怨箱

一、百、始末の依頼をうけること

 桜花の咲く、春の日の午後であった。

 十日ほど、風邪をひいて寝こんでいたびゃくは、この日、床をはらってからはじめて外に出た。

 柚羅川の川縁の桜は、今がちょうど見ごろである。

 もう夕近いが、花見を楽しむひとの姿はまだそこここに見られた。この時期だけの露店も出ており、川沿いはちょっとした祭りのようである。

 小腹がすいたのと、病みあがりで少し人疲れがしたのとで、百は近くの茶店で団子を食べ、茶を飲みながら足を休めていた。

 涼風に吹かれ、花弁がひらりと宙を舞う。

「今年は気候も良かったですから、いつもよりよく咲きましたな」

「去年は雨が多くて、すぐに散ってしまったしな」

 茶店の主人・弥助とそんなことを話している百の眼に、こちらへ歩いてくる男が映る。

(どこかで見たような?)

 内心首を傾げているうちに、男が百の前に立つ。

 総髪の、大小二本の刀を落し差しにした、こざっぱりとした着流し姿の浪人である。

「百……」

 低声に名を呼ばれ、いぶかしげに浪人を見返した百は、ややあって、はっと目を見開いた。

かなめ様」

 百が声を上げるや、浪人がふらりと倒れかかった。

 慌てたものの、茶店の奥の一間が空いていたので、百は弥助にことわってそこを借り、浪人を寝かせて介抱にかかった。

 この浪人は、皇領の尾木村に住む者で、名を磯崎要という。

 要は尾木村の隣、観音町に屋敷をかまえる旗本・磯崎平馬の長男である。しかし彼の母は平馬の正妻、奈津ではなく、るいという、屋敷に女中奉公に上がっていた娘だった。二十余年前、るいに平馬が手をつけてしまったのである。

 るいが身ごもったことが知れ、最も怒ったのは平馬の母、藤乃であった。藤乃はいくらかの金を持たせ、るいを家に帰してしまった。

 るいは河北村の百姓・久賀兵右衛門の娘である。百姓とはいえ、久賀家はかなり裕福で生活に不自由はなく、要ものびのびと暮らしていた。

 その後、要は四歳のときに父の屋敷へひきとられた。母のるいが先年病没していたのと、平馬と奈津の間に子ができなかったことが理由である。

 しかし要がひきとられた翌年、奈津が弟の和馬を産んだ。

 それでも平馬も奈津も要を疎んじることはなく、ただひとり、要を疎んでいた藤乃も、このころにはほとんど大恵村の別邸ですごしており、要と顔を合わせることは数えるほどしかなかった。

 そのため要も居心地の悪い思いをすることはなく、しごく平穏に暮らしていた。

 百が要と知りあったのは、百が十、要が十三のときだった。

 このころの百は、前年、故郷の須久奈村を襲った水害で両親と生き別れ、彼女を助けた梶春臣かじはるおみを養父として、皇領の富田村に住んでいた。

 富田村には剣術の道場があり、大槻左内という浪人が、一刀流を教えていた。

 左内は教え方が丁寧で、人柄も温厚であった。しかし道場の名誉や自身の栄達にはとんと興味のない人物でもあった。

 そのため門人は少なかったが、道場の雰囲気は寂しいものではなく、いつも穏やかな、まるで学問でもしているようなふうだった。

 要はこの道場の門人で、百が入門してから、人々を脅かすモノを退治する始末屋として独り立ちするまで、兄弟子として何かと面倒をみてくれた。

 数年前、要は師の左内から免許を許され、道場の高弟の一人として、他の門人に稽古をつけるようになっていた。

 百の知る要は、幼いころからの剣術修行で鍛えぬかれた体躯を持つ、生気にあふれた若者だった。だが今の要は、百も見違えるほどやつれていた。

 病んでいるのかと思ったが、それならなぜわざわざ、彼がここまで来たのだろうか、遣いを出して呼べばよかろうに。

 いささか胸がさわいで、百は左眼にあてている革の眼帯を外した。

 要をひと目見て、百の顔がひきつる。どす黒い瘴気が、彼の身体にまとわりついていた。

 瘴気のもとはどこかと見回せば、要が携えていた風呂敷包みがもとであるらしい。形から、箱様のものが包んであるのだろうと察しはつけたが、中身までは見当のつけようがない。

