四、百、藤乃対決のこと

 襲撃から三日後、百の家へ和馬が訪ねてきた。

 襲撃の後から、百の家には再度の襲撃を警戒した要が泊まりこんでいる。はじめは固辞した百だったが、何かあったときに、その傷ではどうにもなるまいと言われては受け入れるしかなかった。

 当然、やってきた和馬と要とは顔を合わせることになる。

「兄上!」

 すでに百からひと通りの話を聞いていた要は、ややばつが悪そうに和馬を見た。

「お入りくださいな」

 床の上に起きあがっていた百が、笑いをこらえて招じ入れると、ようやく和馬は中へ入ってきた。

「お屋敷の皆様にお変わりはございませんか?」

「特別変わりはありませんが、百殿はどうなさったのです」

「恥ずかしながら、いささか不覚をとりまして」

 襲撃があったことを簡単に話すと、和馬はさっと青くなった。

「それは……よくご無事で」

「要様のおかげでございます。それはともかく、和馬様がいらっしゃったということは、ご隠居様にお会いする段取りがつきましたか」

「はい。来週の末に、祖母は宇羅社うらのやしろに参詣するのですが、その帰りにはいつも〔千茅〕で休むのです。そのときに私が供をして、百殿が面談できるよう、祖母を説得するつもりです」

「ああ、それがいい。あの人も、お前の言うことなら聞くだろう。だが身体の方はどうだ?」

「そうですね、来週ならば、多少動くくらいはできましょう」

「俺も行くぞ」

 横目に要を見、百は小さくうなずいた。こうなると、要はてこでも動かないのは分かっている。

「分かりました。ただご隠居様と面談の折は、二人きりにしてくださいませ」

 要が渋い顔になる。何か反対する言葉を言いかけたらしい彼だが、こればかりは譲らぬと言いたげに唇を引き結んだ百を見て、言葉を呑み込んで肩をすくめた。


 皇領の外、真鶴郡にある〔千茅〕は老舗の料亭で、確かな紹介がなければあがることさえできぬほど、格式高い料理屋である。

 離れの座敷へつながる、磨きぬかれた廊下を、百は滑るように歩いていた。

 一応、和馬からの一筆を懐にいれていた百ではあるが、事前に話が通っていたとみえ、断られることはなかった。

 渡り廊下からは手入れの行き届いた庭がのぞまれる。

 客はこの見事な庭を眺めながら、美味い酒食を楽しむというわけである。

(流石に凝っているな)

 案内された離れ座敷は、座敷と言うよりも離れ家とでも言ったほうがよさそうな佇まいで、そばをどこかから引きこまれたらしい小川がさらさらと、錦鯉の泳ぐ池に流れこんでいる。

 この日の百は、日ごろ無造作にまとめている髪を結いあげ、眼帯を外し、桜を織りだした訪問着をまとっている。

「失礼いたします」

 座敷に入るや、白髪をきれいに結い上げた、鋭い眼の老女がきっと百を睨むように見た。老女――藤乃を見て、百が二、三度まばたいた。藤乃の隣には、和馬がこわばった顔で座っている。

「和馬から、何ぞ話があると聞いたが、始末屋風情が何用あって参ったのじゃ」

 ふ、と百が唇を円弧に曲げ、藤乃の物言いに口を開きかけた和馬を目で制止する。

 二人のやり取りがどうなろうと、和馬は決して口を開かぬことと、百はあらかじめ、和馬に言い含めてあった。

「先日は珍しいものをいただきまして、その御礼かたがたご挨拶にまかり出ました」

「妙なことを。そなたなどに何かを与えた覚えはない」

「お戯れを。このとおり、白刃を頂戴いたしました」

 ぐいとはだけた左肩の包帯は、まだ取れていない。

「ふざけたことを申すでない。用がすんだならば、早う立ち去りなさい」

「いえ、用はこれからでございます。ご隠居様、要様は家督を和馬様に、と申しておいででございます。これ以上、おいえの名に傷をつけるような真似はなさいますな」

「何を言う」

 正面切って、百は藤乃を見据えた。その顔には、感情を示すものはない。赤く紅が引かれた唇から、ただ淡々と、言葉がくりだされる。

「ひとを厭魅えんみすることは、死罪にもなりうる重罪であると、まさかにご存じないはずはありますまい? ことが公になれば、たとえご当主様に関わりはなくともおいえは断絶、ご当主様は腹を切らねばなりませぬ。向後、このように馬鹿げた振る舞いはなさいませぬようにと申し上げているのでございます」

