第18話 エピローグ 〜心の故郷

 ぼくはマナを捜しに南へ向かった。

 海沿いの町を目指して。

 波の音と潮の香りをたどって。



 野犬に追われ、鷲に襲われ、蛇にも遭遇した。

 虫を捕り、野鼠を食い、人の残飯も漁った。

 藪の中で寝て、起きては走った。

 自然の厳しさと孤独と寂しさを知った。

 何年も経って、群れから離れたペロやネトと出会い、マナが僕に会いにまた街へ戻ったと聞いた。

 カシラには会えなかった。



 街の近くまで戻ったところで憔悴しきったぼくは、道の途中で倒れた。

 もう道に立てない……目も、記憶も霞んできた……

 はるか道を行ったところできみに逢うために……。



 目が覚めると、そこは見知らぬ人の家だった。

 暖かい……まるであの時のように。

 ぼくはまた、助けられた。

 助けてくれたのは若いプディング夫妻で、赤ん坊もいた。

 その子の名前はサラ。

 ぼくもこんなふうに生まれてきたのかと、静かに見つめた。

 母親の腕に抱かれ、眠っている赤ん坊の姿……。



 回復して少し動けるようになったある日、ブリウス・プディング家の庭に一人の少年がやって来た。

 日向ぼっこをしていたぼくを見て、少年は目を丸くした。


「トム! トムじゃないか!!」

 ブリウスさんが訊ねる。

「え? 君はこの猫を知っているのかい?」

「もちろん! トムだよ、ジョードさん家の…… さがしたんだよトム、何年も」

「道端でな。こいつ死にかけてたんだ」


 彼はミッチ。よく遊んでくれたミッチ。

 とても大きくなっていた。

 廃品回収の手伝いで訪れたミッチは感極まった目でブリウスさんにぼくの今までを話してくれた。


「伝説ぅ?」

「そうさ。仲間を呼び寄せてオルソンの会長に立ち向かったんだ。トムは僕らの英雄なんだ!」

「ほう……トム・ジョード、か。わかった。じゃあ、そのメアリー先生の所、教えてくれないか?」

「先生はお母さんが怪我して体が不自由になって、実家に。今は代わりの先生が来てるけど。それにアルフレッドも年取って病気で……」

 ミッチはぼくを撫でながらアルフレッドの死を告げた。


 アルフレッドじいちゃん。

 いつもぼくを見守り、慰め、励ましてくれた。

 思慮深く、生きることの真髄を確かめようとしていた。

 あなたの導きがぼくを生かしてくれたのだ。

 師よ、父よ。

 もう一度あなたの声を聞きたかった……。


「うん、でも僕、先生に手紙書くよ!」とミッチはブリウスさんに言い、またぼくを撫でて呟いた。

「……トム。つらくて悲しい時、お前の姿が立ちのぼる。負けそうな時、お前を思えば立ち向かえる。そんな気がするんだ……」

 そして手を振り、ミッチは帰っていった。



 夢でよく見た。

 ビンセントさんとアルフレッドじいちゃんとぼく。

 いつも一緒。あの暖かい家、パンの焼ける匂い、訪れる人の声。

 ビンセントさんはいつもご機嫌で、アルフレッドじいちゃんは微笑んで……その温もりをよく思い出した。



 それから数ヶ月後、メアリーさんが会いに来てくれた。

 家を飛び出した事をぼくは心の中で謝った。

 彼女はぼくを抱きしめ涙を流した。

 彼女のつらい状況も伝わった。

 プディングさんはぼくを引き取りたいと言い、ぼくもそこを離れられずにいた。

 それはサラに添いたかったから。

 赤ん坊の彼女を見ていたかった。



 時折街に出て捜しても、マナは見つからなかった。

 川のほとりにも、裏山にも。

 通りの片隅にも、花壇の近くの物影にも。

 跡地の眩いビルの暗がりにもいなかった。

 夢で何度もマナと出逢った。

 あの川のほとりでいつまでも遊んだ。

 美しいマナ。大好きだった。



 やがて老い、息絶え、身体も朽ち果て、見える世界からぼくは消えて無くなった。

 でもあの温もりを糧に。

 いつか必ずマナとめぐり逢う。

 そう、マナの声が聞こえる。

 いつかまた必ずめぐり逢える。



 END

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