 要が正気づいたのは、それから小半刻(約三十分)ほど後のことだった。

「要様、私がわかりますか?」

 布団の上に半身を起こし、青白い顔で要がうなずく。

「何か、私に御用でしたか?」

 要が再びうなずき、風呂敷包みに目をやる。

「あれのことですか?」

 包みを指して、小声で訊ねる。

 うなずいたものの、言い出しかねている要を見、

「子細は、私の家でうかがいましょう」

 百がそう言うと、要はほっとした顔をみせた。

 自分の病みあがりを口実に、帰りには駕籠をつかった。西澤淵は、傾きかけた日の中で、昼日中に見るよりうら寂しく見える。

「結構な住まいでしょう。人の目もありませんし」

 冗談めかして笑った百に、要はかたい、作った笑みを返した。

 要をうちに招じ入れ、茶を入れて差し向かいに座る。

 熱い茶を飲み、要はふっと息を吐いた。ようやく少し人心地がついた様子である。

「話がある」

 かたちをあらため、きりだした要に、百も湯呑を置いて居住まいを正した。

「うかがいましょう」

「……笑わないか?」

「笑いませんとも」

 それでも要はまだためらっていた。一度、唾を飲み、覚悟を決めたように口を開く。

「俺は早晩、屋敷の誰かに呪い殺される」

 百がぴくりと眉をあげる。すいと細められた右眼が要を見る。

 その顔に、あざけりは欠片もない。要がちらりと風呂敷包みに目をやった。

「あの包み、中を見たか?」

「いいえ」

「中には箱が入っている。それを預かってから、妙なことが続いてこのざまだ」

「箱、ですか。中は、見られましたか?」

「いや」

 要にことわって、風呂敷を解く。包まれていたのは意外にも、寄木細工の手箱だった。手箱はからくり仕掛けになっており、開け方を知らなければ開けないしろものである。

 きれいな箱ではあるが、瘴気が溢れ出しているために、禍々しいとしか思えない。

 箱を開けるのはあとに回して、百は手ごろな大きさの箱を探しだし、塩をつめるとそこへ箱を埋めこんだ。

 塩には浄めの効果がある。一日埋めておけば、瘴気もほとんど消えることだろう。

 気づけば外は小暗く、白い月がはっきりと見えるころあいである。

「今日は泊まっていってください。これから皇領まで帰るのでは、遅くなるでしょう」

「かまわないのか?」

「かまいませんよ」

 即答した百に、要はつかのま呆気にとられた様子だった。

 台所へおりた百は、卵を割り落とした粥と、濃いめにいれた茶に塩をひとつまみふったのを添えて出した。

 このところ食が進まなかったという要だが、それでも粥を半分ほど口にした。

 夕餉のあと、湯をつかった要は、百が居間に敷きのべた布団に倒れるように横になると、そのまま寝入ってしまった。

 百も湯を浴び、徳利と猪口、それに愛用の、刀匠・國鬼作の黒蝋色鞘の太刀を手に縁へ出た。

 手酌で冷酒を飲みながら、外に眼をむける。

 月あかり以外、何も明るいものはない。このあたりには、人家もこの家のほかにはないので、耳が痛いほどの静けさである。

 しばらく後、夜天の月がゆるやかに動き、もうとっくに日も変わったろうと思われるころ。

 不意に、ぞくりとうなじの毛が逆立った。

 眼帯を外す。白黒逆の左眼に、こちらへ歩いてくる異形がうつった。

 髪を島田髷に結い、大振袖をまとった女。遠目に見れば何ということもない。だがその顔に目鼻はなく、ただ口だけが、ざっくり裂けて開いていた。そして女の後ろには、尾を引くように瘴気が長く続いていた。

