第七話 『昏睡』

 ファランドールの地下に広がる迷宮。その地下二階にははっきりとした意図があった。罠という罠を次から次へと披露する、『罠の見本市』だったのだ。



「どう? ちゃんと動く?」

「ああ大丈夫、元通りだ。痛みもない」


 マルコを除いた全員がほどほどに戦闘経験のあるメンバーだったために、今まで負傷者らしい負傷者のいなかったハルディン達一行であったが、この地下二階でついにウォーレンが治療の必要な負傷者第一号になった。負傷の原因は扉を開けた先に掘られた落とし穴。知らずに突っ込んだ結果足首を捻ったのだ。幸いにもロンの回復呪文は確かなもので、ウォーレンの足はすぐに元通り動かせるようになった。


「しかしまあ、イヤな罠の仕掛け方しやがるよなぁ」


 落とし穴の淵にしゃがみ込んだまま、ジーマが吐き捨てるように言う。


「見ろよこの浅い落とし穴。オレの膝下くらいの高さしかねえ。ほんとに捻挫させるためだけに作ったんじゃねえの」

「けど、底が浅いから捻挫くらいで済んだんじゃないんですか?」

「そうだよマルコ。けど足を痛めたまま先に進むのは命取りだ。だからその都度薬なり呪文で治療しなきゃならねえ」


 ジーマがさらにイライラを募らせていく。


「断言してもいい。少なくともこの階は、こんな程度の罠が続くぞ。たぶんあと何回か禁呪域もあるだろ。そうやって死なない程度にジワジワとこっちの魔力や道具を削っていくんだ」


 一思いに侵入者を殺すのではなく、ゆっくりと弱らせていく毒のような罠の配置。最初の転移罠にしたって、堂々巡りをさせて体力を奪っていくものだ。ウォーレンの部下が先に罠に気付いていたからこそすんなり突破できたものの、もしかしたらハルディンたちがあの通路で延々と歩き続けることになっていたかもしれないのだ。

 そして、もう既にハルディン達は、その毒の中に足を踏み入れてしまっている。一方通行の扉を通ってしまった以上、全員が罠にかかって命を落とすか、先に進む道を見つけてこの不愉快な見本市を抜け出すかの二つに一つしか道はない。




 

 ジーマの予言した通り、進む道には殺傷能力の低い罠と、その合間合間に嫌がらせのように禁呪域が設置されていた。罠は単純な仕掛け罠から、ぱっと見でわからない隠し扉、さらには知らないうちに百八十度進路を変えられているものまで、見本市の名に恥じない様々なラインナップだった。


「ああもう、まだるっこしくて敵わん。なあハルディン、もう壁を掘って階段まで戻った方がいいんじゃないか?」


 細い通路を歩きながら、とうとうダルカンが不満に耐えかねて愚痴り始めた?この階層は、罠の多さと反対に、魔物の数はとても少なかった。戦士としては実に欲求不満が溜まる階だろう。


「掘り道具もないのにどうやってよ。その斧まで壊したら、もう替えはないのよ?」


 そう返すロンもかなり疲れた顔だ。禁呪域で何度も『灯火』を消されたり、細かい怪我の治療を繰り返したりしているので当然だ。

 ダルカンは渋々斧を担ぎなおした。迷宮産の炎の戦斧を一回で砕いてしまってからは、その前に使っていた斧を再び使っているのだった。


「わかっとるわい、まったく……」


 ぶつぶつ言いながらダルカンが一歩踏み出した瞬間、通路の両側の壁が掻き消えた。細い通路を進んでいた一行は、今四角い大部屋の中心にいた。転移罠だ!


「ギシャーーッッ‼︎」


 そしてハルディン達の周囲を、短刀だの棍棒だので武装したゴブリン達が取り囲んでいた。おそらくこの群れのリーダーだろう、一際体格の良い一匹の号令のもと、ゴブリンが一斉に飛びかかってくる!