「無礼者! 黙って聞いておれば、下郎の始末屋などが、何を申すか!」

「我ら始末屋は、身分の外にあるもの。ゆえに相手がたとえ天子様でも、こうして言葉を述べられます。ご隠居様、古来より、『人を呪わば穴二つ掘れ』と申します。厭魅をしました祈祷師は、その言葉通り己の墓穴を掘ることとなりました」

 そう聞いて、ぴくりと藤乃の眉が上がった。

「私の目の黒いうちは、決して要様の墓穴など掘らせはしませぬ。よく、覚えておいてくださいませ。そしてご隠居様、ご自分の足元に、墓穴を掘ることがございませんよう、物事はよくお考えなさいませ」

 一瞬、百の身体から殺気がふくれあがる。口調はそれまでと同じ、淡々としたものだったが、氷のように冷え切った声音は、彼女の深い怒りを感じさせた。

 最後に鋭い一瞥を藤乃に投げ、百は座敷を後にした。

「百!」

 出てきた百を見て、要がほっと胸を撫でおろす。

「大事ないか?」

「大丈夫です」

 やわらかに微笑んで、駕籠に乗る。

 百も要も、再度の襲撃に備えていたものの、帰路でも、帰りついてからも何ごとも起こらなかった。


 その翌月、出張から戻ってきた平馬は、留守の間の出来事を聞いて驚愕し、徹底的な調査を行った。

 要への厭魅えんみは百の推察通り、藤乃の仕組んだことであった。

 上六町の祈祷師・おゆいは、前に述べたとおり磯崎家に奉公していた。そのときから彼女は密かに、呪殺までとはいかぬが、ささやかな呪いを行うことがあり、そのことは藤乃も知っていた。知っていたからこそ、要への厭魅えんみを思いついたとも言える。

 おゆいの叔父にあたる惣七が、下男として奉公していたのを幸い、彼を仲立人として、要を呪ったのであった。

 その末路として、おゆいは呪い返しによる惨死をとげることになった。

 呪いの動機は無論に家督のことで、仮に和馬が家督を継いだとしても、妾腹の子である要が生きていれば、いずれ何か家のうちに揉め事が起こるやもしれぬ。そもそも、正室の子よりも先に生まれた妾腹の子が家を継ぐなどあってはならぬと、藤乃は昔から思っていた。

 それゆえ呪いを心得るおゆいの存在は、藤乃にとって、もっけの幸いというわけであった。

 百を襲わせたのも、無論に藤乃の差し金であった。別邸に詰めていた中間に命じて要を見張らせ、彼が始末屋の百を頼ったことを知り、またおゆいの死を知って、百を葬ってしまうよう、その槍の腕を知っていた山本俊介に命じたのだ。

 山本俊介が浪人どもを雇ったのは、おそらく大槻道場の〔三羽烏〕のことを聞いていたのだろう。

 磯崎家にとっては幸いなことに、百から密かにある程度、事情を打ち明けられた胡堂が、こちらも屋敷の外聞をはばかって、すべてを内密に運んでくれたので、ことはどうやら内済ですんだ。とはいえ一通りの事情がはっきりすると、惣七は主人の手討ちにあい、そのほか、別邸の中間たちもそれぞれに処罰をくだされた。

 ただひとり、平馬が罰することができなかったのは、磯崎家の隠居、藤乃であった。藤乃は百との面談からまもなく、病を得て世を去った。病が重くなるにつれて、藤乃はものに怯えたようになり、臨終のころには、死霊が見えるなどと言い、信仰していた宇羅社うらのやしろの守札を握って離さなかったという。

 百のもとには、平馬が直々に礼を述べに現れ、後日、怪我の見舞と始末の礼金に、金貨十五枚を届けてきた。金貨一枚でも、庶民の生活が一年は充分にもつ。見舞金と礼金をあわせてとはいえ、破格といってよい。

「あの人には、本当に何かが見えていたものかな」

「どうでしょうね。見えていたのやもしれませんよ。呪詛というものは、遅かれ早かれ、己に帰ってくるものですから」

 その後、見舞いの品を片手にやってきた要がそう語るのへ、百はあっさりとそう答えた。

 〔千茅〕で面談したときにはすでに、藤乃はその身をほとんど瘴気に包まれていた。もしかしたら、要を呪う以前にも、彼女は何かしらやっていたのかもしれない。そのことは、百は己の胸ひとつに収めて誰にも語らなかった。

 要はといえば、あのひと月が嘘のようにすっかり元の彼へと戻り、道場での稽古も毎日のように通っているらしい。

 ひらりと、どこからか桜花の花弁が、風にのって流れてきた。

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