澄、追い込まれる

 結城兵たちを一気に押し返し始め、勝利へのわずかな空気が浮かび始めていた。

 しかし、勝ちの直前が一番危ない。


 それが信条のあたしは、遠くに見えた動きに気がついていた。


「ちっ!さすがに簡単に勝たせてはくれませんか!」


 本陣に、一つの塊が真っすぐに近づいてくる。


 旗印は右三つ巴。


 負け知らずの猛将とあたしの時代では呼ばれる、結城四天王の水谷正村。


 本陣に真っ直ぐに向かっているのは、その猛将が率いる水谷隊だった。


「水谷隊だと!皆の者、怯むな!」


「柵は残っていますので、焦らず弓で足止めです! その間に槍隊は三間槍で迎え撃つ準備です!」


 あたしは氏治さまの声に頷き、本陣の兵を動かす。


 たぶん、水谷隊の狙いは氏治さまの性格を狙っての本陣突撃。


 弱気な氏治さまがいつものように兵を引けば、各隊の士気が下がりいつもの負け戦。


 でも今の氏治さまには、そんな心配なんていらないように思えた。


 ――残念でしたね、水谷隊。今の小田家は、今までの小田家ではないんです!


 この戦、氏治さまの本体はそこまで数が減っていない。


 夜襲をかけられて混乱したと言っても、打ち取られている兵はそこまで多くない。


 それに、勝ち筋が残ってるのに撤退なんてできるはずない。


「弓隊、今です! 槍隊、遠慮はいりません! 全力で迎え撃ちますよ!」


「弓隊!訓練通りにやればよい!放て!」


 あたしと氏治さまの指示が将兵に飛ぶ。


 訓練の甲斐あり、弓隊の連射速度は早い。


 矢が降り注ぎで相手の脚が止まった所に、タイミングを合わせて三間槍を構えて槍衾のように突いて止める。


 槍は叩くのが本来の戦いだけど、ファランクスみたいな突く戦い方だって可能。


 相手よりリーチが長いこっちが先に槍の壁を作れば、相手を止めることができる。


 ファランクスの弱点は側面であって、正面の攻撃力ならローマ時代に多用されただけあってかなり強力なはずなんだ!


「弓隊は、合図に合わせて射撃を! 槍隊は、呼吸を合わせて!」


 そして、太鼓の音ともに槍が放たれ、弓も振り注ぐ。


 槍隊は叩く隙を与えず、声を出しリズムよく突きを放った


 小田本陣隊は、訓練通りの戦いを見せて結城多賀谷連合軍でも最強クラスの水谷隊を見事に食い止める。


 しかし、それが精一杯。


 このままだと、この状況に気がつき相手に援軍が来ちゃうかもしれない。


 何故これだけの攻撃で水谷隊が一度引いたり崩れないのかと思った時に浮かんだのは、たった一言だった、


 ――自信か!


 水谷兵は、自分たちが強いと知り、いくつもの戦いを乗り越えてきている。


 それに対して小田兵は、訓練を積んでいても負け戦が多い。


 その気持ちの差が、この押さえるので精一杯の差になっていた。


「やはり、我らの兵ではかなわぬか……?」


「氏治さま、何を言いますか。まだ、五分と五分でしょうに」


 悔しそうに奥歯を噛む氏治さまに、あたしは淡々と返す。


 今あたしが慌てたら、本陣が突き崩される。


 そんな相手の思うつぼには、させるもんか。


「そんなんじゃ、馬廻衆の人たちも逃がすのに苦労しちゃいますよ?ったく」


 あたしは、冷たく氏治さまに告げる。


 慌てていた本陣の兵たちも、あたしの声で水を打ったように静かになった。


「とはいえ、馬廻の皆さん、万が一の時は頼みますよ。氏治さまだけは、必ず生かしてください」


「な、何を……万が一の時はわしに澄を失って生き延びよというのか? 共に逃げよう!友を澄を失いとうない!」


「何、馬鹿で情けない事を言ってるんですか! あなた本当に小田家当主なんですか! ほんとバカですね!」


「いきなり、な、何を言うか!」


「此度の戦、あたしの策が万が一にも破れても、佐竹、長尾は力を貸してくれるはずです!それに、小田の各将はあなたの下手な采配で撤退には慣れているはずです!大丈夫です!」


