第89話 ハルカミライ

 真っ白に輝く光が霞のように消え去ると、目の前には心配そうに見つめる遥の姿があった。場所は、部室前の廊下。日光に照らされた窓辺は光に満ち満ちて、空には七色に輝く彩雲さいうんが漂っている。あんなに綺麗な空は、生まれて初めて見た。……初めて? 俺が事態を認識して再び前を向くと、遥は6月1日の文字が刻まれたスマートフォンの画面を手に、歓喜の表情を浮かべた。


「やったわ!! ついに、私達ループから抜け出したのよ! 俊も意識が戻ってきたし、これでやっと先に進める……!」


「本当か……? 俺は、まだ同じ時間を繰り返してるんじゃないかと疑ってしまうな。あのループから抜け出した証拠はあるのか?」


「全く……。警戒心が強いのか、疑い深いのか……。いつも通りの用心深さね。そっちの方が俊らしくて安心はするんだけど……。じゃあ、とりあえずこれを見てちょうだい。これで少しは、実感が湧くんじゃない?」


 そう言うと、遥は一枚の紙を手渡す。部活動許可申請書と書かれたそれは、創部以来の懐かしさを感じさせる。しかし、生徒会の権限を使って例外的に認可されたあの時とは違い、用紙には顧問・副顧問、そして部員5名の名前が揃って記入されていた。俺は念のため、一つ一つの項目を再度丁寧に確認していく。最後にの名前に辿り付いた時、口からは初めて安堵からのため息が漏れていた。


「石立は……、隷属部に入部することになったんだな。遥。俺が意識を失った後、一体何が起きたんだ?」


「それが、よく覚えてないの。あの後すぐに私も気を失って、そのまま美琴にこの紙を渡される場面まで飛んできちゃって……。でも、美琴が入部したのは紛れもない事実だから安心して!」


「あと、もう一つ質問なんだが……。遥はなんで石立を誘ったんだ? 生徒会の人間を誘うなんて発想、普通は考えつきもしないと思うんだが………」


「美琴を誘った理由? それはまあ……、オンナの勘ってやつ? なんとなく、可能性のある雰囲気を感じ取ったんだと思うけど………。あれ? なんで、私は美琴を誘ったんだっけ?」


 俺と同じように遥も細かいことは覚えていないらしく、腕を組んでしばらく考え込んでも曖昧な答えしか出ないようだった。まぁ、嘘を付いているようにも見えないし、これ以上問い詰めても時間の無駄か。経験上、不可思議な現象を立ち止まって分析してもらちが明かないことは分かっている。それならば……、やることはただ一つだけだ。


「よし、これ以上考えるのはやめにしよう。ひとまず目的は達成したんだ。全ての疑問を解決するまで、こんなところに留まるわけにはいかない。だから、俺達は………」


「とにかく先に進んで、行き詰まったらその時どうにかする………。でしょ?」


 人のセリフを自分のものにする部長ならではの横暴さを出しつつ、遥は部室の扉に手を掛ける。しかし次の段階に踏み出すには勇気がいるのか、遥の腕には汗が滲み、力んでしまっているように見えた。


「遥。……大丈夫だ。頼もしい仲間が隣にいて、越えられない壁は無い。行き詰まったら、何度もやり直せばいい。繰り返しを重ねてくたびれたら、俺が元気づけてやる。だから、お前は安心して前に進んでいけ」


「……分かってるわ。言われなくても、私は躊躇わずに前に行く。だから、俊は置いていかれないようにしっかりついて来なさい!」


 大声で啖呵を切り、豪快に口角を上げた瞬間に過度な緊張は消え去って、遥は再び前を向き直す。そして扉は勢いよく横に移動して、中からは眩い光に照らされた領域が現出しようとしていた。


「行くわよっ! 希望に満ちた明るい未来! みんなが笑って楽しめる、最高の部活動へ!!」


 かつて一人きりの孤独ばかりだった背中には仲間を伴うリーダーとしての自信が溢れ、純粋な恐怖だらけだった細い腕には幾つもの願いを叶える逞しさがある。成長を支え合った今なら、お互いを心の奥底から信頼できる。遥となら、これから先何が起きても全て上手くいく。そんな確信と共に、俺は瞳を閉じて微笑みながら呼吸を整えると、一息に眼を見開いた。


 未来へと舞うローツインテールは、足取り軽く先へ進んでいく。遥か先の未来へ、一緒に歩んで行こう。俺は少女を視界の中心に見定めると、体験したことのない新しい世界へ足を踏み入れた。

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