第十一話 燃える森
扉の開け放たれた小部屋の中に倒れているのは、間違いなくあの革鎧パーティたちだった。
(何があった? ゴブリンに奇襲されたのか?)
ウォーレンは剣を抜き小部屋に踏み込む。しかし部屋の中には床に転がって いる革鎧のパーティ以外には何もいなかった。後から部屋に入ってきたデーコンが
「おかしい、ここ二人しかいないっス。あの新人くんがいないっスよ」
「なんだと⁉︎」
確かに床に倒れているのは先輩冒険者の二人だけ、新米の少年の姿が見えない。
「まさか、ゴブリン共の飯としてどこかに連れて行かれたんじゃ……」
ゴブリンというのは非常に悪食な奴らで、人間だろうが動物だろうがお構いなしに腹に入れてしまう。一説では食うものがなければ同族にも手を出すだろうと言われている。あの少年を捕まえて、いまごろ迷宮のどこかで美味しく頂いている可能性もある。しかしウォーレンは床に横たわる二人を見て別のことに気がついた。
「……待て、おかしい。この二人どこにも傷がない」
「これは……死んでるんじゃない、眠っているだけです!」
先日マルコも使った『昏睡』の呪文だ。地下一階にこんな呪文を使う魔物はいないはず。だとすると
「”奴ら”だ! 全員警戒──
そう声に出したつもりだったが、ウォーレンの意識はすでに眠りの中に落ちていた。
右の頬が冷たい。
ぼんやりとしたまま目を開いたウォーレンは、自分が迷宮の床に横たわっていることに気づいた。手は後ろ手に縛られ、足も足首を縛られているようでろくに動かせない。鎧や兜も脱がされ、代わりに口に猿轡。どう見ても囚われの身の格好だ。
「あれ、もう目が覚めたんだ。僕の『昏睡』はみんな結構長い間寝てくれるんだけど」
そう言ってウォーレンを見下ろしていたのは、つい先日ゴブリンと一対一で泥試合をやっていたあの新人の少年だった。しかしゴブリンと相対していた時のオドオドした様子は一切なく、自信たっぷりの顔でニヤニヤとこちらを
「いやあ、今回は大漁だよ。五人も贄を連れて帰れるとは思わなかった。我らが
少年は嬉しそうに微笑いながら、部屋の中をぐるりと見回す。床の上にはウォーレン同様に縛り上げられたデーコンとモイ、それに少年の仲間だった革鎧の二人が横たわっている。身動き一つしないところを見ると、おそらく全員まだ『昏睡』の術中だろう。
「せっかく起きてくれたんだから、自己紹介してあげよう。僕はカルコス。破壊神ラースの忠実な
そう言ってカルコスは、近くで眠り込んでいる痩せた革鎧の背中に乱暴に腰を下ろした。うぐ、と革鎧が呻いたが、まだ目を覚ます様子はない。
「贄を釣るのにヘナチョコの冒険者志望のフリをしてたら、このお人好し二人がいろいろと構ってくれてねえ、頃合いを見計らって捕らえようと思ってたんだ。そしたら僕らと同じように地下一階をずっと彷徨いてる三人組がいるじゃない? ならそいつらも連れて帰れないかと思ってこいつらを眠らせて囮にしたら見事に引っかかってくれてねえ!」
その贄の一つに座りながら、カルコスは喉を反らして盛大に笑いはじめた。予想以上の収穫で相当に気分がいいらしい。しかし、その予想以上の収穫を、迷宮からどうやって怪しまれずに持ち出すのだろうか。
ひとしきり笑った後、カルコスは自分の背嚢から、大きなボロ布と紐を引っ張り出した。
「予定の倍以上の収穫だよ。梱包材が足りないな」
ボロ布を迷宮の床に広げ、その上に縛られた生贄を転がし、最後に布で巻き込んで両端を紐で縛る。生贄のラッピングだ。革鎧の二人は布で包み、デーコンとモイは端切れの布で顔を隠されただけで済んだ。
「さて、最後だ。君はきっちり包んであげよう」
カルコスはウォーレンの目の前にバサリと布を広げる。布から巻き上がる埃とカビ臭い匂いにウォーレンは思わず顔をしかめた。
「あれ、なあに? その顔」
頭上でカルコスの声が聞こえたのと、ウォーレンの腹にカルコスのブーツが突き刺さるのはほぼ同時だった。
「君さあ、せっかく、
カルコスのブーツがウォーレンの顔や腹に容赦なく降り注ぐ。ひとしきり踏みまくり蹴りまくり、カルコスが満足した頃には、ウォーレンの顔の左半分はすっかり腫れあがり、目を開けることもできなくなっていた。
そんな姿を見下ろして満足げに笑うと、カルコスはボロ布の上にウォーレンの肩を蹴って転がし、その上からニヤニヤと笑いながら布を被せた。布で完全に包まれたウォーレンが気を失う直前まで、カルコスの笑い声はずっと続いていた。
♢
ファランドールの北に広がる森林地帯は、外周部はある程度安全が確保されているが、中心部は戦い慣れた冒険者や兵士に同行してもらわなければ危険と言われる魔物の生息地である。
