。

 不意に現れた八坂に、さすがの八宏も驚いたらしい。

 もうやめてくれ、と、そのとき八坂は八宏に言ったのだという。

 むやみにひとを殺すのは、もうやめてくれ、と。

 八宏の答えは。

――うるさいな。

 血をわけた片割れを見る目ではなかった。敵を見る目でもなかった。蝿や蚊でも見るような目だった。

 なおも説得を重ねた八坂だったが、八宏は耳を貸さなかった。

 ついに取っ組み合いから短刀での切り合いとなり、八宏が、八坂の頭に何か硬いもので強烈な一撃をくらわせた。

 倒れこそしなかったものの目がくらみ、八坂はよろめいてたたらを踏んだ。

 直後、ぞくりと背筋が凍り、彼はとっさに腕で頭をかばって身を引いた。

 頭を挟もうとしていた八宏の手は、その動作のために狙いを外し、頭ではなく八坂の右腕を破壊することになった。

 これだけのことがあっても、二人はほとんど音を立てず、声もあげていなかった。黄羅では、それがあたりまえだった。

 右腕が使いものにならないと悟り、八坂はためらうことなく腕を切り落とした。使えぬ腕ならぶらさげていても無駄だと思ったからだ。

 八宏はとどめをさすこともせず、そうかといって助けるわけでもなく、少しの間その場に立っていたが、まもなく興味をなくしたように、ふらりとその場から立ち去った。

 全身に走る激痛をこらえ、後を追おうとした八坂だったが、表に出たときには、すでに八宏の姿は見えなかった。

「それからのことは……よく覚えていません。気付いたときにはここにいました」

 話し疲れたらしい八坂が、起こしていた身体を布団に横たえた。

「荒谷町の空き家か……場所の見当はつく、調べるよう伝えておくか。それと、捕り方の手配も頼んでおかないとな」

 胡堂と蘇芳が慌ただしく動き出した。



 その夜、まどろんでいた蘇芳は、異様な声を聞いた気がして目を覚ました。

 あたりを見回し、どうやら八坂のほうからその声が聴こえてくるらしいと気付く。

 暗闇を透かし見ると、八坂は枕に顔を埋め、声を殺してすすり泣いていた。

「どこか、痛むのですか?」

 そっと近付き、声をかける。

「あ、いえ……なぜこんなことになったのかと、考えていたのです。八宏は……兄は、幼いころは本当に優しい兄でした。それなのに……」

「姉の受け売りですが。ひとというものは、どれほどまっとうに生きていても、何かのきっかけがあったなら、たやすく闇に転ぶのだそうです。だからあなたが、御自分を責めることはないかと思います」

「きっと、そうなのでしょうね。あなたには、本当に取り返しのつかないことを――」

「やめてください」

 固い声で、蘇芳が八坂の言葉をさえぎる。

「八宏は今でも憎いです。でも、あなたが北村様を殺したわけではないでしょう。だからあなたがそんなことを言うのは、筋違いです」

「申しわけ、ありません」

 もう寝たほうがいいですよ、と言い残して、蘇芳は自分の寝床に戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る