第88話 インナーカラーと唐突な幕切れ

 第三者の目線から見る熱い抱擁はイメージよりも恥ずかしさに熱を上げさせて、元々限界まで早くなっていた拍動は全く治る気配がない。足は棒のように固まったまま、俺はぼんやりと石立の様子を見る。涙が溢れ、時折言葉にならない儚げな声が鳴る石立美琴の顔には、理解し難いほどの寂寥せきりょうが漂っていた。


 しかし、そこから数十秒経っても大きな進展はない。本当にこのままで大丈夫なのか。俺は実態のない不安を抱えながらも、遥の覚悟を信じて手を出すことはしなかった。


「もう、本当にダメ………。水蓮寺さん、私もう限界………。お願いだから、どうか離して下さい…………」


「限界なのは分かってる。だけどね……、美琴。もう……、我慢しなくていいの。受け止めてあげるから、あなたの全部を吐き出しなさい………」


「やめて、そんなこと言われたら………。私は………。いやあああああああっっ!!」


 石立が悲痛な叫び声を上げても、遥はびくともせずにそのまま抱きしめ続ける。沈黙から一転、悲鳴が木霊するようになった部室。聞き続ければ、こちらも狂ってしまいそうな叫声きょうせいは耳を揺るがせ、視界の中心も虫食いのように黒い穴が開いていく。唐突な眩暈に襲われて、俺は思わず床に膝をついた。


「いやあああああああああああっっっ!!」


「遥っ!! もう、諦めろ! これ以上は俺達も危ないぞ!」


「大丈夫。危なくなんて、ないのよ。あと少しだから、私を信じて………。美琴、もう大丈夫だからね…………」


「あああああああああっっっ………。うぅっ……、うう…………。一条……、俊ちゃん…………」


 石立は遥の腕の中で目を閉じて、体を他人に明け渡す。するとその瞬間、何の特徴もないただの黒髪に火花が散り、髪の内側を染めていった。……何が起きた? 事態が収束しても、視界を塞ぐ黒い斑点はどんどん大きくなり、頭を走る激痛はとどまることを知らない。インナーカラーの謎を分析することもできず、石立と同じように、俺自身も意識を失ってしまいそうだった。


「これで……、終わりね………。俊。私、ちゃんとやりきったわよ……。まぁ、褒められることはないだろうけど、私は使命を果たしたから………。それだけは、覚えておいて……」


 遥は眠りについた石立の身体をそっと横にすると、俺に背中を向けたまま優しい声でそっと声を掛ける。床から見上げた遥の背中は、途方もなく大きく見えた。俺が知らない間に……、遥は一体何をしてきたのか。想像もつかない事柄に興味を持ち、思考を巡らせようとすると、一気に眠気に襲われる。視界が一面の黒に染まる中、手の温もりが俺の涙を拭き取って、そのまま心地良く頭を撫でた。


「お疲れ様。俊もよく頑張った……。これで、このループとは本当にお別れね。さようなら………。そして、おやすみなさい……」


 一生眠っていたくなるほど気持ちの良い春の陽気が体の中に染み入って来る。そのまま、完全に視界が黒に包まれると、明度が一気に反転し、気がつくと俺は初夏の白い光の中に立っていた。

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