米収穫編

澄、氏治と共に収穫に向かう

「澄!準備はいいか!」


「氏治さま、何でしょう……あの、いえ、もう何も言いません」


「なんじゃ、わしの姿が立派すぎて言葉も出ぬか!」


 うだるような夏が過ぎ、秋口のある日。


 小田城の城門前で氏治さまがいやに気合を入れた姿で、あたしの前に立っていた。


 その姿は堂々としたもので、この前越後の龍と呼ばれる長尾景虎にビビり散らかしていたのと同一人物なんて思えないほど。


 ただその恰好は武将ではなくて、どこからどう見ても農民のそれ。


 どこに行ったんだろう、関東の名族名家小田家の15代目は。


 なんだろう、すっごく頭が痛くなってきた。


「一応、聞いておきます」


「なんじゃ?」


「奥方の二人や、重臣の方々には何も言われなかったのでしょうか」


「うむ!見るなり言葉を失っていたぞ!」


 あたしは、大きくため息をついた。


 それは似合ってるとか素晴らしいっていう意味で言葉を失ったんじゃなくて、呆れてものが言えないが言えない方じゃないですか。


 重臣の方々は毎年だし、稲姫さまや葉月姫さまは『まだ治ってなかったんだ』と呆れているのは想像できる。


 ああ、ほんとごめんなさい皆さん。


 一応、氏治さまに信頼されている将の一人でありながら、この暴走を止めることができなくて。


 たぶんそれは、7割方あたしのせいなんです。


『田植えをしたからには、収穫をせねばらないだろう。それに、澄の作った千歯扱きも試さねばな!』


 そう言われては、あたしも氏治さまの農作業を止めることもできなかったからだ。


 確かにあたしも自分で植えた稲を収穫したいし、千歯扱きの使い勝手も試したい。


 くっそう氏治さま、あたしの操縦が上手くなってる気がして悔しい。


 でも、あたしとしても稲刈りの事を考えてなかったと言えばうそになる。


 領内の見回りをすれば、領民のみんなもいよいよ稲刈りだという声が多い。


 そうじゃなくても、歩くだけでも青々としてた田んぼはいつの間にかきらきらと黄金色に染まっている。


 前の時代では田んぼも季節も天気も全く気にしなかったけど、この時代に来てからは違っていた。


 ちょっと強い雨が降れば田んぼは大丈夫かって気になるし、領内視察で風や草の香りは季節で確かに変わっていた。


「今年は豊作らしくてな、民が喜んでおるなぁ。澄のおかげかの?」


「別にあたしは、神様でも何でもないんですけど」


 氏治さまの言葉に、無意識に髪飾りに手が伸びた。


 転移した理由を聞いた時に神様にもらった、藤の花の髪飾り。


『この髪飾りがある限り、お主の居る土地は豊作が多いであろう。それを、力といたせ』


 今年が豊作ってことは、たぶんだけどその言葉は嘘じゃなかったみたいだ。


 来年も豊作が続くかどうかはわからないけど、今年の豊作は神様に感謝しなきゃ。


 あたしたちの統治や、農民の努力を促すために髪飾りの力があるかもしれないってことは黙っておくけど。


 だって神様だなんだって祀り上げられたら、困るのはあたしだ。


 あたしは氏治さまと小田家のために、やる事をやっているだけなんだから。


 戦国の世が終ったら、氏治さまの菩提を弔いながらひっそり生きる予定なんだから。

 でも、本当に不老不死かは確かめようがない。


 確かめるために自分で毒を飲むわけにもいかないし、首を落としてください!とも言えない。


 まだこっちに来て一年もたっていないのに、老化を確かめるのも不可能。


 間者に切られたりすればわかるんだろうけど、小田城の中でそんなことあるわけない。


 戦場いくさばならわかるかもしれないけど、そんなことになったら小田家は壊滅してるだろう。


 そしたら菩提を弔うどころじゃなくなって、あたしの心も身体も無事では済まないはず――。


「澄?どうした、何か不安でもあるのか?」


「はっ!ああ、あたし稲刈りをした事が無いんですが、大丈夫でしょうか」


 悪い思考のループを断ち切ってくれたのは、氏治さまの心配そうな顔と声だった。

 慌てて、咄嗟の言い訳を苦笑いと共に返す。


 氏治さまにもあたしが不老不死らしいことは、当然秘密。


 バレたらいろいろ気を使わせて困って統治どころじゃなくなりそうで嫌だし、変に気を使われそうだしね。


「分かっておる。田植えも始めててなら、稲刈りも初めてであろう」


 あたしの心には気がつかないようで、困ったような苦笑いに氏治さまは笑顔で答えてくれる。


 確かに自信はないけど、氏治さまが一緒ならなんとかなる気はする。


 だって、子供のころからの稲作に従事しているベテランだもん。


「本来は歌を歌いながら、拍子に合わせて刈るのだが澄はわしとゆっくりやろうではないか」


「え?いいんですか?」


 ちょっと意外な提案に、あたしは首をかしげた。


 小田城下だけでも領民の方の田んぼって結構な数があるし、そこのお手伝いかと思っていた。


 だとしたら、あたしだけがマイペース、いや、超スローペースで刈っていたらそれはそれで邪魔な気がする。


 伊達に田植えの時に脚を取られひっくり返り泥まみれなった挙句、氏治さまに笑われたのが恥しくて頭を下げさせた女ではない。


 あ、もしかして?


