第六話 見本市
翌朝は嬉しい報告から幕を開けた。早朝になって、消息不明になっていた第三小隊が帰還したのだ。
「我々は下層に続く階段を見つけて下に降りたのです。そこから直線通路を歩いていたのですが、それがいつまで経っても終わりが見えない。ならばと後ろに向かって進んでも、降りてきたはずの階段がいつまで経っても見えてこんのです」
拠点として間借りしている伯爵の館の一室で、ウォーレンは第三小隊の隊長から報告を受けていた。ハルディン、ジーマ、ロンの三人も同席している。
隊長がウォーレンの座っている机に地図を広げてみせた。地下二階の階段から伸びる通路を少し進んだあたりから、何度も何度も道が書き直されている。
「そのうち、通路のあるポイントを通過する際に、何か違和感を覚える者が出てきました。なので試しにそいつ一人をその違和感のしたあたりを歩かせてみたんです。すると一瞬のうちに、その兵士は我々の後方に移動していました」
「転移罠だな」
ジーマが即答する。
「石畳の石のどれか一つが罠の引き金になっていて、ある程度の重さが加わると中に込められた魔力で発動するんだ。一定範囲にあるものを、別の場所に一瞬で移動させる。隊列組んで固まって歩いてる集団とかをな」
「その罠が通路の二箇所に仕掛けられていて、彼らはその間を延々と歩かされていたわけだ。俺も駆け出しの時に入った古い遺跡で引っかかったことがある。なかなか気づかないんだよな」
ジーマとハルディンの解説で、ウォーレンや隊長も罠の仕組みが把握できてきた。しかし、地震の間に生まれた迷宮に、そんな罠まで仕掛けられていようとは。
「我々も何か地面に仕掛けがあると踏んで、怪しいと睨んだ場所を思い切り助走をつけて飛び越えたんです。それでようやく階段の場所まで戻って来れましたが、いやもう、正直生きた心地がしませんでした……」
隊長が心底うんざりした顔をして言った。
「しかし転移罠とは面倒くさい。今回みたいなパターンは引っかかったことにすぐに気づけないと、無駄に時間も体力も消耗させられるんだよな」
地下二階への階段を目指し歩きながらハルディンがボヤく。罠にはいい思い出がないらしい。いい思い出のある罠というのもおかしいが。
「つまりアンファングは、あの罠で何か時間稼ぎをしたがっているということか?」
「どうだろうな。本当に時間稼ぎをしたいなら、なんで地下一階には普通に入れるんだ? 俺ならまず迷宮の入り口にゴツい扉とどでかい錠前をつけるね」
たしかに迷宮入り口から地下一階は誰でも自由に通れるし、魔物こそいるが侵入者を捕らえたり拘束するような罠もない。時間稼ぎという線は薄いかも知れない。
「さて、階段だな。部下の報告通りなら、降りて少し歩くと転移罠が張ってあるはずだ」
地下一階の奥まった道の先に下層への階段はあった。ハルディンを先頭に、一歩一歩ゆっくり降りていく。
「待て、そこ何かある。ロン、お前の左手の少し上」
最後尾を歩いていたジーマから声が飛ぶ。慌ててその場所を見ると、階段の壁に手のひら大の金属のプレートが埋め込まれていた。『灯火』の火を近づけて見ると、そのプレートには
『見本市』
と彫り込まれていた。
「見本市? なんのことだ?」
「さっぱりわからんな。こんなところで商売もあるまい」
階段に詰まってああでもないこうでもないと言い合ってもらちはあかない。とりあえず地下二階に降りようということになった。幸い最初に転移罠が敷かれていることはすでに把握済みである。
「報告によると大体この辺りに一つ目の転移罠があるらしい。一人で歩いてみるから、転移したのが見えたら教えてくれ」
そう言うと、ハルディンはゆっくりと通路を歩き出した。ウォーレン達が見守る中、十歩ほど進んだハルディンの姿が、一瞬で掻き消え、数歩分先の地点に現れた。
「ストップ! 今転移したぜ」
ジーマに制止されたハルディンが振り返って、鞘に入ったままの剣で地面をつつく。
「よくできた罠だ。あるとわかっているのに踏んだことも転移したことも分からなかった。この辺りか?」
「その辺だな。じっくり見ても他の部分の地面と変わりない」
「よし、もう一つの罠の方まで行ってみる」
『灯火』の光も届かない暗闇の中にハルディンは歩いて行く。規則正しく鎧の慣らす音だけが聞こえてきた。そして、
「おっ」
やはり何の前触れもなく、ハルディンの後ろ姿が現れた。一度目に転移した場所と全く同じ位置だ。
「明るいところに出たから転移したとわかったが、そうでなければ全く分からんな。この二点の間を、ウォーレンの部下は延々歩かされたわけだ」
「歩き続けるうちに疲れて集中力もどんどん落ちるからな。さらに罠に気付きにくくなる。途中で違和感に気づいたって兵士は相当カンか運のいい奴だ」
