第17話 愛のぶどうパン
そして十二月三十一日。
トムとアルフレッドはメアリーといる。
トムはもう跡地には行かなくなった。
家に居て、アルフレッドと無邪気に遊んでいる。
痩せ細っていた背中もお腹もふっくら元に戻り、暖かい家で元気に過ごしていた。
陽が落ち、ベルが鳴る。
メアリーが出ると、玄関に立っていたのはニックだった。
「何の用?」
「ぁ、こ、今年を締めくくってご挨拶にと」と、カジュアルな服装のニックがはにかんだ。
「用がないのなら帰って。じゃあ」
ピシャリとメアリーはドアを閉めた。
眉を八の字にニックはドアを叩く。
「謝りたいんだ! メアリー、開けてくれ!」
ドアが開いたかと思うと、そこにはトムとアルフレッドが。
「シャーーーーッ!」「ガルルルルゥ……!」
「う、うわっ!」
またピシャリと閉められる。
ニックは悲痛に懇願した。
「……メ、メアリー、俺はもう会社を辞めた! もう親父の横暴さにはウンザリだ! 君につらい思いをさせた、年を越す前に、とにかく謝っておきたい……その、そいつらにも、なんだか申し訳なくて……反省してる……」
しばらくクシャクシャに泣き喚くニックをドアの向こうでメアリーは聞き、仕方なく開けた。
「……入って」
香ばしく匂い立つキッチン。
冷蔵庫にもたれ、腕を組んで話を聞いているメアリー。
ニックはテーブルを前にちょこんと椅子に座っている。
トムとアルフレッドはじっと、ニックを見つめている。
「……というわけなんだ。親父を気絶させて、俺は解雇。というかもう、自分から辞めた」
「……お父さん、大丈夫なの?」
「あぁ親父は金に物言わせてジムに通い、ずっと体鍛えてボクシングもやってる。あれぐらい、どうってことない」
ニックはしょんぼり言う。
「……ジョードさんは病死だったが、なんだか俺たちが追い詰めた形になった気がして……。最後に彼と話をした時、俺は彼を酷く怒らせてしまった。怒って俺に杖を振り上げた時、その犬が立ちはだかって俺を守ってくれたんだ。まるで……それだけはいけないビンセントさん、と諭すように……俺をかばってくれたんだ」
アルフレッドがゆっくり彼に近づいた。
クンクンと足元を嗅いだ後、ニックの手をペロリと舐めた。
「ぅうひゃ、くすぐってえ! ……は、ははは、メアリーたすけて」
「ふふ……。やめなさいアルフレッド」
「……え、え?」
「この人
「待ってメアリー、この犬の名前……」
「え?……アルフレッドよ」
ニックは目を丸くする。
「……こ、こいつがアルフレッド? ……じゃ、じゃああの猫は?」
「トム。それが何か?」
首筋を掻き、苦笑いするニック。
「い、いやあーはっは、そうかそうなんだ、お前たちが〝トムとアルフレッド〟だったのか……」
メアリーはコーヒーを淹れ、ニックにも差し出した。
ニックはペコリとご馳走になる。
「ありがとう。……ジョードさんがそのトムとアルフレッドを君に頼んだのは……君が獣医だからか?」
メアリーも椅子に腰掛け、カップを手にした。
訊ねるニックをよそに、またビンセントと話したことを思い出す――。
――「トムをどこで拾われたんですか?」
「ケプトクリーン駅近くの踏切だった」
「四年前まで、私はその町に住んでいました。当時私の病院の前によく子犬や子猫が捨てられていたんです。それをニックが嫌って……またどこかへ捨てに行って」
「何だと?」
「その中に……生まれたばかりのトムが」
「……まさか、覚えているというのか?」
「はい。胸の模様も印象的で」――。
「……なぁ、メアリー」と首を傾げるニック。
メアリーがニックをじっと見つめているとオーブンのアラームが鳴った。
「いい匂いだな。ひょっとして、パン?」
「そうよ。あなた、そんなにパン嫌いだった? ビンセントさんにそう言ったでしょ」
「……いや。あれは挨拶がわりだった」
メアリーが焼きたてのぶどうパンをトレイにのせ、切ってニックの前に。
ほんのり甘酸っぱい香りが漂う。
「おぉ、旨そうだな」
「ビンセントさんからもらったレシピで作ったの」
ニックはそのパンを見つめた。
そして彼の想いが生きているのか――とパンを口にした。
「こ、これは……美味しい」
素直に感動するニックに、メアリーは言った。
「ニック。あなたは昔このトムを捨てたけど、ビンセントさんは拾った。それはビンセントさんにとってもトムにとっても素晴らしい出逢いだった。……きっと、それで良かったのよ」
ニックはハッと気づいてトムを見つめた。
無垢で澄んだトムの瞳に彼は顔を覆った。
****
トムの澄んだ目がフリーホイールの街を見つめる。
そこは高台の墓地。
住んでいた場所もよく見える。
アルフレッドが並び、メアリーが寄り添い、ビンセントを偲んでいる……。
一月の半ば、トムはアルフレッドに言った。
『ぼく、マナに会いに行く』
あれからまた、マナたちは去った。
彼女たちの幻影は今も漂う。
アルフレッドはわかっていた。
トムは窓から外を見つめてる。
『どうしても気になるんだ』
『行けばよい。だが無理はするなよ』
トムの瞳は輝いていた。
『命に従うのじゃ。その鼓動を感じながらな』
『うん! わかった!』
そしてトムは旅立った。
雪降る晩、アルフレッドは丘の上に立ち、トムを見送った。
トムの行く末を案じ、天高く、祈りの咆哮を轟かせた……。
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