 百の口元がきりりとあがる。

「ちょいと、姉さん。家主にことわりもなくあがる気かい?」

 異形は一瞬歩みを止めたように見えたが、すぐに中に入ろうとした。百など意に介していないことは明らかだった。

 小さく舌打ちをして、横を通りかけた異形の横面へ、百は勢いよく徳利を叩きつけた。

 砕けた徳利と中の清酒が異形に降りかかる。異形がひるんだと同時に、抜き打たれた太刀がその身を両断する。

 ざらざらと崩れ消えていく異形のうちから、憎悪にみちた目が百を睨んだ。

 崩れながらも百に手を伸ばした異形は、返す刀で手を切り飛ばされ、悲鳴を上げるように口を開いて崩れさった。後には何も残さずに。

 それからは、朝まで何の異変も起こらなかった。

 朝になっても、要が起きる様子はない。眠っている彼の顔には、疲労が濃く浮いている。おそらくろくに寝ていないのだろうと、百はしいて起こそうとはしなかった。

 夜に入って、台所に立った百は、卵と大根の葉を混ぜた粥をこしらえた。

 揺り起こされて夜だと知り、要が呆れ顔になる。

「すまない。すっかり寝過ごしてしまった」

「お気になさらず。お疲れだったのでしょう」

 食事のあと、百はようやく要から子細を聞き取った。


 ひと月前、道場での稽古から帰ってきた要のもとに、屋敷から遣いがきた。件の箱を持ってきたその遣いは惣七といい、屋敷の下男で、要も顔を知っていた。

「どうした、惣七?」

「へえ、こちらの箱をしばらくお預かりいただきたいとのことでございます。それと、決して中をご覧になりませんように」

 何の箱かと訊ねたが、惣七も聞いていないという。

「今思えば断っておけばよかったのだが、箱を預かるくらいならたいしたことはないと思って承知したのだ」

 異変は、その日の夜に起こった。

 一人住まいで、自分のほかには誰もいないはずの家に他人の気配がする。もしや何者かがひそんでいるのではないかと家中を調べてみたが、誰もいない。

 日が経つにつれて寝床の周りを歩き回る足音や、しきりに何かを訴える女の声まで聞こえだした。

 剣客としてそんなものに怖気づいてはならぬと、要は普段どおりに道場に通い、稽古に励んでいたが、日に日に稽古にも身が入らなくなっていった。

 ついには左内にも叱責を受け、要の頭に相談先としてまず思い浮かんだのは、百の養父である梶春臣だった。

 だが折悪しく、春臣は将領の長田郡おさだぐんにある温泉に湯治に行っている知人を訪ねがてら、しばらく遊山をするとかで、とうぶん帰らないらしい。

 将領と聞いて、要の頭に浮かんだのが百のことだった。

「迷惑かとも思ったのだが、他に話せそうな相手もいなくてな」

「迷惑などと、とんでもない。要様、よく来てくださいました」

 やわらかに笑う百に、要も肩の荷が降りた様子である。

「昨日、お屋敷の方に呪い殺されるとおっしゃいましたが、何か心当たりがあるのですか?」

「……父が、俺と和馬のどちらに家を継がせるのかと、このごろ屋敷ではよく話題にあがっているらしい。昔からささやかれていた話ではあるが、父がいっこうにそのことについて話をしないので、余計に皆気になっているのだろうな」

 要は妾のるいの子。和馬は正妻の奈津の子。

 血筋から言えば後継ぎは和馬だが、兄弟の順序から言えば後を継ぐべきは要である。とくに要は和馬よりも武術に優れていることから、後継ぎとしてふさわしいのは要ではないかという声もあがっているらしい。

 どちらかが女であればまだしも、どちらも男なのだから、もめるであろうということは百にも予想できた。

 しかし、

「要様は、後を継がれる気はないのでしょう?」

「そうだ、継ぐ気はない。父にも今一度、あらためて伝えるつもりだったのだが、時期が悪くてな」

 要によると、父の平馬は先月出張を命じられ、来月の頭にならなければ帰ってこないという。

「重ねがさね、時期が悪いですね。もしくは、だからこそ、なのかもしれませんが。それで、要様、この件、私が始末をつけてよろしいのでしょうか?」

「頼んで、かまわないか?」

「無論ですとも」

 きっぱりといい切った百に、要はようやく、彼女も見慣れた穏やかな笑みを浮かべ、頼む、と頭を下げた。

「引き受けました。さて、そろそろ、箱を見分するといたしましょう」

 塩の中から掘り出された箱の瘴気はかなり薄れている。

 しばらく箱をいじっていた百が、その側面の一部をずらすと、ようやく蓋がするりと外れた。

 中をひと目見て、百の顔色が変わる。

 幾本もの木釘が刺さった藁人形。その胴には金釘流のまずい字で、何やら書きつけられた形代が留められている。

 しかめ面でそれを見つめて、百はようやく〔磯崎要〕の三文字を読みとった。

 血が出るほど唇を噛む要の隣で、百が冷ややかな怒りに燃える。

 一言も発さず呪い返しの札を箱に貼り、百はそれを再び塩のなかに埋め戻した。

「要様、しばらく身を隠してくださいませ」

「そう、だな。どこか、あてはあるか?」

「ございます、ご安心ください」

 きりりと口の端を上げた百に、要が少し頬を緩めた。

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