第66話 水蓮寺遥の舞台前

 開会式まであと少し。私の心臓は直前に迫った本番に緊張して、鼓動をどんどん早くしていく。いよいよなんだ。本当にやるんだ。私は拳を握ってそっと自分の胸に当てる。これが自分なりの不安を解くおまじないだった。でも今はこの行動を何度繰り返しても緊張が途切れることはない。それはきっと私がに期待して、一歩を踏み出すこの瞬間に胸を高鳴らせているからだ。


「凄いな……。これを私が作ったんだ。いや、みんなで作り上げたんだ」


 舞台袖から見る解放祭直前の風景は自分の人生の中で最高のものだった。自分の心の中で何度この光景を描いたことだろう。自分が目標に決めてそれを達成するために努力してきた年月は決して短いものじゃなかった。諦めたくなることも、実現することが無理だと思って泣くことも何度繰り返したのか分からない。でも、今なら。ここにいる今、この時の自分なら過去の苦しさも許せるかもしれない。私は不意にクスっと声を出して笑う。


「遥さん、どうしたんですか? 緊張しすぎて笑っちゃいました?」


「水蓮寺さんも桐葉ちゃんももうそろそろステージに上がる準備しといてね。特に水蓮寺さん、あなたは最初の挨拶をやるんだからしっかりね」


 周囲からの期待を簡単に超える後輩と絶大な信頼と安心感のある先輩。今の私の周りには心強い仲間がいる。そうだ、私ひとりじゃここまでできなかった。隷属部や生徒会のメンバーのみんなに支えられてきたんだ。そしてあいつにも……。私はまた舞台裏からステージ正面の様子を覗き見る。


 一条いちじょうしゅんは一時間前と全く同じ体勢でステージの様子を見ていた。不器用で、嫌になるくらい現実主義で、それでも他の人の気持ちを一生懸命考えれるほど誠実で……。アイツはいつだって私のことを引っ張ってくれた。そう、アイツが現れたあの時、あの瞬間から私は変わったんだ。


「いつまでもそこで何やってるんですか? 遥さんが来ないなら私が勝手に挨拶しちゃいますよ」


「うん、わかってる。一緒に行こう。桐葉ちゃん」


 私がステージに上がると会場からは頭が割れそうなほどの歓声が鳴り響く。ありがとう。みんなが私にしてくれたこと私はずっと忘れない。今度は私がみんなに、アイツに恩を返すんだ。最高の思い出を作って一緒にこの先へ……。私がマイクの前に立つとさっきまでの大歓声は嘘だったかのように一斉に静まり返る。私は一瞬目をつぶり、大きく息を吸った。


「みなさん! お待たせいたしました。それでは私、水蓮寺遥より解放祭の開幕をここに宣言したいと思います!」


 歓声が再び戻り会場は熱気の渦に再度包まれる。ここからだ。理想の私をここから始めよう。私は一礼した後、またまっすぐ正面を見る。アイツはいつものように笑顔を浮かべていた。

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