二、上六町の祈祷師のこと

 西澤淵にほど近い刈谷村に、維水寺という寺がある。

 昨年、この寺から依頼を受けたことがあり、それ以降、住職の康善と百は親交がある。

「私の知りあいの方なのですが、身体を壊されまして、しばらく静かなところで静養したいそうで、半月ほど、お預かりいただけないでしょうか」

 翌日、要を伴って寺を訪ねた百が頼むと、康善は、

「よろしゅうござる」

 すぐに承知し、庫裏の一室を貸してくれることになった。

 ついでにすっかり瘴気の抜けた件の藁人形と形代の処分を頼むと、住職はこちらも二つ返事で承知してくれた。

 要と別れて寺を出、百はどこへ行くべきかと悩んでいた。

 皇領の磯崎家にむかい、箱を届けた下男の惣七に会い、誰から頼まれて要に箱を届けたのか聞き出すのが早道ではある。

 しかし武家である磯崎家への探索は容易なものではない。奉行所の与力、同心ですら、正式な手続きか向こうからの依頼がなければ探索にはかかれない。

 始末屋は身分の外にある。相手の身分を問わずに物を言えるのが始末屋である。かといってやたらに武家屋敷のうちに入りこみ、詮議をするのは得策ではない。

 大槻道場で、要は百の兄弟子、和馬は弟弟子にあたるので、磯崎家の平馬や奈津とは、実のところ百は顔なじみではあるのだが、だからといってそれを盾に勝手な真似はできない。

 ことに要が標的、そして屋敷の人間が関わっているらしいとなれば、正面からの探索は避けるべきである。

 一度家に帰り、覚え書きを調べることに決め、百は自宅へと足を向けた。

 家でしばらく帳面をくってみたが、てがかりになりそうな事柄は見つからない。

 これは皇領まで行って和馬に会い、どうにかして惣七に会う段取りをつけるべきかと、腕を組んで考えていたところへ、表から訪う声がかかった。

「お入りよ」

 声で相手を察し、そう返す。

 入ってきたのは思ったとおり、妹の蘇芳だった。

 幼いころに生き別れ、先の〔辻斬り童子〕事件がきっかけで再会した二人は、それからときどき互いの家を行き来していた。

 いつになく思案顔の妹に、どうやら遊びに来たわけではないらしいと悟る。

「姉さん、ちょっと手を貸してほしいことがあるのだけど……」

 はたして、蘇芳が遠慮がちにそう言い出した。

 今の状況では、あまり歓迎できないことではあったが、悩んでいるらしい妹を無下に扱うこともできかねた。

「さて、貸せるか貸せないかは知らないが、まあ、話だけは聞こうよ」

 うながされ、蘇芳が語るのはこうであった。

 昨日の朝、蘇芳の近所に住む、おゆいという女が死んでいるのが見つかった。

 死体を見つけたのは、およしという通いの小女で、彼女が朝、奥の一間に倒れているおゆいを見つけ、金切り声を上げてひとを呼んだのだった。

 おゆいは胴を両断され、右手を切り落とされ、流れ出た血が畳を赤く染めていた。その顔は憎悪に歪み、見たひとに怖気をふるわせた。

 おゆいの死様を聞いて、百の目がきらりと光る。

 変死はただちに届け出るのが決まりであるので、おゆいの死は早速番所に届け出され、奉行所から役人が駆けつけてきた。

 おゆいは加持祈祷で生計を立てており、それがよく効くという評判で、同じ上六町から、遠くは皇領まで信者がいたらしい。

 そのため小金をだいぶ貯めていたようだが、金だけでなく、他に売り払えそうなものにも手がつけられた様子はなかった。となると物盗りが目的ではなく、おゆいに怨恨のある者の仕業であろうかと思われる。