「くそ、囲まれた!」

「盾で防げ、マルコ、俺の後ろに隠れろ!」


 ハルディン、ダルカン、ウォーレンの三人で盾を構え、後衛の三人を囲う。その盾や鎧めがけて、雨あられと剣や棒が降り注いだ。反撃の剣を抜く暇を与えないつもりらしい。

 ここまで魔物が少ない少ないと思わされ続けてきたところに、いきなりゴブリンの巣に放り込む転移罠。ここまで来た者を嘲笑うかのような、実に意地の悪い仕掛けだった。

 バカスカと盾を叩かれ続けるウォーレンの背後で、マルコが小声で何かを唱え始めた。唱え終わると同時に、甘い匂いのする微風が背中から前に抜けていくのを感じた。そして


「『昏睡』!」


 マルコが叫ぶと、周囲を取り囲んで武器を振るっていたゴブリン達が不意にバタバタと床にぶっ倒れだした。対象を強制的に眠りに落とす、『昏睡』の呪文だ。仰向けにひっくり返った一匹が、グゥグゥといびきをかいている。最初に号令を下したゴブリンリーダーとその取り巻きが、何が起こったのかも分からずにポカンとしてハルディン達を見ていた。


「今だ!」


 剣を抜いたハルディンが、眠りこけたゴブリンを踏み付けてゴブリンリーダーに肉迫する。やっと事態に気づいたリーダーが声をあげる間もなく、ハルディンの剣がその身体を真っ二つに切り裂いた。

 それを見て逃げ出そうとした取り巻きも、一匹はダルカンの斧に、もう一匹はジーマの投げた短剣に一撃で仕留められた。ハルディンに踏み付けられて目を覚ました一匹も、その場でロンの戦棍で頭を割られた。


「よし、群れのリーダーは落とした。残りが起きる前にさっさと始末しよう」


 ハルディン、ダルカン、ウォーレン、ジーマの四人で、手際よく寝ているゴブリン達を絶命させていく。単純な作業だが、あまり見ていて気持ちのいいものではない。


「お手柄だよマルコ。あそこでゴブリンを眠らせてくれなかったらどうなってたことか」


 ゴブリンの寝首を掻きながら、ハルディンがマルコに言った。


「う、上手くいってよかったです、あの呪文、使い方は知ってたんですけど、実際に使うの初めてだったもので…」


 マルコは単調な屠殺作業には加わらず、ロンと一緒に部屋の壁の方に寄って休んでいた。初めて使った呪文が、思ったより体にこたえたらしい。

 ウォーレンもまだ新米の兵士だった頃に一度、教練の一環で魔術師に『昏睡』の呪文をかけてもらったことがある。顔の周りに甘い匂いのする風がそよ、と吹いたと思ったら、次の瞬間には他の同期と一緒に土の地面に顔から倒れていた。呪文をかけた魔術師は、笑いながら彼らを助け起こし、よく眠れたかい、と聞いた。


「顔の周りに甘い風が吹いたのを感じたか?」

「はい、少しだけ。で、気がついたら地面で寝ていました」

「『昏睡』は初級の呪文だが、なかなか厄介だろう。風の神の力を借りる呪文だから、今のように甘い微風がある。戦場で不意に甘い匂いを感じたら、急いでどこか抓るなり顔を叩くなりして刺激を与えるといい。それで運が良ければ耐えられる」


 そんなこともあったなとゴブリンを屠殺しながら昔を思い出していたウォーレンだったが、不意にもう一つのことに思い当たった。その教練の時に自分達に『昏睡』をかけた魔術師こそが、今自分達が追いかけている男、ヘイオーン王家から秘宝を盗み、この地下迷宮を作り出した魔術師アンファングその人だったのだ。


(あの時は、普通の人に見えたんだがな)


 とはいえ、十年近く昔に教練で少し話しただけの人間のことを、どうこう言えるわけもない。ひょっとしたらその時から、何かよからぬ企てを心の中に秘めていたかもしれないのだ。

