二、五年前の凶行のこと

 五年前、時節はそろそろ年の瀬にさしかかっていたある日の朝、皇領の柳町で、男の死骸が見つかった。

 この男は、〔小松の太助〕といい、土地ところでは名の知れた無頼だった。

 太助は護摩の灰から人殺しまで、金になることなら何でもやってのけようという筋金入りの無頼で、奉行所でも前々から手配している男であった。

 それから続けて二、三人、やはり無頼者が殺される事件が続いた。奇妙なことに、その誰もが頭を内側から砕かれて――中には手足まで砕かれている者もいた――死んでいた。

 殺された者の中には、侍あがりで刀のあつかいに長けた者もいたのだが、腰の刀に手をかけることもなく絶命していた。この手の男は口より刀を抜く手のほうが早いにもかかわらず、である。

 異様な死に様であることは言うまでもないが、当時の皇領の奉行所は、殺害されたのが全員無頼者であったために、はじめは深く探索しようとしなかった。無頼どうしのもめごととして片付けようとしたのである。

「そのときの皇領の奉行は金井京悟かないきょうご様といって、大きい声じゃ言えないが、まるでやる気のない方でな。治安よりも己の出世のほうが大事だと思っているような方で……死に様がおかしい、といくら意見が出ていても、どうせ無頼どうしの喧嘩、深く調べる意味はない、とろくに取りあげなかったらしい」

 無理もないことです、と百がうなずいた。

「金井様って、あの不動様でしょう? そりゃどんな死に方でも動かれなかったでしょうよ」

「不動様?」

「皇領じゃそう言われていましたよ。あんまり動かない・・・から。あの方がやる気になるより、烏が白くなるほうがまだ現実的ですよ」

 皮肉げな百の言葉に、右京が思わずにやりとした。


 腰が重かった奉行所だが、とうとう本腰をいれて事件ことにあたらなければならなくなった。

 皇領の一向町の薬種問屋〔筒井屋〕の大番頭・清兵衛が死んでいるのが発見されたのである。彼もやはり、頭を内から砕かれていた。

 清兵衛は前夜、主人である四郎の名代で同業者の寄合に出ており、その帰りに襲われたのである。

 この一報がもたらされたとき、奉行所では大騒ぎになった。それまでの事件を洗い直し、加えて筒井屋の者は全員調べられた。

 しかし、主人の四郎も妻のお久も、近所で評判の物堅い人物。奉公人も番頭から手代、丁稚にいたるまで身元の確かな者ばかりで、死んだ清兵衛自身も白鼠。人の恨みを買うような性格でもなく、間違っても無頼どもと関わりがあるとは思われない。

 清兵衛の一件には、他にもそれまでの事件と異なるところがあった。

 目撃者がいたのである。

 それは当夜、清兵衛の供をしていた手代の若い鬼、其董きとうであった。

 寄合からの帰り、草履の鼻緒を切ってしまった其董は、道端で鼻緒をつくろっていた。

 ようやく鼻緒をすげ終わった其董が、先を歩く清兵衛に追いつこうと立ち上がったとき、清兵衛の背後へ黒い影が現れた。

 まるで、地からにじみ出るかのように現れたその影は、黒装束を着こんだ男であったという。

 男が清兵衛の頭を両手で挟み、直後によろめいた清兵衛はその場に倒れ伏した。

 驚いて声をあげ、駆け寄ろうとした其董を、男がじろりと睨んだ。

 月明かりで、其董はしっかりとその顔を見届けた。

「色が青白く、目が細くて鼻が低い、尖った顔で……蛇を人間にしたような男でございました」

 詮議に来た同心に、其董はそう申し立てた。

 ここに至って、ようやく皇領では探索に本腰がいれられるようになったのだが、それを悟ったように、皇領での被害はぴたりとおさまった。

 そして、年があらたまってから、今度は将領で同じ事件ことが起こりはじめた。

 やはり無頼者が次々と、頭を内側から砕かれて死亡することが続いたのである。

 皇領の奉行所から連絡があったこともあり、将領の奉行所では、長谷部平内の指揮のもと、総出で探索を開始した。

 昼夜をわかたぬ探索のすえ、ついに、北村平助という同心が下手人をつきとめた。

 その下手人こそ、八宏であったのだという。

 八宏は〔藤川の源右衛門〕という香具師の元締の配下だった。

 源右衛門は将領、皇領を問わず、各所に繋がりを持っている大元締で、その糸はどこにでも張られていると噂されていた。

 奉行所内でも、うかつなことはできぬとささやかれており、平内もそれには同意していた。しかし見逃すわけにはいかぬと、奉行所では慎重に八宏捕縛のための手配りを勧めていた。

