三、血に酔う童子のこと

 昨晩からの雨は止むことを知らずに降っている。そんな折でも、百の家には珍しい客があった。

 白髪の混ざり始めた髪を、総髪とも言えぬ風に無造作に結い、腰に無反の直刀を差したこの男は梶春臣かじはるおみ。始末屋であり、百の養父である。

「噂は聞いたぞ。このあたり、最近じゃ物騒らしいじゃないか」

「うん。多分、こっちの領分。奉行所も動いてるみたいだけど」

「そのくせ首突っ込んでんのか。一文にもならんだろ」

「突っ込んでない」

「あれでか」

 くい、と顎をしゃくる先、台所には皿が積み上がっている。何かわだかまりがあると、百は大食することを春臣は知っていた。辻斬りの一件に首を突っ込んだあげく、はかがいかないのだろうと思っていたが、百は首を振る。

「辻斬りは、奉行所が捕まえるんならそれでいいよ。ヒトの仕業じゃなさそうだけど、依頼されたわけじゃないし。そっちじゃなくて、……紅菊が生きてるかもしれない」

 ぐい、と茶碗に注いだ水を煽り、百が言葉を吐き出した。

「紅菊……お前の妹か」

「うん、死んだものだと思ってたけど……私を見て、紅、と言った人がいた」

 昨夜のことを語るうち、話を聞く春臣が眉を寄せる。

「生きていたとして、どうするつもりだ。会うのか?」

「もし会えるなら、ね」

「だがお前の妹が生きていたとして、そんな無頼が知っているとなりゃ……」

「分かってる」

 妹が……死んだと思っていた妹が生きていたことは嬉しいが、そんな妹がもしも法の網を潜るようなことをしているのなら……。

 それが百の今のわだかまりであり、大食の原因でもあった。

「だからまず、どうしてるか確かめたい」

「そうか。まあ、精々気張れや」

「そうする」

 きり、と、百が口の端を吊り上げる。白と黒が互い違いの両眼が、きらりと強く光った。

「辻斬りの方はどうするつもりだ?」

「正直なところ迷ってる。そんなに強いモノじゃないと思うけど、血に酔ってそうだから。とにかく今日は夜まで町を歩いてみるよ。それに、どうせ舟で島屋まで送ってけって言うんでしょ」

「御名答」

 にまりと笑った養父に、百は呆れ半分の苦笑を浮かべた。

 舟を漕いで春臣を〔島屋〕まで送り、日暮れまで町を歩き回る。

 待っていたのは大禍時。人でないモノ達が動き回りだす、その時間。

 そしてこの日、百は確かについていた。


 将領の奉行所は、荒谷町の隣、保利町にある。近くの屋台で豆腐とこんにゃくの田楽で腹ごしらえをした百は、ふらりと奉行所の近くの路地へ入った。

 足を止める。

 前方に、覚えのある気配が視えた。

(金気と血、それに木の気……当たりか)

 黒ずんだ衣の、振分け髪の童子。それと認めた瞬間、背筋を悪寒が駆け上る。

 とっさにさしていた傘を投げ、後ろに飛び退る。

 ばさりと、傘が両断された。同時に銀の光が百に迫る。

 銀閃とともに、紅い雫が散る。百の顔の上半分が、赤く染まっていた。

 斬られた額から眼へと、血が流れこむ。両の目が、塞がれた。

 にい、と、百が唇を歪めた。

 姿はさっき視た。そして今は視えずとも、その気配は感じ取れている。目を潰された程度、支障にもならない。

「成程。……血に酔った付喪か」

 刃が打ち合う音。百が背から引き抜きざまに振り下ろした太刀を、童子がその腕で受け止めていた。

 一合二合三合、打ち合いの音が路地にこだまする。おそらく、すぐに奉行所の役人が駆けつけてくるだろう。

 百はぎりぎりまで神経を研ぎ澄ませ、童子の攻撃を受け流し続けていた。眼が潰されたこの状況で、こちらから仕掛けるわけにはいかない。

 一歩踏みこみ、鋭い音を立てて太刀を振り抜く。大きく隙を晒したまま、百は何を思ったか、動きを止めた。

(血に酔った相手なのは幸運だったな)

 童子が一息に距離を詰めてくる。そのかすかな足音を聞きながら、百はまだ動こうとしなかった。

 気配がますます近付いてくる。

(一度血に酔えば、求める場所は定まってくる)

 耳をすませる。呼吸を静める。全神経を、目前の気配に集中させる。

 足音が消えた。

 背筋に氷を押し付けられたかのような悪寒が走る。

(……来る!)

