第56話 二つの好き、一つのお願い

「……どうしたの。俊、あなたは早希さんのことが好きなんでしょ? 気を遣ってくれてるなら、そんなことしなくていいよ」


「気を遣ってなんかない。俺自身もまだ理解できてないんだ。俺は、先輩のことが好きなはずなのに遥のことも好きで……。もう、離れてほしくなくて俺は………」


 自分で気持ちを正確に伝えようとしても、出てくるのは震える声と涙だけだった。不安げな俺に遥はまた一歩近づいて、強く抱きしめる。


 これまで浮遊していた二人の関係が、どこかに辿り着こうとしている。遥に支えられながら、俺は確かな安心を得ていた。さっきは指先で確かめ合っていたお互いの拍動を共有しながら、海岸に伸びる影は混じって一つになる。


 それと同時に心を覆っていた警戒と不安の壁も壊れて、二人はそれぞれの衝動に身を任せた。


「そっか……。俊の正直な気持ちはそれだったんだね」


 耳元から微かに温かい息を感じ取ると、俺は少しだけ首を縦に動かす。遥は、泣き続ける俺とは違って覚悟を決めた後の冷静さを取り戻したようだった。


「本当の気持ちを言ってくれてありがとう。私は俊のことが少しでも知れて良かったし、好きって気持ちを伝えてくれたのも本当に嬉しかった。でもね……、今は俊の気持ちに応えるべきじゃないと思うんだ………」


 そう言いながら、遥はゆっくりと離れて少し恥ずかしそうに目線を落とす。耳先まで真っ赤に染めた彼女がそっと理由を告げるまで、俺は流れた涙を拭きもせずに、ただ一点を見つめていた。


「俊の心には二つの好きがあって、それはどっちも大切なものだと思う。二つとも、欠けちゃいけない大切な存在なの。だから、私は早希さんを救うまであなたの気持ちには応えられない。ごめん…………」


「いいんだ。それより遥に気を遣わせて、ごめん。このデートも本当は遥のためのものなのに、俺は自分のことばっかり考えて……」


「本当、これは私のためのデートなのよ? デート中に女の子に気を遣わせるなんて、本当になってないんだから」


 遥は大げさにムッとした表情を見せつけた途端に吹き出して、そのまま声を出して笑った。それにつられて俺も思わず頬を緩める。


 気まずく重たかった時間も忘れて、二人はただ笑い続けた。しばらく経ってやっと笑い声が収まると、遥は涙を拭きながら手を取って、


「やっと笑った。デートなのにずっと暗い顔だったから心配してたんだからね? 罰として、私を全力で楽しませて。せめて、この瞬間だけは一緒に笑って? 今はそれだけで、十分だから」


 俺が深く頷くと、遥は再び笑って走り出す。孤独を共に乗り越えて、二人は再び夕陽の中を進み始めた。

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