 そこで隣近所の者は、蘇芳も含めて吟味をうけた。

 しかし誰ひとりとして怪しい者を見ておらず、吟味にあたった同心・田中裕二郎は蘇芳を厳しく叱りつけた。

 近所に住んでいながら一体何を見ていたのか、その目は節穴かと言うのである。

 昨年、病死した兄・徳太郎の後を継いで同心となった裕二郎は、兄の徳太郎がやりてと評判だったためか、気負いがあるらしい。

 それはそれとして、いくら近所でも屋内のことまで分かるものかといきり立つ蘇芳と、上の御用をつとめるからには、わずかなことでも見逃してはならぬのに、見逃したためにこんな事件が出来したのではないかと怒る裕二郎を、まわりがどうやらなだめたのだが、探索の方はいっこうにはかどらない。怨恨だとして、おゆいを殺したいほど憎んでいる者の目星もつかなかった。

 これはもしや、物の怪の仕業ではないかという意見も出始め、それなら始末屋の領分だと、裕二郎が蘇芳に、百を呼んでくるよう命じたらしい。

 百の眉間に深いしわが寄る。

「もし手が空いていたら、ちょっと来てもらいたいんだけど……」

 手は空いていない、と断りたいところだが、おゆいの死に様が気にかかる。

「まあ、行くだけは行ってみようよ」

 姉の冷眼に、思わず蘇芳が身をすくめる。

 蜻蛉玉のついた髪紐で髪をまとめて、百は蘇芳の案内でおゆいの家がある上六町へむかった。

 道々、蘇芳からおゆいのことを聞く。

 おゆいの祈祷は病気平癒、商売繁盛、それに探しものやたずね人といった、よくある類のものだという。

 人柄はどうかとたずねると、商売柄か、近所づきあいはあまりなかったが、それでも祝儀、不祝儀にはすぐに駆けつけて、かいがいしく働くのがおゆいであるので、近所からそう嫌われてはいなかった。

 ふと思いつき、左眼で景色を見る。百の家からずっと、瘴気が細く伸びていた。

 おゆいの家は一軒家で、小さな家のまわりには、生垣がめぐらしてあった。

 二人がついたころ、家の中から鋭い眼の侍が出てきた。

「田中様、こちらが姉でございます」

 じろりと見やった裕二郎を、こちらも氷のような視線で見返し、

「それでは、家の中をあらためさせていただきます」

 留める間もなく、百はすいと裕二郎の横を通り抜け、家の中へと入っていった。

 中は女中部屋らしい四畳半のほか、四畳半と六畳間が二間ばかり。もとは妾宅として建てられたものであろうか。

 入ってすぐに四畳半、その奥に六畳の座敷があり、白木の祭壇がしつらえてある。祭壇の前の畳は海老茶色に変わっていた。

 祭壇には青々としたしきみのほか、妙なものが供えられていた。

 それは何かの燃えさしが入った陶の小鉢で、燃え残りの形からして、形代が燃やされたものだろうと百は見当づけた。

 日ごろ幾人も出入りするだけあって、薄れてはいたが多くの気の残滓が座敷のうちに漂っている。屋内でこれほど気が多く見られることはあまりなく、慣れているとはいえ、少し刺激が強い。

 それでも部屋を見て回っていると、家まで伸びていた瘴気のもとが、供えられた小鉢であると気付いて、百は顔をしかめた。

 異形を差し向けてきたのは、間違いなくここのおゆいだ。そして通常の加持祈祷なら、瘴気など出るわけはない。

厭魅えんみか)

