氏治、決意す
「おぬしら、
疲労を隠せぬまま、氏治は口にする。
だがいつもの弱気な氏治の声ではなく、どこか重みがあるまさに戦国武将の声色そのものだった。
しかし昇ってきた朝日に照らされたその顔は、どこか覚悟の決まった顔のように見えた。
「わしは至らぬ当主じゃ。戦は下手、小田の城は何度も落ちており、皆に取り返してもらった。民の声を聞くのは出来るが、この小田家を纏める力はない至らぬ当主じゃ」
その言葉を神妙に、家臣たちは受け止める。
それは、小田家の皆誰もがわかっていることだった。
氏治さまは頼りなきお方、だからこそ家臣一同が一丸となって小田家を支えていこう。
その気持ちがあるからこそ小田家家臣団は強力であったのは、彼らが一番わかっていた。
「しかし!」
朝の清らかな空気を、氏治の声が切り裂いた。
そしてその眼は、いつになく力のあるものになっていた。
「何もできないからというて、わし自らが小田家を守ろうともせず、ありもしないことに疑心暗鬼になるのはもうやめじゃ!」
氏治の中で、何かが変わった。
誰かが、自分を守ってくれる。
それは多くの家臣であったり、澄であったり、領民だったり。
自分は守られる立場だと、ずっと思っていた。
しかし、それは間違っていた。
自分は彼らを守る立場にあり、それが小田家当主の務めだと気が付いたのだった。
「此度の夜襲、わしを救ったのは菅谷隊だ。政貞が謹慎を言い渡されたのにもかかわらず、身を挺して彼らはわしを守ってくれた」
その言葉に、諸将は何も言えなかった。
自分たちが菅谷と同じ立場であった時、果たして主君の援軍に駆け付けるだろうか。
それは、誰もすぐに即答は出来ぬものだったからだ。
「確かに小田家は今、二つに割れておる。それはすべてわしの至らぬところである!だからこそ、この戦に勝ったならばその時はわしの心で、跡継ぎを決めようと今心に決めた」
「跡継ぎを殿が決めただと?」
「一体どちらになるのだ……」
家臣団のざわつきが、あたりに広がっていく。
小田家のを二分していた跡継ぎ問題が、決着を見ようとしているのだから当然だ。
「だからこそ、すべてわしに任せい!お主らはお主らとその同胞を信じ、槍を精一杯ふるってくれい!お互いを信じなければ負け戦は必須ぞ!小田家の信じる力を見せつけよ!」
氏治の言葉に最初に反応したのは、四天王の一人、平塚だった。
「確かにそうでござるなぁ。お互いにいがみ合って負け戦となれば、跡継ぎ問題どころではござらぬ!」
「言われればでござる。今小田家が一枚岩にならなば、結城らに散々に打ち破られてしまうのは火を見るより明らか」
「もしや結城のやつら、これを知ってではあるまいな。小癪な、小田家臣団を舐めるな!」
「ならば我らが協力して、小田家家の強さを見せてやればよかろう!」
「何、われらが本気を出せば結城兵など一捻りよ!雫殿の策のおかげで、兵もそれほど減ってはおらぬからな!」
「ここは一時休戦ですな!お互いに」
「いくら雫殿が計略知眼を発揮しても、動くのは我々。雫殿に吉報を届けられれるのも我々でございます。このままでは本当に起き上がれなくなってしまう……やりましょう!」
「やるぞー!」
「小田家の力を見せてやるぞー!」
その声はどんどんと大きくくなり、ついには鬨の声にもならんばかりの大きさとなり戦場に響き渡る。
「わしはこうして生きておる。皆が責を感じるのは当然のことじゃが、わしはこうして生きておる!小田家の州浜の旗は、まだ折れておらぬぞ!結城らを蹴散らすのじゃ!小田の地を守るのじゃー!」
氏治の宣言とともに、鬨の声はまるで大地の唸り声のように戦場に響いたのだった。
「ど、どういうことだ?」
その声は結城多賀谷連合軍の兵の動揺を誘うには、十分だった。
野戦は三日目、結城兵たちは攻め疲れもあったものの小田兵も同じだと思っていた。
それがどうだろう。
朝から鬨の声を上げる穂と、相手は元気ではないか。
短期決戦を見込んでの一気呵成の攻めを二日間も受けているのに、小田兵の気持ちは全く萎えることも折れることなく、まさに炎のように燃え滾ってるではないか。
結城らの兵糧はあと数日分、武器の貯蓄も心もとない。
「今日決めねば、小田城を落とすことは不可能ぞ。今日一気に決めるしかあるまい」
結城、多賀谷ら連合軍の陣から漏れたのは、策というよりも焦りに突き動かされたものだった。
* * *
そして三日目の戦いが始まった。
結城多賀谷は今日で決めるとばかりに、猛攻を仕掛けてきた。
それを、小田の各将兵が策越しに守り切る戦いだ。
しかし、今日の結城兵は動きが違った。
各所で策が何段も突破され、抑えるのが精一杯という状態だ。
「関刑部さま負傷! 隊は何とか持ちこたえていますが、ここのままでは危のうございます!」
「大木修理隊壊滅寸前!敵の勢いが増しています!」
猛虎襲来と言わんばかりに、結城連合軍側は小田側の陣を飲み込んでいく。
戦の旗色は、明らかに劣勢だ。
右翼左翼はなんとか踏ん張っているものの、中央は敵の精鋭部隊の勢いに飲まれそうだ。
その中央部隊も、遊撃部隊である菅谷隊の奮戦で何とか抑えている限りだ。
「これは……引くべきか……いや、ここで引いたとて……」
「引いてはなりません!」
迷いを浮かべた氏治の耳の、あり得ない声が聞こえた。
震えていはいるが、迷いを振り切るような凛とした声。
だが、その声の主はこの戦場には居るはずもない人物だった。
「澄……どうしてここに?」
氏治が声の方に見やると、そこには薄墨色の羽織袴に藤が染め抜かれた陣羽織の人物がいた。
小田家客将、そして氏治の友、雫澄だった。
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