第87話 抱き締めて、口寄せる

「貴方達、一体何をしているの………!?」


 途方もなく長く感じた一秒の間の後に、石立は脅威を滲ませながら呟く。すると、更に遥は腕に力を入れて、強く体を抱きしめる。それに反応して、俺の背後から床を踏み締めて駆け寄る足音が響いた。


「早く離れなさいっ! 学校でこんな不埒なことをして、許されるとでも思っているの!? 貴方達は、付き合ってもないのに………」


「付き合ってない? そんなこと、なんでアンタに分かるのよ? 私達が深い仲になってないなんて、どこにも証拠はないでしょう!?」


 左腕を引き剥がされても遥は一歩も引かず、鬼気迫った表情で石立を問い詰める。呼吸を乱し、怒りを露わにしながらも、石立はなんとか平静を装って遥から手を離した。


「証拠もなにも、私は一条さんが早希様のことを好きであることを直接聞いているんです。あそこまで真剣に好意を語ってから、一月も経たないうちにそれが覚めるはずがないでしょう………!?」


「どうかしら? 高校生の恋愛感情なんて、ちょっとしたきっかけがあれば簡単に移り変わるものな気がするけど………。まぁ、いいわ。そんなに私達の仲が信じられないのなら、もっと良いものを見せてあげる………」


「まさか、貴女………。やめなさい! 早く、から離れて!!」


 石立が再度引き離そうと駆け寄る前に、遥はかかとを上げて強引に唇を寄せる。急激に変化する情景に衝撃を受け、見開かれた瞳には遥の愛おしさを滲ませた綺麗な顔と膝から崩れ落ちた石立の姿が大きく映った。


「そんな………。私が、こんなこと………。全く、信じられない…………。嫌……、こんなの嫌だ………」


 石立は絶望と困惑の入り混じったような表情を浮かべながら、頭を掻きむしる。その姿は、海デートの直後に遭遇したを想起させた。このままではまずい。俺はあの時と同じように時を飛ばすよう、遥に頼み込もうとする。しかし、動かしかけた唇を白く細い指が押さえて、少女はまた可憐に笑った。


「心配しなくても大丈夫。強引なように見えるかもしれないけど、これはここにいるみんなを想ってのことだから。だから私に任せておいて。これで……、本当に最後だから……」


 遥は眉を寂しそうに下げると、口に当てた指を離してもう一度前を向き直す。拳を固く握りしめ、弱々しく震える石立へと向かう遥の背中にはほのかに七色の光が差しているように見えた。


「なに……、なにをする気なの? やめて……、近づいて来ないでっ!!」


「怖がらないで。私はなにもしないわ。ただ、ここから私達を解放するだけ。美琴ちゃん、あなたもお疲れ様。今なら全てに感謝できる気がするの。だから、一緒に終わりましょう………」


「嫌……、来ないで………。貴女が来たら、私はきっと…………」


「大丈夫。私も準備はできてるから。だから、本当のあなたを見せればいいの。本当の気持ちを見せたっていいのよ…………」

 

 噛み合っているようには見えない二人の会話にも、不思議と吸い込まれるような没入感がある。時がゆっくりと流れる夢のような空間で、俺はいつの間にか考えることもやめて、目の前で繰り広げられる少女達の抱擁を眺めていた。そして、果てしなく長い沈黙の後、抱きしめられた少女の頬には一本の細い涙の線が伝った。

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