第八話 囮作戦
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それは獣人や魔物の生まれるよりも遥か昔。
この世界を天上から見守る四柱の神がおりました。
『神々の父にして大地の神ヴィサス』
そしてその子供たち
『揺らぐ水と哀しみの女神ソロウ』
『荒ぶる火と怒りの神ラース』
『閃く風と楽しみの女神ピアチェーレ』
古代の民は神々に支えられて文明を築き、栄えていきました。しかし、次第に信仰を忘れ、破壊と争いに明け暮れるようになるにつれ、地上は荒れ、大地を生み出したヴィサスもその穢れに蝕まれていきました。しかし古代の民はいっこうに戦争を止める気配はありません。
そんな地上の様子を見たラースは怒り狂い、ついには古代の民とその文明のほとんどを焼き払ってしまいました。
自分のためとはいえ、余りにも残酷なラースの行いに恐れをなし、ヴィサスはヴルカーンと呼ばれる山の地下深くにラースを幽閉しました。しかしそれでもラースの怒りはおさまらず、いまだにヴルカーンの山を燃やし続けています。
そして地上では、ラースが焼き払った灰をソロウがその涙で洗い流し、再びヴィサスが人間や動物を産み出しました。
大地に新たな生命が根付いたのを確かめると、ヴィサスはあとの仕事を新たに生まれた女神サリヤナに託し、またラースの不在を埋める為、新たにフェンヌという女神を火の神の座に就け、自らは弱った身体を癒すために姿を隠しました。
こうして再生した世界で、女神サリヤナは無惨な過去を繰り返さぬよう、人々が正しい道を進むよう導き始めるのでした。
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子供の頃、何度となく聞かされたこの世界の神話である。子供用に簡略化されているので、登場する神も逸話の量もごっそり削られているが、その分覚えやすいのが利点でもある。
ヘイオーンや近隣諸国では、神話の神々がそれぞれ信仰されている。都市部ではサリヤナ正教会、水が必須な農村部では水の女神ソロウの聖杯教会、火を扱う鍛冶屋や鉱山では火の女神フェンヌの炎狼教会といった具合。
そして、一度世界を焼き尽くしたラース神を信仰する宗派も存在する。それがラース教である。
火と怒りの神ラースの破壊神としての側面を都合よく切り取った教団で、『今の世の中を再び目醒めた破壊神ラースが焼き払ってくれる。自分たち信者はその後の新しい世界を導く者となるのだ』といった物騒な教義をかかげ、世の中に不満を持つ貧困層や犯罪者を中心にじわじわと勢力を広げている。さらにはラース神の目醒めを促すと称して、あちこちで生贄となる若い人間やエルフを攫ったり、他宗の教会を襲撃するなど、犯罪行為も厭わない連中である。そんな連中が、今ファランドールの街に潜んでいるのだ。
「実に面倒なことになったな。地下迷宮の攻略と魔物の駆除が最優先なのに、そこに頭のイカれた狂信者まで出てくるとは!」
早朝、ブルグラフ伯爵の私室である。ウォーレンを前に、伯爵は苛々とした態度を隠そうともしなかった。
「おそらく、連中は冒険者に紛れて街に入ってきてるだろう。武装して街中を歩いていても怪しまれないしな。経歴を問わず広く冒険者を募ったのが仇になった」
「しかし、一刻も早く迷宮という脅威を封じるには、それしかなかったでしょう。一緒に迷宮に潜ってみてわかりましたが、やはり彼らはああいう特殊な場所での行動に慣れています。うちの兵士達だけでは、未だに地下一階でも難儀した事でしょう」
お世辞でもなんでもなく事実である。ほとんどの兵士が地下一階で撤退するか命を落とし、唯一地下二階に降りた第三小隊も、最初の罠に引っかかって数日苦しんだのだから。
「……ウォーレンよ、奴らの目的が生贄の拉致とした場合、どこで仕掛けると思う?」
「どこで……と言われますと……やはり人通りの少ない路地などでしょうか」
「その可能性もあるだろう。だがもう一つ、狙い目の場所がある。迷宮の中だ」
「迷宮の? ……そうか、他の冒険者を狙うのか!」