 その矢先――

 藤川の源右衛門が変死を遂げた。

 急に言葉少なになった胡堂の言葉から察するに、源右衛門の死に様は、ひどく恐ろしい、そしておぞましいものであったらしい。

 源右衛門変死の報が奉行所にもたらされたとき、平内はすぐに命を下し、大捕物のすえに、源右衛門の右腕と言われた〔霞の勘助〕ほか、手下のほとんどを捕らえることを得た。

 だが、そのときにはもう、八宏は風をくらって逃げたあとだった。

 捕らえられた源右衛門の手下たちは、誰も彼も厳しい詮議を受けたが、誰も八宏の行き先を知らなかった。

 わかったことと言えば、八宏はもともと源右衛門と昔から付き合いのある元締〔蛇ケ端じゃがはなの安慶〕のもとにいたこと、安慶が八宏を持て余し、源右衛門が手元に引き取ったこと、しかし源右衛門もすぐに八宏を疎みだしたことくらいであった。

「それというのも、あの八宏って奴ぁ不気味な奴だったんで。あいつが両手でこう、ぽんとやると、あっという間に肉も骨も、中身だけがめちゃくちゃになっちまうんだが、あいつ、それが面白いと……気持ちがいいと、こう言ってたんで」

 詮議を受け、勘助はこう申し立てた。

「それで、しまいにゃ勝手に町へ出て、誰彼構わず殺して歩くようになったんでさ。はじめは目をつけられないように、無宿者だとか物乞いやなんかをこっそり殺って、死骸も始末していたようだったが、だんだん死骸を放っておくようになって……ええ、蛇ケ端の元締が八宏を持て余したってのもそれが理由なんで。皇領で大店おおだなの番頭が殺されたでしょう。あれも八宏の仕業で。それがあってうちの元締も、つくづく八宏のことが嫌になったんでさ」

 源右衛門を殺害したのも、

「八宏に違いございません。奴以外にあんな真似ができる奴はいません」

 勘助はそう顔を歪めて答えた。

 源右衛門が殺された理由も、勘助には心当たりがあった。

 八宏は、こともあろうに源右衛門の情婦・お柳に乱暴を働いたというのである。

 それを知り、源右衛門は当然激怒した。

 勘助いわく、八宏が目の前にいたなら、即座に飛びかかってくびり殺しかねないほどの剣幕だったという。

 怒りでわなわなと震えながら、八宏をつれてこい、と源右衛門は手下に命じたのだそうである。

 源右衛門の死体が見つかったのは、その翌日のことだった。

 それからしばらく、八宏の消息は知れなかった。


 半年ほど経ったある日、同心・北村平助が不慮の死を遂げた。

 北村平助は尾上右京の竹馬の友であり、密偵となる前は皇領の生薬屋〔西屋〕に奉公していた蘇芳とは恋仲であったのだという。

 その日、非番だった平助は蘇芳を誘い、皇領の三仁町にある三宮神社に詣でていた。

「そこに、八宏が……」

 うつむいた蘇芳が、震える声を絞りだす。

 蘇芳が少しその場を離れ、戻ってくる途中、彼女は平助の後ろに、黒装束の男が立っているのを見た。

 胸騒ぎを覚えてその男をよくよく見れば――男には異様なほどの“怨”が絡みついていた。

 平助も背後の気配に気付いたらしく、ふりかえろうとした瞬間、男が両手で平助の頭を挟んだ。

 ぶくりと平助の頭がふくらんだかと思うと、鼻や口ばかりでなく、目や耳からまでおびただしい量の血を流し、彼は崩れるようにその場に倒れた。

 平助の頭は、潰れかけの水袋のようであったという。

 悲鳴が響くなか、男はにったりと笑って、ゆうゆうとした足取りで雑踏に紛れて消えていった。

 蘇芳の訴えを聞き、すぐに二つの奉行所は合同で探索にかかったのだが、これ以降、八宏の行方はようとして知れなかった。



「なるほど、仔細は承知しました」

「ちなみに、この話を聞いたことは?」

「筒井屋の番頭さんの話は、言われてみれば覚えがありますけれど、そのころはちょうど、私はここで暮らしはじめたばかりで、何かと忙しかったものですから……。ともかく、私にできることがあれば協力しますよ。今は……あの人の回復を待つのが先でしょうか」

「そうだな。看病を頼めるか?」

「もちろんです」

 百は一も二もなくうなずき、眠る男を見守る。

 外から聞こえる雨音は、いくぶん強まってきたようであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る