第九話 疑惑
松明の明かりのみで見る迷宮は、いつも以上に薄暗かった。さらに今日のウォーレンは、顔を隠すための鉄兜のせいで、余計に視界が悪い。
「これはまずいな……ほとんど左右が見えん」
魔物どころか味方の位置すらきちんと掴めないときている。これでは肝心の狂信者すら見つけられないのではなかろうか。
「左右はオレたちで固めます。何か怪しいものがあったら逐一報告もしますから」
そう言ってくれる部下に甘えるほかなく、ウォーレンは両側を部下に挟まれながら、ふらふらと通路を歩き始めた。ともかく扉という扉、道という道をしらみ潰しに見て歩かねばならない。迷宮に潜り込んだラース教の信者が、何か痕跡を残しているかもしれないからだ。
「最後、一匹ッ!」
本日三回目のゴブリンとの接敵である。ウォーレンの振り下ろした剣がゴブリンの顔面を切り裂く。しかし致命傷ではない。
「くそ、浅いか!」
普段より短い剣を使っているので間合いの取り方に苦労していた。本来の剣なら、頭を真っ二つにできていたはずだ。
血だらけの顔で怒り狂うゴブリンの後頭部に、部下が手斧を叩き込んで仕留める。いいフォローだ。
周囲を確認して、まだ残党がいないかを確認する。そうしている間にも、ゴブリンの死体はじわりと床に溶けて消えていく。
「ほんと、どうなってんスかね、この迷宮。死体が溶けちまうなんて聞いたことないっスよ」
ゴブリンの溶けた後の床を見ながら、部下がうんざりしたように言う。魔物は死ぬとすぐさま迷宮の床に溶けて消えてしまう。後にはそいつらの身につけていた服やら武器やらが残されているだけだ。
「お、出ましたよウォーレンさん。宝箱」
そして魔物の死体が消えた後、どこからともなく宝箱が現れる。中に入っているのは、真っ黒に塗り固められた武器や防具。盲目の呪いが特殊な方式でかけられていて、呪いと魔術に詳しい者でないと、本来の武具の姿を拝むことはできない。
「開けるんですよね?」
「いや、宝箱は罠が掛かっているのがほとんどだ。このまま放っておく」
ウォーレンが初日の探索で見つけた三つの宝箱も、全て仕掛け罠がかけられていた。斥候ジーマがいてくれたおかげで全て安全に解除できたが、ここにはそんな器用な真似のできるものはいない。お宝を無視して進もうとするウォーレンを、もう一人の部下が腕を引っ張って止めた。
「ダメっスよ、オレたちは一攫千金を夢見てる冒険初心者のフリしなきゃいけないんっスから。せっかくの宝箱を置いて先に行くなんて不自然でしょうが!」
「う……た、たしかにそうだ……」
戦利品を無視していく冒険者など不自然極まる。この暗闇の中で、もし狂信者たちがこのまま宝箱を置いていくウォーレン達を見ていたら、たちまち警戒されてしまい囮として機能しなくなる。かくして、ウォーレンが宝箱の開封に挑むことになった。何かしら中から飛び出してきても、鉄の兜が守ってくれるはずだ。兜に当たればだが。
(うむ、全くわからん。ただの
箱の前にかがみ込んで、おっかなびっくり触ってみたり、横から見てみたり、下から見てみたりと色々やってみるが、罠の種類どころか、そもそも罠が掛かっているかどうかの判別すらつかない。斥候じゃないとこんなものなのだろう。ハルディン達も、罠の解除中のジーマには全く口を出さずに見守っているだけだった。
「くそ。全くわからん。もう開けてしまうか……」
念のために部下二人を宝箱を挟んで向かい側に立たせる。これなら宝箱が爆発でもしない限りは巻き添えを食うことはない。
「よし、開けるぞ」
ゆっくりと箱の掛金を外す。石礫くらいなら、このバケツ型の鉄の兜が守ってくれる。それ以外の罠──ウォーレンが知っているのは毒針と痺れ
蓋に手を掛け、思い切って開いた瞬間、ガツンと頭に衝撃が走り、ウォーレンは無様に後ろにひっくり返った。後頭部をしたたかに打って、次に気がついた時には部下二人に覗き込まれていた。少しの間気絶したらしい。
「な、何が起こった……?」
恐る恐る右手を頭に近づけると、何か細いものがが兜から生えていた。掴んで引っこ抜いてみると、兜に刺さっていたのは、鉄で出来た短い
「……兜がなければ即死だったな……」
宝箱の中身は真っ黒な見た目でも刃毀れのわかる
結局この日は狂信者の襲撃はなく、ひたすらゴブリンを殴る一日だった。地下一階の奥の方には、第四小隊を毒漬けにした魔物もいるはずなのだが、今日まで出会ったことはない。
街の中の方でも特にトラブルはなかったと、酒場に常駐している兵士から報告があった。
「案外、ラース教の奴らは他の街に用事があって、この街は単に通過しただけなんじゃないっスかね。一泊して今日にはもう出て行っちゃったとか」