そんな夕暮れの森の中に、一台の馬車が停まっていた。狭い獣道を無理やり通ってきたのだろう、幌のあちこちに小さな枝や葉が貼り付いている。森に生えている薬草を摘みに来た薬師や、その護衛の冒険者が採取中の拠点として使うために草を刈り取った小さなスペースに、馬車は無理やり押し込められていた。周囲には魔物除けの香の煙が立ち込めている。その馬車の御者台に座りながら、ハルディンは油断なく周囲を警戒していた。たまに香の煙など無視して突っ込んでくる剛の魔物もたまにはいるのだ。しかも今日のハルディンは普段の鎧で武装してはおらず、行商人のような、着古したチュニックと上着のみ。護身用に短剣は腰にさしているが、なんとも心許ない。
「やあ御者くん、待たせたね」
森の中から、鬱蒼とした空気とは対照的な爽やかな声。ハルディンが顔を向けると、声の主である少年が茂みから獣道に出てくるところだった。
「お待ちしていました、カルコス様」
ハルディンは御者台から飛び降り、カルコスに頭を下げる。カルコスは手を振って適当にあしらい、
「予定より荷物が多くなっちゃったんだ、運ぶの手伝ってよ」
とさっさと森の中に戻っていく。ハルディンも急いで後を追うと、薄暗い茂みの中で積荷が五つ転がされていた。手足を縛られ、顔を布で隠された人間二人と、おそらくそれと同じ中身であろう布に包まれた何か。それらが戒めを解こうと、不気味に身悶えしている。
「じっとしてなよ」
転がった布包みの一つに慣れた様子でカルコスが蹴りを入れる。
「よいのですかカルコス様、それは大事な……」
「贄だよ? でもうざったく動いて僕らの手を煩わせるほうが悪いのさ。ほら早く馬車まで運んで」
結局ハルディンが五人全員を運ばされた。
薄暗い荷台に並んだ樽の中に、頭だけを隠した生贄を一人ずつ隠し、残りの布包みはこちらも木の長櫃の中に一人ずつ詰め込んでいく。馬車の中には他にも細々とした売り物に見えるがらくたがいろいろと積んであり、外から荷台を見てもただの行商の馬車である。中に生け捕りにされた人間が積まれているようにはまず見えない。
ハルディンが最後の布包みを長櫃に入れようとした時、一端を縛っていた紐が緩んで解けそうになっているのに気がついた。布の隙間から痣だらけの顔が覗き、一瞬ハルディンと目があった。しかしすぐにハルディンは布を縛り直し、そっと生贄を長櫃に納めて、その上から様々ながらくたを乗せて荷台の中を『それっぽく』整えると、御者台に戻った。
「準備できました。出発してもよろしいですか」
「いいよ。早いとここんなところ出よう。僕はこの香の匂いが嫌いなんだ」
ハルディンが手綱を握り、馬車はゆっくりと歩き出した。そもそも馬車が通るとは想定されていない獣道のため、どれだけ気をつけても馬車は揺れる。馬車が大きく揺れるたび、御者台のハルディンの背中にカルコスの罵声が飛んだ。
「森を抜ける頃には陽も落ちているだろう、人目につかないように街道に入れ。そこからは普通の行商人のフリをして北西に進んで……馬車を揺らすな、この馬鹿!」
やがてガタゴトとやかましく進む馬車の音に紛れて、遠くから獣の遠吠えが聞こえてきた。
「狼か、コボルトかもしれません。どうしますか」
「そのまま進め。振り切れないようなら、樽の中身を一つ落としてやる」
「生贄を!?」
「僕らが無事に
カルコスは積み重ねた長櫃の上にまるで自分が王でもあるかのようにどっかりと座り込み、足で樽を蹴って遊んでいる。少なくとも今この馬車の中では、彼が王だった。ハルディンは王にこれ以上は何も言わずに、黙って馬車を進ませた。
遠吠えをしているのは一匹だけのようだった。最初馬車の後方から聞こえていたが、一度吠えるごとに明らかに馬車に近づいてきていた。馬車のすぐ後ろから、馬車の真横、そしてあろうことか、馬車の真上から聞こえてきた。ハルディンが頭上の木を見るが、狼やコボルトのような影は見当たらない。もちろん幌の上にも。
そんなに近くで獣の声がしているというのに、馬車を引く栗毛の馬は、そんなもの聞こえませんとばかりに平気な顔で歩を進めている。
「……なにかおかしいぞ」
ハルディンが馬車を止めた。すぐさまカルコスが御者台のハルディンに掴みかかってくる。
「勝手に馬車を止めるな! まっすぐ進めと言っただろうが!」
次の瞬間、御者台の二人の耳に、馬車の前方からさらに大きな遠吠えが聞こえてきた。
馬車の進路上に、いつの間にか一匹の狼がいた。大きく堂々としたその狼の毛は炎の色と同じであり、そのたてがみは燃え盛る炎そのものだった。そしてその狼が再び吠えたと同時に、馬車の周囲の木が一斉に燃え上がり、夜の森を炎の色に染めあげた。
「ダメだ、後ろも炎で塞がれてる!」
「落ち着きなよ。御者くん。よく見な、火の粉は幌にたくさん降り注いでいるけど、全く燃える様子はない。この炎は僕らに危害を加えないのさ」
そしてカルコスは狼を指し、誇らしげに叫んだ。
「五人もの生贄を捕らえたご褒美さ。
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