 その辺りのことも、本人に会えばわかるだろう。その為にも、この意地の悪い迷宮を最深部まで攻略し、彼の元に辿り着かねばならない。





「うわぁもう夜じゃん……一日中迷宮で歩き回ってたんだな」


 ハルディン一行が迷宮から出てきた時には、もう辺りは真っ暗で、空に三日月が昇っていた。

 あのゴブリンの群れを片付けた後、部屋を探索した結果、部屋の隅に地下三階へ降りる階段と、その隣に隠し扉があった。隠し扉の先は、なんと地下一階への階段の目の前。お帰りはこちら、というわけである。

 

「つまり、次からはこのクソめんどくさい地下二階をいちいち回らずに、この扉からすぐに地下三階に行けるわけだ」


 隠し扉は見た目は普通の壁だが、どちらからも開けることができた。見本市をもう一回見て回る必要がないと分かっただけでも、全員がホッとした表情になった。


「帰る前に、この階段だけ見てきていいか? また何か書いてあるかも知れねえからな」


 ジーマの提案で、地下二階〜三階間の階段の調査がなされた。と言っても、ジーマがそっと階段を降りていって、何か書かれたプレートがないか見てくるだけである。この階の手前にあったプレート「見本市」のように、何かヒントが貼りつけてあるかも知れない。

 ややあってジーマが上がってきた。開口一番


「貼ってあったぜ。『本番』だとよ」

「本番、ね。つまり今までの地下一階、二階は練習だったと」


 つまり魔物にしろ罠にしろ、今まで以上に強力なものが待ち構えているというわけだ。


「だとしたら、今日はもうさっさと帰って休むに限る。特にロンとマルコは疲れただろう、早く街に帰ろう」


 そう判断したハルディンに従って地上に出た一行は、街に戻り、それぞれ教会にマルコ、屋敷にウォーレン、残り四人は宿屋へとわかれて帰っていった。

 歩き疲れた足を引きずって屋敷の門をくぐると、頭上から声が降ってきた。


「ウォーレン、かえったか!」

「アドー! ひょっとしてここで待っていたのか?」


 屋敷に客人として呼ばれている人馬ケンタウロス、アドーだった。相変わらず人懐こい笑みを浮かべて、ウォーレンの肩を嬉しそうに叩く。


「今日はかえりがおそいようだったからな、ちょっと心配していた」

「そうだったのか。いや、今日はちょっと複雑な道を歩いてきたからな。いろいろ話したいんだが、今日は疲れてる。明日でいいか?」

「もちろんだ、ゆっくりやすむといい」

 

 アドーがウォーレンの背を叩き、部屋に戻るように促す。その時、ウォーレンは首に何か異物感を感じた。アドーがウォーレンの服の襟に、何かを差し込んだのだ。アドーを見上げると、彼はウォーレンに一つ頷くと、そのまま自分の寝所に向かってゆったりとした歩調で歩いていった。

 

(目が笑ってなかったな……)


 去り際のアドーの表情に何かを感じたウォーレンは、部屋に戻るまで首に差し込まれたものを取らなかった。部屋で部下からの報告を受け、部屋で一人になってようやく、襟に指を突っ込んでそれを取り出した。

 それは小さく折り畳まれた紙だった。ゆっくりと開くと、流れるような字で


『この街にラース教の信者がもぐりこんでいると知らせがあった。じゅうぶん注意しろ』


 と書かれていた。


「……よりによって、あの連中か……」


 ウォーレンは大きく溜息をついた。

 サリヤナ正教会や、聖杯教会、炎狼教会など、この地には大小様々な宗派が存在するが、その中で特別危険視をされているのがラース教である。生贄の為に若い人間を攫い、時には暴力的な手段で他宗と衝突する、早い話がカルト教団であった。


 明日からさらに危険な階層に降りようというのに、過激派カルト教団の信者まで迷宮のどこかに入り込んでいるという。ウォーレンの気分は、どこまでも深く落ち込んでいくのだった。

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