小田家本陣、夜襲を受ける

 小田家と結城多賀谷連合軍の戦は、小田家優勢で進んでいた。


 柵を持った敵を相手の経験が乏しかったのか、数で優る結城多賀谷連合軍は攻めあぐねていた。


 そこに澄の訓練で息の揃った小田兵は攻撃を重ね、敵に痛手を負わせていた。


 小田家の中では大軍を2日もわたり抑えきったことで士気が高まり、楽観的な空気さえ漂っていた。


 だが、それは結果から見ればの事である。


 小田の個々の家の中という意味では連携が取れたものの、家々の連携という意味ではいまだに取れていないままであった。


 それでも戦として成り立っているのは、小田兵が噂通り強固だったこと、澄の策が上手く働いていることが全てだった


「父上……此度の戦、どう見ますか」


「政貞。厳しいと言わざるを得んな」


 何とか2日を乗り切った、氏治本陣から少し離れた菅谷家の陣で政貞は悩みを父である菅谷勝貞すがのやかつさだに打ち明けていた。


 勝貞は政貞以上に知勇兼備の将と言われ、小田家を長きに支えた名将である。


 この時では、政貞に当主を若くして譲ったが領内の運営も戦もまだまだ衰え知らずであった。


「やはり、そう思われました」


「初日は敵の戸惑いもあり、今日も何とか耐え抜いたが敵も一夜で策を練り直してくる。今までのようにはいかぬだろうな」


 政貞、勝貞両名の目には今回の戦が上手く言っているとは思えていなかった。


 相手の戸惑い、連合軍であることの連携不足、立地が相まって何とか『しのいだ』ようにしか映らなかったのだ。


「雫様の策は確かに有効。わしも、ここまではまるとは思わなんだ」


「明智殿の布陣も、非常に良かったですからね」


「うむ。防御に秀でた布陣、さすが雫様が買っているだけあるわ」


 光秀が知力を発揮させて敷いた布陣は、まさに防御に優れた布陣だった。


 川も有効に使い、相手の戦力を半減させたのか類まれなる彼の知略あってこそだった。


「しかし、政貞。今日はいい夜だ」


 政貞に勝貞は、空を見ながらぽつりとつぶやいた。


「は?月が雲に隠れた朧夜ではありますが……」


 政貞は空を見上げたが、それはいい夜には見えない。


 月は雲に隠れてぼやけ、美しいとは言い難い付きだった。


 だが、はっと何かに気がついたように政貞は勝貞を見やった。


「行くぞ。動ける兵は、具足を軽くして待てとな」


 にやりと笑った勝貞に、政貞は黙って頷いた。


 ――まだまだ父には敵わぬ。


 そんな言葉を、押し殺しながら。


 * * *


「眠れんなぁ……」


 軽装になった氏治は、本陣で焚かれるかがり火の中で夜空を見上げていた。


 戦は順調に進み、澄の言っていた3日耐えるという目標を達成できそうになっていた。


 各将の指揮は高く、このままなら抑えるのではなく攻めに転じるべき!という言葉も氏治には伝わってきていた。


「此度の戦でわしも、澄に顔向けできるかのぉ」


 今までは氏治は、澄に対していいところをあまり見せる機会が無かった。


 小田城奪回は澄の指揮があっての事であったし、佐竹との同盟では隣で震えるだけ。


 長尾との対面でも何とか場をとりなしてくれたのは澄であったし、先日も跡継ぎ問題でも痛いところを突かれてしょぼくれるばかりであった。


「これではどちらが当主か分かったものではないし、澄が安心できる小田家を作るのはわしに無理と言われても当然じゃ」


 今までは当主として澄を安心させることは、ほとんどできなかったと氏治は苦笑する。


 澄は氏治が小田家を滅ぼすのを回避しようと、必死に知恵を働かせ心をすり減らしてきた。


 慣れない時代で足りぬものを学ぼうと、必死になってきた。


 それは小田城の奪還、佐竹との同盟、長尾との関係改善と次々と実を結んでいた。


 だが、その代償と言わんばかりに曲者の刃と毒に倒れる事となった。


「わしがもっとしっかりした当主であれば、今回のような目に合わせずに済んだのじゃが……情けない」


 毒に犯されながらも澄が出陣前に皆を集め策を授けなければ、ばらばらの家中では戦に出ることは確かに不可能だった。


 だが、本来氏治自身がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったはずだ。


 家中がばらばらになることも、そもそも澄が毒に倒れることもだ。


「しかし、此度の戦でわしが小田家に勝利を勝利に導けばわしを当主と見ててくれるに違いない」


 今回の戦の指揮は、光秀でそもそもの立案は澄ではある。


 それでも、戦の総大将は氏治である。


 戦の勝利という結果は、澄をきっと安心させる。


 今まで戦で結果が出なかった彼がそう考えるのは、当然であった。


「澄は側にいてくれると助かると言っておったが、やはり小田家当主としての面目もあるからな」


 澄はたまに、氏治と縁側で話すときにこんな言葉を漏らしていた。


『側にいてくれて話を聞いてくれるの、本当にうれしいです。あたしは、氏治さまに拾われてよかったです」


 思い返してみれば、家臣たちの話を聞くと氏治の前と家臣たちの前の澄は違うように思えた。


 家臣たちの前では丁寧でありながら凛として礼儀の正しい、まさに高家出身の客将の姿。


 だが、氏治の前ではその姿は大分影を潜め、18歳……いや、子供っぽく怒ったり拗ねたり笑ったりする一人の女子だった。


 慣れてきたのか500年後のこともだいぶ話すようになったが、それは澄にとっては幸せな時間ではなかったようだった。


『好きなものを、友達に笑われた』


『あいさつしたのに、誰も返事を返さなかった』


『家にあった大好きだった本が、突然無くなっていた』


『悩みを相談できる人なんて、いなかった』


『世界の中で自分がひとりぼっちなのかもしれないって、寂しかった』


 そんな氏治の胸を締め付けるような話の後に、澄は必ず笑っていた。


『でも、この時代はそんなこと一つもありません。あたしをあざ笑う人もいませんし、挨拶したらちゃんとみんな返事してくれて、好きなことは思う存分学べて、こうして氏治さまに悩みもお話しできる。大変なこともありますけど、少なくとも前の時代よりは幸せかもしれません』


 澄は確かに、自分の室ではない。


 血族でもなければ、古参の将でも師でもない。


 だが、小田家当主としてだけではなく、常に隣にいてほしい『友』として守りたいと思っていた。


 当然、こんな戦などせずに二人で土いじりを楽しめる日がくればいいとも。


「そのためにも、此度の戦油断せずに勝ちを……」


「ととと、殿おおっ!」


「な、何じゃ!?」


 氏治の耳に、混乱と恐怖の入り混じった兵の声が響いた。


 ただで事ではないと飛び起きた彼に聞こえてきたのは、信じがたい報だった。


「て、敵の夜襲に御座います!」

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