 氏治さまの素早い撤退の際には、当然早馬が放たれて各隊も撤退する。


 小田の将兵は撤退戦には氏治さまのせいで悪いけど慣れているから、損害も少なく撤退できるのも嘘じゃない。


 馬廻の方も、氏治さまを逃がすのは慣れているはずだ。


「常陸の不死鳥が、こんなところで死ぬはずないでしょうに。第一、あたしが死なせはしませんよ」


 小田城に入れるかは分からないけど、小田の支城はたくさん生きている。


 そこには、氏治さまを慕う民もたくさんいる。


 生きて撤退すれば小田全体の壊滅は避けられて、あたしが繋いだ長尾、佐竹の援軍で立て直すことも可能のはずだ。


「だからと言って、万が一の時は大切な澄を捨て置けというのか!」


「万が一の時、小田家当主であるご自分の命と、たかが客将のあたしの命の重さが分からないくらい馬鹿なんですか!?」


 いくら不老不死でも、敵兵に組倒され、とらえられ、女ともなれば売られるか犯される。


 死にはしないから、心が壊れてしまうかもしれない。


 そうしたら、氏治さまと再開しても別人、もしかしたら何も考えられない、覚えてない人形なってるかもしれない。


 恩返しだって、当然できなくなるかもしれない。


 それは当然怖いし、氏治さまが助けてくれた命を粗末にする無礼な行為だって分かってる。


 でも、今、氏治さまを失うわけにはいかない。


「そ、そんなことできぬ!し、しかし……」


「何も決められないなら、黙ってあたしを信じてください!」


 自分でもかなり無茶苦茶なことを言っているのは、分かっている。


 でも、今、氏治さまにあたしを信じてもらう覚悟を持ってもらうためなら、どんな無茶苦茶な言葉の詰将棋でもしてみせる。


 今やってるのは例えるなら新しい将棋の駒を作り出して打つくらいの、無茶苦茶な言葉の詰将棋だ。


「あたしは、元々この戦は勝つ必要はないって言ってますよ! 策が決まるまで、耐えれればいい。それこそが、小田家がここから勝つための策なんです」


 耐えればいい。


 そうは言うけれど、あたしの目の前では本陣が押されていく光景が目の前では続いている。


 足軽たちが必死に押し返そうにも、柵がない本陣では敵の圧力が全て。


 水谷隊の圧力は、まさに連合軍側に勝ちを引き寄せる最後の一手にもなるかもしれないほどの圧力だった。


 ――こんな状況でも、あたしは勝ちを諦めてないですよ?氏治さま。あたし、まだこの戦は勝てるって信じてます。


 勝てると意識した瞬間が、一番の負ける瞬間。


 分かっていても、氏治さまが不安になる気持ちもわかる。


 あたしだって、全く不安がない訳じゃない。


 ――でも、万が一。


 もしかしたら、最後の策を放つ前に味方が耐えられず、このまま敵に押し切られるかもしれない。


 もしかしたら、相手に何処かの家から増援が向かっているかもしれない。


 ――後北条。もしくはそこの一派の援軍がこのタイミングで来たら、もうどうしようもない。


 明らかのこの戦いの裏で糸を引いているのは、後北条家なのはわかっている。


 そして、あたしを暗殺しようと刺客を向けたのも後北条家だ。


 結城、多賀谷、小山、その他諸家があたしを暗殺しようとする理由はそこまでない。


 家も大きくなく、なぁなぁでこの乱世を生き残れればと思っている家だ。


 でも、後北条は違う。


 彼らにとって小田は寝返った家であるし、何より関東制圧のために佐竹を攻めるのに一番邪魔な家だ。


 あたしを殺すには十分な理由もある。


 そして、小田城の奇襲。


 牛久方面にあるのは、北条家に属する家が治める領地。


 まさか佐竹側から牛久に集合とも考えにくいし、全力で攻め入っている結城などが兵を割く余裕もない。


 このことから小田城を奇襲した兵たちの出どころが後北条氏が、金品を渡して集めた兵たちだろう。


 ――恐らく、小田の城を与えるとか、そんな事でなびかせたんだろうな。


 ただ、もしその後北条家が援軍に駆け付けたら、あたしの信じている策が間に合わないかもしれない。


 当然そうなれば、問答無用で全軍撤退を通達する。


 その中であたしが無事に撤退できる見込みは、はっきり言えば少ない。


 ――もしそうなれば、小田の滅亡を避ける未来、氏治さまの治める国、その間際を見届けられないな。


 小田家の中で一緒に乱世を生き抜き、戦って、小田家の滅亡を回避する恩返しは出来ないかもしれない。


 でも、あたしは歴史に無かった佐竹と長尾との関係を作った。


 今のまま小田家は、あたし知るより乱世を生き残る可能性は高いはず。


 あたしを助けてくれた事に対しての氏治さまへの恩返しとしては、かなり足りないかもしれない。


 けど、少しは恩返しできたはずだ。


 ――その時は、どうかあたしを恨んでください。


 万が一とはいえ、氏治さまに恨まれるのはすごく嫌だ。


 結局はあたしが恩返ししたいと思ったことで、小田家を史実より早く滅ぼしてしまったとを恨まれるのは嫌だ。


 あたしを初めて認めてくれて、たくさんの笑顔をくれた人に恨まれるのなんて正直考えたくない。


 ――でも、恨むんだったら、絶対生き延びて、小田家を残して、寿命で死ぬまで恨んでくださいよね!


 でも、恨むことで氏治さまの心が救われるならそれでもいい。


 大好きな人があたしを恨むことで、長く生きていけるなら。


 民に優しい氏治さまが、生き残るなら。


 小田家を滅亡の運命を変えてくれるなら、それであたしは全然かまわない。


 ――かと言って、まだ諦めてないですからね! 常陸の不死鳥を、まだ舞わせてみせますから!


 きゅっと守り刀を握ったと同時に、物見兵から泣きそうな声が聞こえてきた。

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