第48話 一人立ち寄る喫茶店

 一人になって、自分は何をするだろう。この日常と幻想が入り混じった世界に入ってから、俺は何度もその妄想を繰り返した。


 それほどまでにこの世界は不安定で、誰を信じていいか分からず、その分、心がすり減っていく。実際、俺は解放祭が終わった直後に先輩を失ったことで、自分自身も消えた。頼りにしていた心の拠り所が無くなった途端に、世界は真っ黒に塗りつぶされたのだ。


 自分のことを認めてくれる大切な存在が、繋ぎとめなければ容赦なく心は削除される。そんな単純なことを俺は初めて理解した。そして……、おそらく今は………。


 昼の電車内は、まるで今の自分のためだけに用意されたのかと思うほどに空っぽで、ただモーターの音だけが耳に響いていた。校門の前では、まだ低かった太陽はもう窓の上に差し掛かって街全体を照らしている。そして、そんな平日の真っ昼間に一人、男子高校生が手を組んで気だるそうに座っていた。


 そう、俺は今、学校をサボっている。初めての、授業と仲間たちからの逃避行。一見すれば、責任から逃げ出して気楽なように見えるかもしれない。ただ……、俺は過去に類を見ないほどの使命感で胸が押しつぶされそうになっている。


 またこんなに難しく考えて、もう電車に乗るのが嫌いになりそうだな。俺はふと息を吐き出すと目線を上げて、弱々しく網棚に笑いかける。前に電車に乗ったときもアイツのことを考えてたっけ……。俺は、遥の家へ向かった時の車内の風景を思い出す。しかし今回、向かう地点は全く逆だ。もう一つの思い出の地へ、俺は着実に近づいていた。


 少し賑やかな藤沢駅から歩いていくこと、二十数分。昼でも閑静な路地裏に俺の目的の建物はぽつんと建っていた。長年の時を経て、すっかり黒びた煉瓦と所々から覗く雑草の緑。


 目を閉じれば、白いワンピース姿の遥が視界を覆ってくる。軽く一呼吸。俺は入り口に準備中の札が掛かっているのにも気づかないほど切羽詰まった様子で、跳ねのける様に扉を開けた。

 

「いらっしゃい、今日はお待ちして……、あなたは……、一条様ですか………!」


「お邪魔します。今日は、用があって来たんです。マスター……、遥の話を聞かせてもらえないでしょうか………?」


「分かりました……。どうぞ、こちらへ……。まずは、ゆっくりとコーヒーでもお飲みになってください。詳しい話は、その後できると思いますので………」


 マスターは明らかに動揺しながら、カウンターの席へ案内する。俺は、誰もいない店内を見渡した後、案内に従ってゆっくりと椅子を引いた。


「すいません、今は準備中でしたよね。それなのに俺……、勝手に店に入っちゃって……」


「いいんです……。ちょうど準備が終わったところですから、どうかごゆっくりとお過ごし下さい……。あと、十数分で一条様のご期待に応えられると思いますので………」


「は、はい……。じゃあ、まずはいただきます…………」


 マスターの言葉に疑問を感じながらも、差し出されたコーヒーを俺は少しずつ飲み進める。前に来た時よりも、静けさと寂しさに包まれた営業前の店内は、独特の雰囲気を醸し出していた。まるで作られたような、不思議な空間。俺は思わず、今の自分が巻き込まれた世界を想起する。そうしてコーヒーと向かい合ううちに時は流れるように過ぎ、気がつくと入り口から高いベルの音が鳴り響いていた。


「いらっしゃいませ……。どうぞ、お待ちしておりました………」


「マスター!! 久しぶりね、元気にしてた? 貸切にしてもらったからには、今日はゆっくりーーー。俊君……? なんで、俊君がここにいるの………!? って……、あれ……? 俊君って……、私初めて会ったはずなのに……。なんで………?」


「霞さん……!? どうして、ここに……!」


 示し合わしたように、同時に喫茶店を訪れた二人の独り身。初対面のはずの霞さんは何かを察したのか、ただ真剣な表情で俺の瞳を見つめ、納得したように店に入った。

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