罠のある位置を飛び越えて、ハルディンが隊列に戻ってくる。腰のベルトから予備の
「間に合わせだが、とりあえず一つ目の罠の目印だ。この罠を踏んでから、十歩ほどで次の罠。そこでもう一回目印をつける」
「勝手に壁に傷つけて、家主に怒られやせんか?」
「ダルカン、お前も一階の小部屋の壁を煤まみれにしただろう、一緒に怒られてくれ」
軽口を叩きながら、今度は全員隊列を組んだ状態で罠を踏む。矢印を刻んだ壁が一瞬で後方に下がるのを見てはじめて転移罠を踏んだことがわかるほど、静かに転移は行われた。
十歩ほど進み、再び壁に矢印を刻む。今度はその下の地面を一人ずつ飛び越えて、無限ループに巻き込まれないように進む。
「とりあえずこれで転移罠はクリアだな。そのうちもっと目立つ印をつけれるようにしないと」
「鑿と槌でも借りてくるか?」
「そうだな、帰ったら鍛冶屋を探して……って、うわ、何だ?」
一瞬にして視界が暗闇に覆われる。パーティの頭上でずっとぷかぷか浮いていた『灯火』の火が、蝋燭の火を吹き消すように突然消えたのだ。
「転移罠の次は禁呪域か、参ったわね」
暗闇の中で、ロンのうんざりした声が聞こえる。
「きんじゅいき……とは、何だ?」
「その名の通り、呪文が一切効かなくなる場所のことよ。魔力や奇蹟で生み出したものは軒並みここに入ると効果がなくなっちゃう。『灯火』が消えたのもそのせいね」
「また何か引き金をを踏んでしまったのか」
「いいえ、禁呪域は踏んで発動するタイプじゃなくて、壁や地面、天井の一定範囲に魔力を吸い取る仕掛けが埋め込まれてるの。だから飛び越えるとかはできなくて、引っ掛かるしかない罠なのよ」
「なんて厄介な罠だ。何にしても、このままでは何も見えん、街に戻って松明を持って来るか?」
ロンの『灯火』を過信して、二日目以降誰も明かりの類を持って来なかったウォーレンである。ハルディン達は松明の一本くらい持ってきているかもしれないが、ここでは手元が暗すぎるので着火も一苦労だろう。
明かりが一切ない迷宮だが、どういうわけか壁の輪郭は薄ぼんやりと確認できる。とはいえこのまま迷宮を探索するのは非常に危険だ。不意打ちを許せば、ゴブリン数匹とて脅威になり得る。
「あの、たぶん、あと一歩か二歩先に行けば、禁呪域を抜けると思うんです」
それまで静かだったマルコが不意に声をあげた。
「マルコ、わかるの?」
「いやあの、半分カンです。ただ、『灯火』の火が消えた時、魔力が僕らの真上に吸い込まれたのはうっすら見えました。だから、もうちょっと進めば罠の範囲を抜けるかも、って」
魔力の流れを目で視て、武具にかかった複雑な呪いを解くマルコの言うことである。まるっきり当てずっぽではないだろう。半分カンとは言うが、その声からはもう少し確信があるように見えた。
「よし、あと二歩進んでみよう。そこで『灯火』を使えなければ、松明を使う」
マルコの読み通り、禁呪域はすぐに抜けられた。新たに呼び出された『灯火』が、頭上でぷかぷか浮いている。
そして、禁呪域の先にあったのは、通路の突き当たりと、さあ入ってくださいと言わんばかりの木の扉。
「……罠だよなあ」
「罠だよねえ」
ここまで転移罠、禁呪域と来たのだから、この先にも罠があるのは分かりきっている。
「ハルディン、考えられる罠として何がある?」
「そうだなあ、開けた先に落とし穴、もしくは転移罠でいきなり全く別の場所に飛ばすというのもある。あとは一方通行の扉で、開けたら最後戻れなくなるのもあるな」
どれもなかなかに手強い。わかりやすい被害があるのは落とし穴だが、転移罠や一方通行も先の状況によっては全滅もありうる。
「俺が先頭で入る。もし落とし穴に落ちたら引っ張り上げてくれ。転移したらそのまま続いて入ってきて欲しい」
ハルディンが扉を開け、ゆっくりと一歩踏み込む。足元の地面が崩れる気配はない。そのまま全身で扉の先に入るが、転移する気配もない。ハルディンの手招きに応じて全員が扉を潜ると、ひとりでに扉が閉まり、そのまますうっと掻き消えてしまった。扉があった場所には、迷宮の壁が私最初からここにいましたよみたいな雰囲気で立ちはだかっている。
「一方通行だったか。一番かかりたくなかった罠だが、一番これだろうなという気もしていた」
諦め顔でハルディンが言う。ウォーレンも薄々そんな気はしていた。転移罠と禁呪域を超えてここまで踏み込んだ”客”をみすみす帰す気はないだろう。まだまだ商品の紹介が残っている。
ここは迷宮の罠の見本市なのだ。
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