第十三話 ハイエナ

 今まで何人もの生贄を捕らえてきたカルコスだが、彼は一度もその生贄を捧げる現場には立ち会ったことがなかった。いつも所定の場所まで生贄を運んだ後は、幹部と呼ばれる連中に報酬と引き換えに生贄を渡す。カルコスが関与するのはそこまでだった。聞けば引き渡された生贄は、幹部しか知らない隠れ支部へと連行された後、男は生きたまま祭壇の前で焚かれた炎の中に投げ込まれる。ラースの司る領域である炎の中に投じることで、生贄の魂はラースの元に届くからだと言われている。

 そして生贄が女だった場合は、幹部たちの手でたっぷりと『お楽しみ』された後、孕った子を産まされてからやはり生きたまま火に投げ込まれる。産み落とされた子はそのまま幹部たちの手で、次の幹部や戦闘員として育てられることになる。

 通算二十人目の生贄を引き渡したとき、カルコスはここまで教団に貢献したのだから、自分も隠れ支部に行ってみたいと申し出た。しかしその願いは却下され、引き続き生贄を届けるようとだけ告げられた。

 

(幹部連中め、偉そうにしやがって)


 この頃からカルコスの手口が徐々に暴力的になっていく。大人しくさせるためと生贄を過度に痛めつけたり、時には幹部に引き渡す前にこっそり『お楽しみ』もした。幹部連中が自分たちの血を引く後継として大事に育てている幼児の中に、もしかしたら組織の末端である自分の血を引く子がいるかもしれない、そしてそうと知らない幹部連中がその子を育てていくと思うと、それだけで気分が良くなる。

 そして、これまでの貢献がラースに認められたのか、今夜ついにカルコスは幹部よりも恵まれた場所で生贄を捧げることができた。つまりはラースの遣いの前に直接、である。頭部から炎を立ち上らせる生贄を見ながら、カルコスは勝利に酔いしれていた。

 

 

 

 人間時として残酷な判断を下さなければならないこともある。生贄の一人が狼の手に渡った時点で、ハルディンは残り四人の救出を最優先に置いた。さらにいえば、自分たちのパーティの一員でもあり、ヘイオーンの兵士長でもあるウォーレンの救出をだ。もっとも生贄は全員顔を隠されていてどれがウォーレンかわからないので、まずは四人全員救出しなければならない。今燃やされている一人がウォーレンだった場合目も当てられないが、それを確認している余裕などない。馬車の幌が燃えることはないとはいえ、周囲の炎の熱気は馬車内にも伝わってきている。のんびりしていると箱の中にいる生贄が蒸し焼きになってしまう。

 まずはカルコスを無力化しなければならない。迷宮に冒険者のフリをして潜り込んでいたのだろう、今のカルコスは革鎧一式とロングソードで武装している。だが荷台の中ではロングソードは長すぎて振り回せない。それにさっき『火球』の呪文を唱えたということは、こいつは本職は魔術師だ。術使い《スペルキャスター》との戦うときの心構えは昔ロンから教わっていた。曰く『喋らせるな』だ。


「ふんッッ‼︎」


 御者台のそばで馬車の外の光景に気を取られて隙を見せていたカルコスノ背中を思い切り蹴り飛ばす。カルコスはそのままバランスを崩して転落するかに見えたが、ギリギリのところで幌に手を引っ掛け、顔から地面に突っ込むことは免れた。

 足から地面に降り、カルコスが振り返ったところにハルディンの蹴りが顔目掛けて飛んでくる。それを避けるとさらに短剣の突き。どれも掠りもしなかったが、もとより当てることが目的ではない。休みなく攻めて、相手に呪文を唱える隙を与えないのが目的だ。


「しつこい!」


 呪文がダメなら、とカルコスもロングソードを抜いて斬りかかってきたが、本職の戦士ではないせいか、こちらもハルディンに当たらない。結局どちらも有効打のないままの斬り合いがしばらく続いたが、