「そうだとしても、目的の街がヘイオーン領内だったら問題だ。もし、アンファングを追ってそこそこの数の兵士を吐き出したヘイオーン城やその城下町が奴らの目的地だったら?」
そんな話をしているウォーレン達がいるのは、街の宿屋の『納屋』であった。この迷宮騒ぎで街に急に冒険者が増え、宿の部屋が足りなくなってしまったのである。今人を泊められるのは馬小屋か納屋くらいだと宿の女将に言われて、ウォーレン達は納屋を選んだ。男三人で雑多な道具と一緒に板張りの小屋のような納屋に詰め込まれている。駆け出し冒険者のふりをしている以上、伯爵の屋敷には戻れない。
「だとしたら、ラース教の連中からしたら相当ラッキーなことですよね。あの魔術師を追いかけて城や街の兵士の数が減ったおかげで仕事がしやすくなる。ひょっとして、アンファングもこれに一枚噛んでいるんじゃないかとか思ったりしますよ……」
「アンファングが自分を囮にして兵を引きつけ、ラース信者をヘイオーンの街に入れた、か。つまりこの大掛かりな迷宮は、私達をここに留め続けるための餌……」
「……兵士長、何人か兵を城に戻したほうが?」
ウォーレンはしばらく考え込んだ後、
「いや、今急に兵を動かすのは早計だ。ラース信者がヘイオーン城を目指している証拠もない。ここの警備を減らしてはいかん。ただ、現状の報告と、万が一の警告の書簡は出しておいた方がいいだろう」
「それじゃ女将に書くもの借りてくるっス」
「ああ、頼んだ」
しばらくのち、ウォーレンが書き上げた報告書を持って部下が外に出て行く。書簡は街の住人に扮した兵士に手渡され、そこからさらに二人ほどの手を経てからヘイオーン城に送られる。非常に回りくどい手段だが、目立つ動きをしてこちらの動きを気取られる心配は減る。
「ただいま戻りました」
ガタガタいう納屋の扉を開けて部下が戻って来た。肩に茶色い毛布を担いでいる。
「女将に毛布をもらって来ました、これでなんとか眠れるでしょう」
「おお、これは助かる」
「ああ、それと宿屋の受付でハルディンさんを見かけましたよ」
街に宿屋はこの一軒しかない。ハルディン達もここに泊まっているのだった。
「けど、ちょっと様子がおかしくて。なんだか人目を避けてるみたいにコソコソしながら、宿屋の人に何か手紙と包みを渡してました」
「ほう?」
街の外に手紙や荷物を送りたいときは、宿屋か酒場に預けておくのが通例だ。どちらも行商人が立ち寄る場所なので、行商人の向かう先への荷物を積んで行ってもらうのだ。ハルディンが頼んでいたのも配達の依頼だろう。
(しかし、ロンやジーマ達に隠れて出すような手紙とは?)
ふと、嫌な想像が頭を掠めた。
もしハルディンがラース教の信者で、他の仲間に正体を隠していたとしたら。
伯爵の招聘に応じて難なく街に入り、冒険者として迷宮を調査する。迷宮攻略に奮闘するフリをしながら、他の信者達が身を潜める場所を下見していたのかもしれない。そして兵士長であるウォーレンが急遽パーティを抜けたことで、ラース教の動きが兵士達に勘づかれたと気付き、仲間の信者のもとにメッセージを送ろうとしている……。
(いや、落ち着け。そうであるという証拠はない!)
あくまでウォーレンの中での憶測に過ぎない。それを証拠づけるものは何もないのだ。それに数日とはいえ一緒に迷宮を進んだ仲だ。ハルディンが何か隠しごとをしているような様子は見受けられなかった。
しかし憶測であろうと、一旦そうだと考えてしまうと、なかなか頭の中から離れてくれない。納屋の明かりを消し、毛布に潜り込んだ後も、ウォーレンは一人悶々として夜を過ごした。
♢
「よく寝た〜、おはようさんっス!」
翌朝、元気な部下のお目覚めである。
「……おはよう、よく寝てたな……」
「ウォーレンさんおはようございまっス! オレどこででも寝れるのが取り柄なんで!」
「……それはいいことだ」
逆にウォーレンはほとんど寝付けないまま朝を迎えた。ばっちり寝不足である。
宿の水瓶で顔を洗って(ハルディンのパーティに顔を見られないかひやひやした)寝ぼけた頭を覚まし、昨日と同じように装備を身につけて迷宮に向かう。迷宮に続く坂道には、ウォーレン達以外に、革鎧を揃いで着ている三人組と、その前にハルディン達のパーティがいた。バケツ兜の細長い視界からハルディンの様子を遠目に見てみるが、ここからではいつもと違う様子は見られない。
(ハルディンは剣の腕が立つ。もし本当にあいつが狂信者で、迷宮の中で襲われたとしたら……)
慣れない装備に狭い視界。そんな中でハルディンを迎え撃たねばならない。ウォーレンは手のひらがじっとりと汗ばんでくるのを感じていた。
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