第37話 佇む影

  水蓮寺家から脱出して十数分後、俺は電車に揺られながら酸欠の頭を休ませていた。遥の家から俺の家の最寄り駅までは一時間弱かかる。俺が帰り着くころには22時か……。やめよう、今更悔やんでも少し先の未来は変えることはできない。せめて電車を降りてから全力で走って桐葉に深く謝罪しよう。俺は開き直って電車の窓の中を走る景色をぼんやりと眺めていた。


「それにしても……、あの時の遥は何を考えていたんだろう………」


 人がまばらなのと走って疲れたことが起因してひっそりと独り言をつぶやく。俺は霞さんが部屋に侵入してくる前の遥の表情を思い浮べていた。


 ……あの時、遥が見せた悔しい表情。あれは単純に霞さんの気配に気づいていただけなんだろうか? いや、遥なら気配に気づいた瞬間に霞さんを捕まえに行くはずだ。しかも、あの時の遥はどこか悔しそうな苦しそうな顔でただ俺を見ていた。言葉にできずただその表情で俺に伝えるしかない状況………。今日の話を聞いてきた俺からすれば一つしかない。しかし、それはどうして…………?


 そこから十数分かけて俺は視線を動き揺れるほのかな街の光に向けたまま、じっくりと思考を続けた。今までに遥がくれた情報をもとに今までの遥の姿を思いだして、心に生じた素朴な疑問を解決しようとする。しかし、明確な答えが出せないまま、俺は目的の駅に到着していた。


「とりあえず……、明日以降じっくり考えるか……。それよりも今は…………」


 俺は駅のホームに足を踏み入れた瞬間に全身全霊で駆け出す。急げ、急げ、急げ……、早くしないと桐葉に殺される……。頭も体も全てを早く帰宅することに集中させる。急げ、急げ、急げ……。改札口を飛び出して、滑らかな駅構内の床を思いっきり蹴っ飛ばすと、人や店の並びは一気に動く。そして階段を駆け下りて、出口へ…………。俺の足は、北口の影のそばで急停止した。


「おにい……、随分遅かったじゃん。一体何をしてたの? おかえり……、可愛い妹がおにいを迎えに来てあげたよ……。さあ、そんなに焦らないでゆっくりゆ~~っくり帰ろ? 帰り道で今日あったことを全部話し合いっこしようよ…………」


 バス停のベンチに座っていた小さく薄暗い影。足音が止まった瞬間に影は駅の賑やかな光に溶けてただ赤黒い視線だけが俺を見つめている。俺は遥との秘密の共有者として、そして桐葉の兄として大きな危機に瀕していた。

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