『そろそろ終わってくれや。ワシも暇やないんや』


 の声と同時に、いつのまにかそばまで来ていた狼が前足でカルコスを地面に転がしたことでおしまいとなった。


「ん……?」


 近くでじっくりと狼を見たハルディンはふと違和感を覚える。

 はて、狼の耳はこんなに大きかっただろうか。

狼にこんな斑模様はあっただろうか。

狼の腰はこんなに低い位置にあっただろうか。


「……もしかして、狼じゃない?」


 こんな生き物を書物で見たことがある。屍肉や骨であろうと構わずに食い荒らす犬に近い獣だ。南方の大陸に生息するらしいが、ハルディンはまだお目にかかったことはない。


『おう、正解ピンポンや。ワシは狼やあらへん。ラース教に飼われとるヴルカーン産の魔獣や』


 そう言って獣は口角を上げてニヤリと笑った。


『百数十年前にまだ子犬やった頃にラース教の連中に攫われてなあ、そこからずっと飼われとる。まあ上げ膳据え膳やし、寝床も快適やし、悪い暮らしではないわな』


 ワシらの種族、ヴルカーンの序列で言うたら底辺の方やしな。と付け足して、魔獣はヌハハハ、と笑う。

 破壊神ラースが封印されたというヴルカーンの山は、ヘイオーンやその近隣諸国の魔物とは比べ物にならないほど凶悪な魔獣が群れをなす地獄と聞く。炎を自在に操るこの魔獣も、ヴルカーンに帰ればこちらでいうコボルトやゴブリンと同格ということか。


「ヴルカーンから来たのなら、ラース神の遣いなんでしょう? この足を退けてください、生贄を五人も捕まえてきたのはそいつじゃなくて僕です!」


 魔獣に転がされたまま、カルコスが叫ぶ。魔獣の足はカルコスの胸の上に軽く置かれているだけのように見えるが、カルコスがどれだけ身を捩っても足の下から抜け出すことができなかった。


『知ったこっちゃないのぉ。ワシは別にラース神の眷属でもないし』

「……なんだって?」

『ワシはワシで、ラース教のお偉い方に頼まれて仕事をしに来ただけや。オンドレのようなドグサレの始末っちゅう仕事をな!』


 カルコスが急に目を見開いて両手で口を押さえる。急な吐き気に襲われた時のようだったが、直後に彼が吐き出したのは吐瀉物ではなく噴き上がる炎だった。

 

『生贄をちょろまかして玩具にしたり傷物にしたり、おのれはバレてへんと思てたんやろけど、上は全部お見通しやぞダボが。せやからワシが出張ってきたんじゃ。毛の一本まで残さず炭にしたるからのう!』


 顔中の穴という穴から火を噴き上げながらカルコスはのたうち回っていた。体の内側から強火で焼かれているのだ。肌は腫れ上がったように赤くなり、あたりに肉の焦げる匂いが広がり始める。しかし不思議なことに、カルコスの着ている鎧や服は、全く燃えていなかった。


『捕まえた生贄の数だけで言えばなかなかのもんやったろうに、その生贄で遊んだりするからこんなことになるんや。おのれは誰かを痛めつけて快感を得とるだけのド外道じゃ。ラース教はその口実を与えてくれるに過ぎん。本当に信仰心があるやつなら、これから神に捧げるていうてるもんに○○○突っ込んだりはせんじゃろうよ』


 魔獣が話し続けるうちにも、カルコスの動きが弱まってきた。吹き出す炎も小さくなり、やがて煙だけを吐き出すようになった頃、カルコスは完全に動かなくなった。


『よし、これで仕事も終わりじゃ。兄ちゃんもさっさとみんなの縄解いて帰ったほうがええで』


 見れば、周囲であれだけ燃え盛っていた炎がいつの間にかほとんど消えている。そして馬車のそばには


「ふがー!」


 魔獣に頭を燃やされていたはずの生贄がジタバタしていた。魔獣の炎は顔を覆っていた布だけを焼き、それ以外はまったくの無傷であった。つまり手足のロープって猿ぐつわはそのまま。ハルディンは慌ててそれを解きに走った。


「というか、こいつらは見逃してくれるのか?」

『アイツの捕まえた生贄なんぞいらんわい』


 魔獣はカルコスの右腕を咥えると、そのまま根元から引き抜いた。肉が千切れるとともに香ばしい匂いが漂う。これしばらく肉食えねえな、とハルディンは思うのだった。


『ワシはこれだけもろとく。仕事の証拠じゃからな。残りは好きにせえ』


 そういうと、魔獣は腕を咥えて森の中へと走り去っていった。

 そして魔獣の去った方とは逆方向から、ダルカン達の声や兵士の足音と松明の灯りが近づいてくるのが見えた。


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