 病気平癒や商売繁盛、失せものやたずね人なら格別、人を呪う厭魅えんみの類の呪術は、珂国では御法度である。

「何か分かったか」

 外から声をかけた裕二郎には答えず、蘇芳を目で招いて、百は祭壇を示した。百を見、祭壇を見て、自分も眼帯を外した蘇芳が眉をひそめる。

「何、あれ?」

「瘴気。よくないモノだし、加持祈祷の祭壇であんなモノが漂ってるのは、普通、ないよ」

「じゃあ――」

「おい、何か分かったかと聞いてるんだ!」

 ずかずかと入ってきた裕二郎の怒声に、百がようやく彼に目をむける。

「さて。まだ、はっきりしたことは言いかねますね」

「始末屋のくせに、あやかしの仕業かどうかも分からんのか」

「始末屋と八卦見を勘違いしておいでではありませんか?」

 ぴしゃりと言葉を叩きつけ、さらに座敷を調べていた百は、祭壇のそばに置かれた手箱に目を留めた。

 手箱にはろうそくや線香が入っている。祭壇に供えるものであろう。

 しかし妙なことには、外から見たよりも、箱が浅いのである。もしやからくりでもありはしないかと、中身をすべて出してしまうと、底に一ヶ所、欠けがあるのに気がついた。

 こころみに爪を引っかけてみると、底はあっさり外れ、薄い帳面があらわれた。

 肩ごしにそれを見て、蘇芳が目を丸くする。

 めくってみると、中には日付と人名らしいものが書かれていた。

――三月十日 冬雲 平助 しづ

――三月十六日 平助 験あり

――三月十七日 しづ 験あり

 このほかに、三月十八日のところには、藤色の短冊を短く切ったらしい紙が貼りつけてあった。

 三月十八日といえば、およそひと月前である。

(藤色、藤……まさか)

「しづ、しづ、ねえ……」

 眉根を寄せた百の横で、蘇芳も何か考えていたが、やがて、あ、と声を立てた。

「何か分かった?」

「いえ、たいしたことじゃないんだけど、そこに書いてあるおしづさん、この近所の人で私も知ってるんだけど、先月、急な病気でなくなったの」

「病気で?」

「そう、急にものを食べなくなって、七日目に血を吐いて……。身体が悪いなんて話は聞いたことなかったんだけど」

「夢見が悪いとか、そんなことは話していなかった?」

「そういえば……ええ、嫌な夢ばかり見るって」

 きらりと百の目が光る。

「おゆいという人、前に武家屋敷にでもいたんじゃない?」

「ええっと……ええ、確か皇領のどこかの屋敷に奉公していたって話は聞いたことがあるけど、どこの屋敷だったかしら」

「いや、それが分かればいい。ああ、そうだ、それと、ここの家に、この十八日ころに、見慣れない人が出入りしたとか、そういう話はなかった?」

「そうねえ……」

 しばらく考えこんでいた蘇芳は、やがて小さく手を打った。

「そうそう、たしかに十八日、見慣れない人がおゆいさんを訪ねてきたわ。おゆいという女が住んでいるのはどこだか聞かれたっけ」

「どんな人だった?」

「五、六十くらいの、背の低い男の人。顔は頬かむりでよくわからなかったけど、たぶんどこかの下男でもしている人じゃないかしら。そんなことめったにないから気になったのよね」

「病だの、武家だの、それがどうしたというのだ。結局ひとの仕業か、物の怪の仕業か!」

「おそらくは呪いのすえに、自ら墓穴を掘ったのでしょう。この帳面と、家の中をよくあらためられましたら、何かと証拠もでてくることでしょうね。厭魅えんみとなればそちらの領分でございましょう。それでは、私はこれで失礼いたします」

 帰り道、昼どきをすぎていたので、百は近くにあった蕎麦屋に入って腹をこしらえた。

 意外なところから手がかりを得たとはいえ、これからどうしようか。

(明日は先生のところに顔を出してみようか。たぶん道場には和馬様もおられることだろうし)

 考えこみながら天ぷら蕎麦を二杯たいらげ、ようやく腹の虫が落ち着いた。

 帰り道、途中でふと思いついた百は、まっすぐに家へ帰るのではなく、維水寺へとその足を向けた。

 朝に別れた百が、昼すぎにまたやってきたので、要は少し緊張した面持ちで彼女をむかえた。

「何かあったのか?」

「いえ、少しお訊ねしたいことがありまして。お屋敷におゆいという娘が奉公しておりませんでしたか?」

「おゆい? ……ああ、確かに奉公していたが、家の都合とかでとっくに暇をとっているぞ。そのおゆいがどうした?」

「なに、少し気になったまでのことですよ」

「そうか」

 不審げに、探るような目を百に向けていた要だったが、結局何も言わなかった。

「気をつけろよ」

「はい」

 石段をおりていく百の後姿を、要は眉を寄せながら見送っていた。

 家にむけて、すたすたと歩いていく百の後ろを、密かにつけていく百姓姿の人影があった。

 寺の近くで人が多いことと、かなりの距離を開けて尾行しているために、百がそれに気づいた様子はない。

 百が西澤淵の自宅へ入るのを遠目に見届けて、その人影はどこかへ去っていった。

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