澄暗殺未遂変
澄、切られる
「澄ちゃん、今日も軍学を習ってたの?難しくない?」
「はい。日を追うごとに、天羽さまの教えは難しくて。でも問答みたいで面白いですよ」
「うへー、あたしはいやだなぁ。まだ詩歌の方がいい」
夕方の奥の間の縁側を、あたしは葉月ちゃんと歩ていた。
小田家家中で跡継ぎ争っていっても、この奥の間には関係ないから唯一気が抜ける。
稲ちゃんと葉月ちゃんは、確かにお互いの子供を跡継ぎに据えたい気持ちは当然ある。
けど、お互いを蹴落とそうなんて言うことは無く、仲のいい室同士のままだ。
でも、家臣団は別。
奥から一歩外に出るとお互いがどういう手を用意しているのか、見定めていると感じでピリピリしてる。
――冷戦みたいだよね。確かに跡継ぎ問題は一歩間違えば、一家丸ごと燃え上がるくらいの火種だよ。
跡継ぎ問題は、一歩間違えば小田家の一大事。
だけど、あたしは積極的に加担するするつもりはない。
外交や内政の仕組みづくりだったら喜んで発言するんだけど、今回ばかりは別。
今回は、氏治さまの次を決める大事な取り決め。
あたしが『あたしの知る時代だったら――』なんて口出しして決めてしまって、周囲に小田家は雫家って思われるのは心外だ。
それにやっぱりあたしにも父親としても当主としても、らしいところは見せてほしい。
「はぁ、澄ちゃん、ほんと女の子らしくないよね」
「え、そうかな?」
突然の葉月ちゃんの言葉に、思わず首をかしげる。
毎日ちゃんと身体は洗ってるし、髪も梳いてる。
慣れないけどお香を服に炊くのもしてるし、身だしなみも気を付けてる。
髪だってだいぶ伸びてきて、肩にかかるくらいになってだいぶ女の子らしくなってきたと思うんだけど。
「だって、お化粧もほとんどしないし、この前の誕生日の宴だって裏でお仕事してたんでしょ? 行芽ちゃんって女の子から聞いたけど」
「そ、それは……だって、あたしは小田家の客将ですし……」
「それはそれ。これはこれ。軍学だけじゃなくて、連歌とか詩とかを少しは練習した方がいいと思うけど。一人の女としてさ」
思わず口ごもったあたしに、葉月ちゃんの言葉が鋭い逃げようのなく突き刺さる。
「うっ!」
痛い!痛いよ、葉月ちゃん。
この前、稲ちゃんにも行芽ちゃんににすらにも言われたんだけど、確かにこの時代の女の子は捨ててるよ!
でも、あたしだって好き好んでお化粧をしなかったり、詩歌の練習をしてないわけじゃない。
お化粧をしないのは、確かこの時代のお化粧品って水銀が入ってるっていう前情報から。
放置はさすがにやばいから米ぬかたっぷりの袋でマッサージしたりしてるけど、お化粧っていう面では皆無。
連歌の練習は実はしたいんだけど、家中にそこまで教えられる人がいない.
まさか前の時代でもなかった女子力が、この時代になっても結局低いまんまになるとは思わなかった。
「明智さまって都のことを知ってるし、詩歌の教養もあるって聞いたよ?自分の家臣なんだから、教えてもらえばいいと思うよ」
「確かに。明智さまは教養もあるし、文化人だし……悪くないかも」
確かに小田家が大きくなって、都の人とやり取りするにあたって高家出身という肩書がこのままだと悪影響になってしまいそうだ。
少しは連歌や詩歌、香道とかを身に着けておいた方がいいかもしれない。
関東を離れたことのない小田家のみんなにはなられないけど、明智さまならきっと教えてくれるかもしれない。
「でも、あたし連歌をしようにも文字がまだ書けないんだよね」
「えー、知ってるよあたし。毎日練習してるじゃない。だいぶ上手くなったと思うよ」
「だけどさぁ……」
はぁとあたしはため息をつく。
あたしは文字が、ほとんど書けない。
そう言うと語弊があるかもしれないけど、みんなみたいに筆でさらさらなんて夢のまた夢の世界。
毎日いろは歌の写しを見ながら木の板や地面などで練習をしているけど、どうしても前時代の癖が残っていて同じようには書けない。
先日の誕生日のお礼、政貞さまに添削してもらいながら各家に何とかしたためたんだけどあれって読める字だったのかは心配になる。
あと、氏治さまにも文字の練習ということで日々のお礼の一筆書いたんだけど恥ずかしくて渡せずじまいだ。
「跡継ぎ問題を真剣に考えてくれるのは嬉しいし、稲ちゃんだって本当に感謝してた。でも、澄ちゃんの女の子としての幸せを奪うつもりはないからね」
「女の子としての幸せかぁ……。あたしに、あるのかな?」
「えー!あるってば!」
葉月ちゃんにはあたしは冗談めかしく言ったけど、心の中はそんな冗談なんて言える状態じゃない。
あたしは500年前から来た、恐らく不老不死になっちゃった女の子。
いいなって誰かと結婚しても、その人や子供たちが死ぬのをずーっと見守らなきゃいけない。
氏治さまだって、目の前にいる葉月ちゃんだってそう。
どんなに仲が良くても、あたしより先に死んでいくのを見守らなきゃいけない。
それに、ずっと年を取らない妖怪みたいなものと一緒にいてくれる人なんていやしない。
上手く何かで誤魔化して生きていくとしても、人並みの女の子としての幸せはもう諦めているのが本音。
だから氏治さまの室になるつもりもないし、小田家を戦国時代での滅亡から回避する恩返しを成し遂げたら何処かに隠遁するつもりだった。
この時代は戸籍もないし、できたとしても何とかうまくやるすべをそれまでに考えておけばいい。
不老不死を確かめてはいないけれど、本当にそうならあたしは女の子として以前に人間としては幸せにはなれないと決めていた。
――今のあたしの幸せは、こうして小田家のみんなや領民と何気ない話をして、それが長く続いていくことなんだから。
歴史が大きく変わりつつある、小田家。
どこまで、あたしの知識が役に立つかは分からない。
でも、みんなの必死に幸せを守ることが、あたしの幸せだし恩返しになるはずなんだから。
「そのためにも、跡継ぎ問題何とかしないといけないんだけどね。どこで知ったのか、関東についたばかりの長尾様から文まで来たよ」
「長尾から!?ほ、ほんとごめんね、迷惑かけて」
跡継ぎで小田家が揺れていることは、長尾家にとっても心配事ではあるらしい。
『いざとなったら、後見もやぶさかではない』
長尾様と景さまの連名の文には、そんなことまで書かれていた。
「大丈夫!小田家にきて一年。まだまだ恩返しの道半ばだもん、これくらい乗り越えなきゃ!」
気が付けば、季節は再び春を迎え小田家にきて一年が過ぎようとしていた。
小田家を滅亡から救う恩返しのために走り続けてきたから、あっという間。
今はまた大きな山場を迎えようとしてるけど、ここも乗り越えなきゃ滅亡回避って恩返しなんてできない。
これから先はもっと大変な困難が、山ほどありそうなんだし。
「今度、明智さまとその辺りについて動くつもりではあるんだけど――」
その時、あたしの目に怪しい人がけが入った。
黒頭巾をかぶって、明らかに小田の領民や城内の人間じゃない。
そして目が合った途端、一気にあたしたちに襲い掛かってきた。
「葉月ちゃん、危ない!!」
「ひゃっ!?」
こんな時のために準備していた剣を抜いて守ろうとか、怪しい相手に向かって切りかかるなんて出来なかった。
思いっきり葉月ちゃんを押し倒し、覆いかぶさることしかできなかった。
突然、背中に熱い痛みが走る。
もしかして、切られた?
誰に、あたしは切られたの?いったい誰に?
「澄ちゃん!?澄ちゃん!しっかりして!」
痛みの後にどんどん意識が遠くなる。
ぼんやりとする意識の中、泣きそうな葉月ちゃんの声が聞こえる。
ああ、よかった。
葉月ちゃんは無事なんだ。
曲者は去ったみたいだし、葉月ちゃんは大丈夫。
よかった。
「だ、誰か―!誰かおりませぬかー!澄ちゃんが!澄ちゃんが―!」
薄れゆく意識であたしが最後に聞いたのは、泣き叫びながら人を探しに行く葉月ちゃんの声だった。
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