第3話 頼もしさ、愛らしさ

 夕暮れの街の中を一台の軽自動車が走っていく。車内ではまだ荒れた呼吸のまま、険しく前を見据える男女の姿があった。


「保健室の門崎先生によると、一条は……、お前の妹はまず一度教室で倒れ、保健室で一時的に意識を取り戻してから再度気を失ったらしい。外傷はなく、脳にも目立った異常は見られないようだが…………。一条、大丈夫か? もし、気分が優れないようなら病院に着くまで眠っていても大丈夫だぞ………」


「………………」


 俺は緊急の知らせを受け、そのまま野坂先生の車に飛び乗って病院に向かっていた。運転席からは、優しく語りかけてくれる野坂先生の声が断続的に鼓膜を揺らす。しかし、桐葉が倒れたという事実を認識できず、いつまでも混乱した俺にはその声に返答する余裕はなかった。


 そうして何も考えることができないまま、背筋をまっすぐに伸ばして硬直していると、沈みかけの真っ赤な夕日が視界を眩ませる。目をじんわりと侵食する光を防ぎもせずに、俺は生気なくフロントガラスを眺めていた。


「まあ……、専門家ではない私が言うのもあれだが……。お前の妹はきっと大丈夫だと思うぞ。私は一年生の体育の授業も受け持っているんだが、一条……。いや、き……、桐葉は学校で上位に入るほど体が強い印象があるんだ。だから、き………、きり………。桐葉は、絶対に大丈夫………。大丈夫なはずだ………!」


 野坂先生はハンドルを必要以上に握りしめ、ところどころ激しくつっかえながらも励ましの言葉をかける。自分以上に余裕がない人が隣で必死になりながら優しい言葉を搾り出す姿は、なぜか可笑しさを感じさせた。唐突に込み上げて来た感情を我慢できずに噴き出すと、先生は不思議そうにこちらにちらりと目を移した。


「……どうした、一条? ここまで重たい雰囲気で、ただの一言も喋らなかったのに、なんで急に笑いだすんだ? 私はお前を元気付けようとはしたが……、そんな面白い事なんて一言も言ってないだろう?」


「……いえ。面白かったというか、先生が俺に一生懸命気を遣ってくれているのが新鮮で、思わず嬉しくなってしまったんです」


「そ……、そうか。まあ、なんてったって私はお前達隷属部の顧問だからな。非常事態が起きた時こそ、頼りになる私の出番というわけだ。だ……、だから、これから何かがあったらすぐに私を頼るんだぞっ……。ほら、もう着くから、早く降りる準備をしておけ」


「はい……。それと、先生……。俺、隷属部の顧問が先生で良かったです。本当に……、ありがとうございました」


「は、はぁっ!? バカっっ!! そんなこと、初っ端から言うやつがあるかっ! こ、こっちにも心の準備がだな………」


 野坂先生の顔は夕陽と恥ずかしさで真っ赤に染まり、頼もしさから愛らしさという対極の雰囲気に移り変わっていた。俺は心の中でもう一度、先生に深く感謝をして車を降り、勢いよく病院へと走って行った。

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