第5話 ようこそジョードの店へ
「いらっしゃい!」
厨房に入っていたビンセントがカウンターへ出てきた。
高級なスーツ姿の客、ニックは冷めた青い目玉と細くしかめた眉を動かして店内の様子を窺う。
しばらく何も話さず、トレーも持たず、ジロジロ見て回る。床や天井も見たりする。
ビンセントは気軽に声をかけた。
「そこのぶどうパン、うまいよ。天然酵母の生地でレーズンも甘酸っぱい。そのコロネもメロンパンも自慢だ。どれ、試食で切って」
すると、
「あ、あ……」とニックは手で話を制した。
「俺ぁ、パン嫌いだから」との返答に、ビンセントは固まった。
「何だと? じゃあ何の用で……セールスか?」
「いえ、違いますが……」
びしりとキメたその
ニックは派手にアルマーニの懐を広げ、名刺を取り出した。
「あんたのこの場所、この土地に用があってね。ビンセント・ジョードさん」
「……お前……何者だ? 土地だとぉ?」
「ニック・オルソンという者です」
しかめっ面のビンセントにニックは名刺を手渡した。
「……オルソン・エンタープライズ?」
「デパートの
知ってはいても、ビンセントは認めたくなかった。
「……いや、知らん」
「年商五兆のNOEAをご存じない? いやぁ、ウチもまだまだかな〜。いや、あんたが世間を知らないんだ」
「おい。俺に喧嘩を売りにきたのか?」
「だからセールスじゃなくて。ははは失礼。だがそのうちあんたも興味が湧いてくる」
ニックの高慢な口の利き方に、ビンセントは苛立った。
ニックは額のサングラスを胸に仕舞い、ニヤニヤしながら今度は広告を一枚カウンターに広げた。
「これです」
ビンセントは怒りで見ようとしない。
「ここの向かいのアパート、その隣りの肉屋もそのまた隣りの果物屋も。来月から解体工事に入るんですよ。奥の廃棄ビルも全部ブッ壊して八の二番街の敷地いっぱいにこのNOEAができるんです。素晴らしいでしょう? ほらこんなに立派な……あ、ご心配なく。住民たちは皆、立ち退きを承諾しましたから」
「本当か?」
「ええ、簡単に」
「金で、か?」
「まぁね。引っ越しのタシにでもなればと」
「ふざけるんじゃない。いつの間にそんな真似を。あそこの人間は皆この八番街に慣れ親しんでる……」
「知ったことか。とにかく、来年には建つんだ。ウチのデパートが。……このフリーホイール自体、玄関口として早急に作り直さなきゃならんのだ」
「玄関口?」
「空港ですよ。その事は新聞でも知ってるはずだ。来年の五月、街の山手の方にできる〝ブロウィン空港〟。我々は先を見越してる。国内線旅客機の中継地点として多くの人間がここに流れ込む。そのうねりは大きなマーケットになる。フリーホイールは古く薄汚い街だ。惹きつけるモノが全く無く、落ちぶれている。はっきり言って死にかけている」
「何だと!」
ビンセントは怒鳴った。ニックは退かない。
「いいふうに捉えてくれませんか、我々は生かそうとしているんだ。活気溢れる豊かな街にする為に。オルソン・エンタープライズは世界レベルだ。いいか? 繁華街だけでなく〝市〟の景観さえ変えられる」
全く人を見下している……なんて嫌な奴だとビンセントは歯ぎしりし、その大きな目でニックを睨み続けた。
「街は人が動いて何ボだ。わかるか? ビンセントさん」
「帰れ。もうウンザリだ」
「……ふむ」
ニックは煙草を咥え、火を着けようとする。
「ここで吸うやつがあるか!」
ビンセントの一喝。
ニックは口を尖らせしぶしぶ仕舞う。
「……ジョードさん。デパートってのは何でも揃う。欲しいものは何だって売ってる。そう、パンだって。そしたらあんた……商売あがったりだろうな。ここの隣りの金物屋も花屋も裏の市営アパートの住民も、いずれ立ち退くだろう。あんたもよく考えた方がいい……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます