氏治、戦前に政貞と会う

 小田兵側は小貝川の前に陣を引き、それぞれが陣を形成し連合軍を迎え撃つ姿勢をとっていた。


 澄の読み通り相手の行軍は遅く、物見の兵からも接敵にはまだ半日はかかるということであった。


 訓練された小田工兵たちは、あっという間に柵を4重に立て簡易的な土の畝を作り終えていた。


「殿、後は敵が来るのを迎え撃つばかりで御座います」


「か、勝てるかのぉ……。澄にああは言ったものの、敵は結城や小山、多賀谷など計一万と聞くぞ」


 各陣を回り終えた作戦指揮代理の光秀の言葉に、氏治は気重な声で答えた。


 彼にとっては、何しろ初めてとも言える敵の数。


 いつもは小田の兵は強固だと思っていても、さすがにしり込みをしてしまう数ではあった。


「川を挟んで、戦場は狭い場所。兵多くとも一度に動ける量は、限られております」


 光秀や小田家重臣たちが小貝川を正面に向けたのは、敵兵の動きを制限するため。


 行軍で渡河するとなれば動きが鈍り、渡り終ったとしても整えるのには時間がかかる。


 そこに攻撃をし、さらにその先に柵を設けることで敵の行軍をできるだけ替え食い止めようという物だった。


 それに河原であれば大事な武器『石』の調達も容易であることも理由である。


 小田軍としても澄の命で大量の矢は備蓄しているが、それでもいつなくなるとも言えない。


 その為に中~近距離で飛び道具として投石を扱う投石部隊を、将たちが提案し配備していた。


 石は敵の進軍を止める事と、入手難度の低さ、弓に比べて取り扱い難度が低いことから立派な武器であった。


「そ、そうじゃな。三日耐えれば勝ちという澄の言葉を信じ、此度は何とか兵たちに頑張ってもらわねば」


「ですな」


 そう答えながらも光秀は、一抹の不安を覚えていた。


 ――敵は多勢。別動隊がいれば、こちらの側面をつける。ここから近い手子生城が動いてくれればいいが、そこは政貞さまに連なる菅谷家の城。果たして動いてくれるか……。


 敵がこちらの布陣に気がつき、側面攻撃する可能性は十分に考えられる。


 柵は当然正面には強いが、側面に関しては防御が低い。


 そして澄の訓練していた槍の隊列も、側面からの攻撃に弱いことは光秀も熟知していた。


『この陣は側面には弱いんです。なので、奇襲をできるだけ受けないように正面からやり合わないといけないです』


 まさか澄がここまで読んでいたとは思えないが、もしそうなれば3日耐えしのぐばかりではなくなってしまう。


 ――それに、倒れる前におっしゃっていた三日という刻限の意味が分からない。澄殿が、しっかり言ったからには何かあるのだろうが。


「殿、突然失礼いたします」


 その光秀の思考は、突然の来訪者によって遮られた。


「貞政……お主、何の用だ?」


 本陣に来たのは、具足で身を固めた政貞だった。


 本来なら、政貞が戦の前に氏治の元に訪れるのは何の特別なことはない。


 今まで作戦で、戦場で、時には殿をを務め小田家を支えてきた将である。


 しかし、今の政貞の立場は澄と葉月姫の命を狙った疑いを持つと、家中で見られる身である。


 それも氏治からは、謹慎の言も言い渡されている。


「此度の戦、私の軍は自由に動かさせていただきたい」


 淡々といつもの様に、放った言葉は二人を驚かすには十分なものであった。


「そ、そんなこと許すはずなかろう!此度の戦は各人が耐える――」


「政貞さま、理由をお聞かせ願いたい」


 激高しそうな氏治を制し、光秀は冷静に政貞に向き直った。


 小田家を支えてきたこの男が、軍の規律を自ら乱すようなことを簡単に言うはずがないというのが光秀の中には合ったからであった。


「どこに陣を張っても、今回我ら菅谷家には疑いの目が向きましょう。ならば、戦の激しいところに遊軍として自由に赴かせていただきたく存じます」


「政貞さま、それは、しかし――」


 光秀は、言葉に詰まった。


 いくら疑われている重臣の言とはいえ、簡単に良しとは出来なかった。


 確かに菅谷家は、小田家の中でも最大戦力。


 当然戦に参加してほしいのは山々であり、先ほどまで光秀が懸念していた別動隊への対応も十分可能だ。


 遊軍としての指揮も、氏治の代わりを務めたこともある政貞なら申し分ない。


 だが、遊軍は相当の戦力を失う可能性が高い。


「小田家にもし二心あるのならば、武功を立てることでしか疑いは晴らせぬと存じます。これは、菅谷家の全員の想いと受け取ってもらっても構いません」


 だが、その覚悟は相当の思いがある事は貞政の言葉からも伝わってきた。


 そして陣中を包んだ重い沈黙を晴らしたのは、氏治の一言だった。


「――お主の思いは、わかった」


 だが、その言葉は小刻みに震えていた。


 それは次に出た、彼の苦悩を示すには十分だった。


「そこ武勇と覚悟、存分に見せてもらうぞ。澄を本当に手をかけたのでなければ、存分に働いてみせよ……」


「御意に」


 こうして小田家家中に様々な思いを内包しながら、戦の時刻は刻一刻と迫っていたのだった。

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