第55話 素直な気持ち
「私……、この街に来てから初めて来たわ……。本当に綺麗で静かな海………」
「そうだな……。俺もここまで綺麗なのは見たことなかった。この光景を見られたのも、遥のおかげだな………」
「私のおかげなんかじゃないわよ。私達はお互い一人じゃ、こんな景色は見られなかった。そう……、この瞬間を過ごせるのは、私と俊がそれを望んだからなのよ………」
誰もいない夕方の海をゆっくりと進む二つの陰影は、間を一本の線で結ばれて砂浜に長く伸ばされていた。視覚だけなら信じることができない状況だが、左手の確かな温もりと拭われた涙の感触がこの瞬間を現実だと実感させる。それが分かっているからか、遥に対して格好つけることもせずに、俺はただ日差しから目を逸らすことしかできない。
水蓮寺遥と初めてのデート。彼氏と彼女でもないのに信頼があって、お互いに秘密を共有している関係は、周囲には表現できないくらい曖昧ですぐに消えるほど切ないものだ。しかし、その切なさが何もない海岸を幻想的に染め上げる。
「…………………………」
長い沈黙が続く中、それを察したように鼓膜は寂しげな波の音を強く感じとる。そこから更に数歩進んだ後、左手を強く握りながら遥は再び立ち止まった。
「私達って……、なんなんだろうね………」
波で慣れた耳にその一言はかなり強烈に残った。言葉に反応して視線を戻しても、真剣な表情に変わりはない。フィクションの世界では、何とも思わなかったその言葉は、俺にとってとても重たいものだった。
「…………………………」
もう一度沈黙が二人の空気を支配する。すると遥はまた申し訳なさそうな顔で、
「ごめんね。訳の分からないこと言って本当にごめん。でも、やっぱり不思議なんだ。こんな夢のような世界で過ごし続けて、私達の関係も夢なんじゃないかって思ったから、つい変なこと言っちゃった」
そう言って、遥はまた静かに前を向く。その表情は、また大人びた落ち着きを取り戻しているかのように見えた。だが、その裏には自分の気持ちを押し殺している遥がいる。文字通り手に取るように分かるほど、彼女の手に流れる血流は強く動悸していた。
俺は遥にまた我慢させている。今までずっと気づかずに、……いや、気づかないふりをして俺は彼女の気持ちを避けていたんだ。これでいいわけがない。遥との曖昧な関係を終わらせる。そのために、このデートをしに来たんだ。覚悟を決めろ。
俺は知らないうちに海を眺めることもやめて、ただ遥の手を強く握りながら立ち止まった。
「俊……、どうしたの? なにか、あった……?」
デート相手の動揺を感じた遥は、確かめるようにゆっくりと俺に問いかける。俺はそれに答える代わりにつないだ左手を引っ張り、空いた右手で彼女を側に抱き寄せた。
「好きだ。………だから、ずっと俺から離れないでくれ」
曖昧な関係に素直な一言が響いた途端、不思議と視界は揺るぎ出す。目の前の遥の瞳は大きく開かれたまま、ただ泣き震える俺の姿を捉えていた。
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