 百は動かず、息を止める。童子が求めているのは、血だ。だからこそ、狙ってくるのは、

(……首!)

 百の手が動いた。太刀を落とし、次の瞬間に脇差を引き抜き、首筋に迫った気配に向けて白刃を一閃させた。

 声なき悲鳴が上がる。

 黒い童子と見えたモノが、塵となって消えていく。奉行所から駆けてきた捕り方達が見たのは、その光景だった。

 二つに切り裂かれた傘と百の間には、真っ二つに折れた小柄が落ちていた。

「蘇芳……!?」

 捕り方勢の口から上がる声を頼りにその方を向く。

「奉行所の方々とお見受けいたします」

 涼やかな声に、動揺はない。未だに額から流れる血が、その白い顔を染め続けているが、気にした様子もない。

「確かに。事情を伺いたい。傷の手当も必要だろう。来てもらえるか」

 ひょい、と、百に手を差し出され、胡堂が面食らう。

「手を引いていただけますか?」

「う、うむ」

 傷の手当を受け、白洲ではなく、役宅の庭へと導かれた百を、奉行、長谷部平内が待っていた。

 問われるままに、ここ数日の事情と自分の来歴を語る。

「何故届けて出なかった?」

「それにつきましては、お咎めを受けても致し方ありません。申し訳ありません。辻斬りの正体を確かめてから、しかるべき処置をと思いましたので」

 神妙に頭を下げる百に、平内が大笑する。

「はは、よいわ。俺の手の者も助けてもらったことだ。結局、あれは何だったのだ?」

「私の私見に過ぎませぬが、申し上げても?」

「構わぬ」

「……血に酔った付喪神、といったところではないか、と」

「付喪神、とな」

「はい。件の小柄、先程見分させていただきましたが、装飾の少なさや、刃に血抜きの溝が彫られているところから見て、装飾ではなく、実際に使用することを目的として作られたものと思われます。そういったモノは、付喪神となった場合、多くが、己で己を使おうといたします。初めは斬るだけで衝動も治まるのでしょうが、人でないモノはそれを繰り返すことで、少しずつ血に酔ってくるものでございます。血に酔い、元々の目的も忘れ、使われるためでなく血を流すために、人を求めて歩くようになります。あれも、そうしたモノでございましょう」

 ふむ、と、腕を組んで平内が唸る。そのまま平内は、ずいとひと膝ゆすりだした。

「なるほどな。どうだ、お主。この先も俺に手を貸してはくれぬか。人相手ならばいざ知らず、人でないモノを相手にするには、お主らのような始末屋の手も借りたいのでな」

 きょとんと百が目を瞬き、ふと口元を緩める。

「私にできますことならば」

「おお、そうか。それと、尾上を勘弁してやってくれ。こやつも役目ゆえ、な」

 ちらりと傍に立つ右京を見、百の表情がわずかに皮肉げなものになる。平内に会う前、尾上が以前の尾ノ上石之助と知り、お人が悪い、と百が一撃食らわせていた。

「存じております」

「左様か。そうだ、ついでに今ひとつ、会ってやって欲しい者がおるのだが……」

「はあ、どなたでございましょうか」

 夫人の真冬に案内され、役宅の一室に向かう。入りますよ、と真冬が声をかけ、障子が開けられる。

 布団の上に上体を起こして振り返った女と、百の目が、かっきりと合った。

 布団の上の女は、少しやつれているのと、右の目が逆眼になっていることを除けば百と生き写しだった。

 いつしか夫人も去り、部屋は二人だけになっている。

「紅……菊……」

「白菊……!」

 二つの声が、同時に上がった。

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