第十六話 刀
地下三階に突入して、二十日が経とうとしていた。
地下四階に続く階段は、すでに見つけてある。そこに繋がる近道も解放してある。それでもハルディンは、地下四階に降りる気はないようで、もう全部の部屋を見て回った地下三階の探索をまだ続けていた。
ハルディンが地下四階に降りようとしない理由の一つに、地下三階の敵が落とす装備が優秀な物だというのがある。魔物を倒すと宝箱が出てくる仕組みはいまだにわからないが、ともかくその宝箱から出てくるものは、地下一階と比べて格段に質がよくなっている。ダルカンは籠手とブーツを新調し、ジーマも
だが、それをよしとしない者が一人いた。ウォーレンである。
「ハルディン、まだ下に降りないのか?」
もう何度目かになるやりとりだ。下に降りる階段の近くに差し掛かるたび、ウォーレンはハルディンにこう尋ねていた。
「まあ、もうしばらくここで装備集めだな、俺もそろそろ剣を新しくしたいし、ウォーレンももう少し視界の広い兜とか欲しいだろ」
ハルディンがいつもと変わらぬ調子で返すのに対してウォーレンが不満げにバケツ兜の下で呻いた。
ウォーレンは焦っているのだ。
ヘイオーンからアンファング捕縛の任を受けてやってきたのに、多数の兵士を犠牲にしていまだ迷宮でアンファングの痕跡すら見つけていない。さらに途中ラース教のゴタゴタが間にあって、迷宮攻略は遅れているのだ。こうしている間にも、他の冒険者パーティが地下三階を踏破し、下の階に進むかもしれない。自分たち以外の冒険者がアンファングを捕らえてしまったら、彼はもう死んでいった部下たちに顔向けできなくなる。
「もう十分に地下三階は探索しただろう、ニルダの呪文があれば
普段はすぐ引き下がるウォーレンだったが今日は違った。焦りが限界に来ていたからだ。早く地下四階の探索を始めたい。しばらくウォーレンと睨み合っていたハルディンだったが、やがて大きく一つ息をつくと、
「わかった。なら地下四階で一戦だけしてみよう。その結果次第で下に進むかここに留まるか決める。それでいいか?」
「結構だ」
ついにウォーレンの希望どおり、試しに地下四階に降りることに決定した。まだお試しの段階だったが、ウォーレンはそれでも満足だった。彼は他の冒険者に先んじて、下に降りたかったのだ。ハルディンは剣の鞘で一つ床を叩くと、パーティを見回して言った。
「よし、全員装備を再確認だ。済んだら地下四階に降りるぞ」
地下四階も、見た目にはとりたてて変わったことはない。相変わらず暗く、石畳の床が続く。しかし地下三階よりもさらに重苦しい空気が、パーティの上にのしかかってきた。
「迷宮を構成する魔力が、さらに濃くなってますわね。この階ではいったいどんな恐ろしい魔物が出てくるやら……」
ニルダがそう呟いた矢先、一行の視界の端を何か小さいものが過った。ダルカンが急いで『灯火』の炎を引っ掴んでその方向を照らす。
そこにいたのは一匹のウサギだった。白い毛の耳の垂れた小さなウサギが、鼻をひくひくさせながら後脚で立ち上がってウォーレン達を見つめている。
「な、なんでこんなところに……ウサギが?」
「どこかから迷い込んだのか。こんなところまで降りてくるなんてずいぶんなウサギだな……ほら、こっちに来い。外に連れて行ってやるから」
ウォーレンがウサギのそばまで行き、かがみ込んでもウサギは逃げる様子もなく、相変わらずその場で鼻をひくつかせている。ウォーレンがウサギに手を伸ばした瞬間、ニルダが叫んだ。
「ウォーレン様、さがって! そのウサギ──魔物です!」
驚いたウォーレンがニルダの方に振り返る。その隙を見逃さず、ウサギはウォーレンが差し出した手から腕、肩へと駆け上り、その長い耳を横薙ぎに振った。
後ろで見ていたハルディン達には、ウサギの耳がウォーレンの首をすり抜けたように見えただろう。しかし実際には耳はウォーレンの肉を裂き、骨を断っていた。ウサギの耳が首を離れた直後、ウォーレンのバケツ兜が不自然に傾き、大量の鮮血が迷宮の床とウサギの毛皮に飛び散った。ウォーレンの手が首元を掻きむしるように虚しく動き、それから体が前のめりに床に崩れ落ちる。
まるでカタナだ、とダルカンは思った。故郷の鉱山町で一度だけ見た剣士が携えていた武器。緩く湾曲したその細身の刃物は、持ち主である東の国の剣士が振るう時、恐るべき斬れ味を見せつけた。剣士曰く、熟練したサムライが振るえば、人の首くらい刎ねるのは容易いと。
「『昏睡‼︎』」
ニルダの唱えた呪文がウサギを捕らえ、赤と白のまだら模様になったウサギはそのままコテンと横倒しに倒れる。その上からダルカンが斧を振りかざし、ウサギの首を一撃の下に両断した。そのままウサギの死体は迷宮の床に溶けて消えていく。
だが、それで終わりではなかった。迷宮の闇の中から、『灯火』の光の中に、一匹また一匹と、白い毛皮のウサギが進み出てくる。
「やばいぞ、群れだ」
「どうする、ハルディン」
「ニルダの『昏睡』でできる限り眠らせて、その間に走って三階に行く。幸い階段はすぐそこだ」
階段は一行のすぐ後ろにある。『灯火』の明かりに照らされているので見失うこともない。すぐさまニルダが二度目の『昏睡』の詠唱を始める。
ウサギの群れがハルディン達に向かって飛びかかるのと、『昏睡』の発動はほぼ同時だった。人間の首めがけて跳躍した白い獣たちはその放物線のてっぺんでにわかに勢いを失い、地面にぽとぽとと落ちていく。そのうち一匹などは、血に濡れたウォーレンの鎧の上に落ち、そこで眠り始めていた。しかし全てのウサギが『昏睡』にかかったわけではない。眠らなかったウサギは真っ直ぐにハルディンたちに突っ込んで来る。悪夢のような切れ味の耳をひらめかせて。
「走れ‼︎」
ハルディンの号令一下、ジーマを先頭に、ダルカン、ロンにニルダが三階への階段を駆け上がる。ウォーレンを抱えて引っ張り上げるような余裕はなかった。最後尾になったハルディンは、一瞬だけ床に倒れたウォーレンに目を向け、そのまま『灯火』の火を掴むと仲間の後を追い、地下四階から撤退した。
迷宮都市ファランドール しめさばさん @Shime_SaBa
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