第11話 ビンセントの覚悟

 トムはマナと川のほとりにいた。

 あれ以来、二匹はよくこうして会って遊び、話をする。

 曇り空の下、マナはトムの表情を窺いながらポツリと言った。


『……わたし、ちっとも楽しくないわ』

『…………』

『……トム。もう!』

『……え? え? 何か言った?』

『そんな感じでさあ! この頃黙ってばっかりじゃない。……いい。もう帰る』

『ちょっ、ちょっと待ってよマナ、ごめん! ごめんよ謝る、考え事してて……ごめん』



 トムはマナに擦り寄って悲しい目を見せた。

 マナはその頬を舐め、慰めた。

『……わかってる。わたしもわかってるわ。ビンセントさんがお店をやめて、あなたもアルフレッドさんも元気がない。寂しがってるって』

『……うん』

 マナは思いきって打ち明ける。

『ねえトム。わたしたちと……一緒に来ない?』

『え?』

『わたしたち、そのうちこの町を離れる』

『何で?』

『お父さんがもうここには住めないって。裏山の家も壊されて、食べ物も少なくなって……どこか、港町にでもと』

『……そう。みんな?』

『みんなよ。……だから、わたしたちと一緒に、ね?』


 見つめるマナの綺麗な瞳。でもトムは何も答えられなかった。

 マナは俯き、黙ってその場を去った。


 カシラは遠くからマナとトムを見つめていた。

 厳しさを秘めた右目で、娘と彼を見守っていた……。



 ****



 その日の夜、ニック・オルソンが家に訪ねて来た。

 咳をこらえながらビンセントは睨みつける。

 トムの毛が逆立ち、アルフレッドが吠えた。

「……お前たち、おとなしくしておれ。よく来たなニック・オルソン。さあ中に入ってくれ……話をしよう」



 薄明かり、椅子に座って対峙する二人。

 骸骨のように痩せ、変わり果てたビンセントをニックはまじまじと見つめた。


「どうしたオルソン。顔がひきつってるぞ……」

「……あ……いや、ビ、ビンセントさん。その……あんたの病気のことは知ってる」

「……ほう。調べたんだな。さすが、市と結託してる……。じゃあ、俺が死ぬのを待つのみ……そう、思ってるだろ? 違うか?」

 ニックは額の汗を手で拭い、ネクタイを緩めた。

 ビンセントはしばらく咳き込んだ後、喘ぐ息でニックに迫った。


「……だが、やらんぞ! この家は息子たちのものだ! ……絶対に、貴様たちの思うようにさせるものか!」

 ニックはたじろぐが、言い返した。

「……あんたに息子などいないだろう? クレイドルズ移民で身寄りもない! 先立たれた女房との間に子供はいなかったはずだ!」


 その言葉に、ビンセントはカッとなった。

 顔を赤らめ、肘当てに掛けた杖を振りかざした。

「オルソン貴様! ……許さん!」

「ひ、ひぃっ!」

「ワンッ!」


 その時ニックの前にアルフレッドが割り込んだ。

 アルフレッドは身を呈し、ニックをかばった。

 ビンセントを見つめる目が悲しかった。

 トムもビンセントの膝に乗ってきて、澄んだ目で何かを語りかける。

 ビンセントはふと我に返り、ゆっくりと杖を下ろした。



「……お前たち」そして「おい。オルソンの息子よ……」

 座ったまま胸に手を当て、ニックを指差すビンセント。

 ニックはアルフレッドを押しのけ、反った体と乱れた髪を正した。


「……わ、悪かったな……つい、言い過ぎた。だがジョードさんよ。本当にどうするつもりだ? ここを」

「……売るさ」

「え?」

 石炭のような黒い目で、痩せこけた頬に執念をたぎらせビンセントは答えた。

「ここは、お前たちに売る」


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