「その通り。ここに来た冒険者の中にはまだ駆け出しの者もいる。そんな冒険者を捕まえれば? 街の中の住民を拉致すれば、姿が見えなくなったらすぐに騒ぎになる。しかし最近外から来たばかりの、よく知らない冒険者が急にいなくなったとしても、迷宮の中で死んだか、尻尾を巻いて逃げ出したと思われるだけだろう。結果拉致の発覚は大幅に遅れる」
はじめて迷宮に入った時の周囲の暗さを思い出す。あの時、ウォーレン達はゴブリンにかなりの接近を許していた。ロンの『灯火』のおかげで奇襲を受けずに済んだが、あの暗闇に乗じて、まだ新米の冒険者に奇襲をかけることは確かに容易に思えた。それにもし向こうに呪文の使い手がいたなら、『昏睡』一つで簡単に攫うことだってできる。迷宮の出入り口は、仲間を介抱するフリをしながら通り抜ければ、警備の兵士もわざわざ怪しむこともしないだろう。
「確かに。冒険者が狙われる可能性も十分にありますね」
「そういうわけでな、ウォーレン。お前に一つ頼みがある」
♢
「よし、準備いいか?」
「はい、兵士長……じゃなくて、ええと……慣れませんね急には……」
「すまんがなんとか慣れてくれ。そうでないと囮の意味がなくなる」
迷宮入り口のそばに急遽作られた、兵士の詰所という名の掘建小屋。その中で、ウォーレンは部下の二人と一緒に迷宮探索の準備を進めていた。
ブルグラフ伯から命ぜられたのは、ラース教信者を捕らえるための囮。まだ駆け出しの冒険者のフリをして地下一階を巡回し、ラース教信者が手を出してくるのを待つのだ。狂信者も確かに脅威だが、ウォーレンはこれまで通りアンファングの捕縛を優先したかった。しかし伯爵からの頼みとなると断るわけにもいかず、一旦ハルディンのもとから離脱して、こうして部下とパーティを組んでいるのだった。
伯爵の案で、彼らは田舎から出てきた冒険者になりたての三人組という“設定”だ。なので変に敬語を使ったりしないようにと言い含められているのだが、これに部下の一人がけっこう苦戦している。
「しかしまあ、ケッタイな格好っすよね、自分ら」
いい感じに敬語を捨て始めているもう一人の部下に言われて、ウォーレンは改めて自分と部下の装備を見回した。
ウォーレンは錆びついた鉄の兜に革鎧、部下は革の兜とブーツ、もう一人の部下は鉢巻のように巻きつけた厚布に革のグローブという、統率感のかけらもない出立ちだった。革の防具を一揃いしか買えなかったので、三人で分け合って使っているという、これも“設定”である。ウォーレンだけは、顔を見られないようにボロいバケツのような鉄の兜で面を隠している。
ハルディン達には詳しい事情は話していない。急用でヘイオーン城に戻ることになったと部下に伝言を持たせただけである。
ブルグラフ伯爵は、自分が呼んだ冒険者全員を、一旦は「狂信者の可能性あり」として扱うつもりのようだった。そこには当然ハルディンのパーティも含まれる。彼らには一切の情報を流さない。この件は伯爵とウォーレンの兵達だけで片をつけるつもりであった。
「自分で呼んでおいて、いざとなったら疑うというのはやりたくないが、実際何かあってからでは遅いからな」と、伯爵はウォーレンにそうこぼしていた。
街の方から、教会の朝の鐘が聞こえてきた。今頃教会の方にも既に伯爵からの知らせと、警備としてのウォーレンの部下が行っている頃だろう。狂信者の目的が、生贄の拉致ではなく教会への攻撃だった場合を考えてのことだった。教会を利用する住民に不安を与えないように、信者や雑用係のフリをして潜入してもらう手筈だ。
「急なことだがやれることはやった。あとは私たちの張った網に連中が掛かってくれるよう祈るだけだ」
そう言ってウォーレンは、普段使っている剣ではなく、鞘もボロボロの短めの剣を腰に吊る。二人の部下も、どこかの物置から拾ってきたような熊手や手斧を握りしめていた。どこからどう見ても、一攫千金を夢見て田舎から出てきた無謀者にしか見えない。狂信者を釣る餌としては上出来だった。
周囲に人の姿が絶えたタイミングで、誰にも見られないように詰所から出たウォーレン達は、入り口のそばの篝火から松明に火をもらい、迷宮の中へと足を踏み出した。
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