「うむ、わしらが刈るのは澄の練習用の田んぼだけじゃからな。安心せい」


「すいません、あたしに合わせてもらって」


 なるほど、確かにあの広さなら何とかなりそう。


 でも氏治さまは、本当は領民たちとたっぷり稲刈りをしたかったんじゃないかな。


 秋の稲刈りは以前の氏治さまの言葉を聞いていると、秋の一大イベント。


 思いっきり楽しめないと思うと申し訳なくなってくる。


 そう思っていると、氏治さまからこんな言葉が返ってきた。


「田植えの時のように澄の失敗を笑って、怒られたくはないからな。それにこのような日に澄も怒りたくないじゃろ」


 こ、この氏治さまって武将は!やっぱり、あたしの操縦がうまくなってやしませんかね!?


 思わず澄ちゃん怒りメーターがぴょこんって跳ねた。


 でも、それはすぐに収まった。


 これが氏治さまの気の使い方っていうのは、もう半年の付き合いで分かり始めたから。


「お気遣い、ありがとうございます」


 歩き始めた氏治さまの背中を追いかけながら、あたしは小さく呟いたのだった。

 だけど、稲刈りっていうのはそんな甘いものじゃなかったのだった。


 確かにあたしが氏治さまと稲刈りした田んぼは、本当に小さいものだった。


 けれど、あたしのひ弱な体は見事に悲鳴を上げていた。


 いや、あたしだってあの田植えの失敗を忘れたわけではない。


 自分なりに筋トレはしてたし、武術の稽古で木刀や打ち刀をそれなりに振ってきた自負はあった。


 だけど稲刈りという物は、思った以上の重労働だった。


 稲刈りを終えた頃にはもう腰がビキビキと音を立てていて、氏治さまと領民の方の祭りの誘いを断って小田城で倒れこんだほどだった。


 そして見事な筋肉痛は、見事に三日三晩続いていた。


「いくら引きこもりがちな女子高生だったからって恥ずかしい……。っていうか、不老不死なら筋肉痛ならないとかないのかな……」


 田んぼをできるだけ四角にそろえるとか、バラバラに散らばりがちな農地の整理とかやりたいことは山ほどある。


 でもそれ以上に、お米を作るっていうのはすごく大変なんだってことをあたしは身をもって思い知ったのだった。


「でも、そうだ。今日は領民のみんなから、知恵を貸してくれって頼まれた事があるんだった……」


 刀があったら杖にしたいくらい、よぼよぼで立ち上がる。


 こんな格好を氏治さまには見られるわけにはいかないから、実はここ数日は氏治さまの室とあたしの私室でもある小田城の奥へ閉じこもっていた。


 本当なら今日も閉じこもっていたいんだけど、さすがに領民のみんなの頼みと聞いたら寝込んでいられない。


「明智さま、鍼の心得なかったっけな……」


 さすがの痛みに、あの押しかけ家臣の事を思い出す。


 薬石無功って故事成語があるように、この言葉の石である鍼は立派な治療のひとつ。


 確か明智光秀って都で医学を学んだとも言われているし、筋肉痛を楽にする方法ぐらい知ってそう。


「で、でもさすがに恥ずかしいよ。治療とはいえ、戦国武将に肌を見せるなんて」


 光景がなぜかありありと浮かんできたので、あたしは首を振った。


 何が恥ずかしくて歴史に名を残した人物に、この貧相な体を見せなきゃいけないんだろう。


 この時代はぷにょんと豊満な女の子が美人の条件だったから、胸がぺったんこで全体的に痩せ型のあたしは美人じゃない。


 それに今回は、筋肉痛。


 治療されて、弱みを握られるのも何となく癪だ。


「とりあえず、誰にも見られないように……あ」


 運が悪いのか、この男の持っている時の間の悪さか。


 よぼよぼと情けない姿を見たのは、よりによってあの氏治さまであった。


「澄!まさか稲刈りで腰をいわせたのではあるまいな! そんなにか弱かったか?」


 心配してるのではなくて、明らかにからかった声。


 変に重くしないで、明るく元気づけたいのは分かっている。


 でも、一応ここは心配の声をかけるのが筋ってもんじゃないですか?ねぇ、氏治さま!?


 落ちついていたはずの澄ちゃん怒りメーターが、一気に限界突破。


「氏治さま……時間はとらせません。そこに、今すぐ、座ってくれますか!?」


 ひゅんっ!


 頑張って笑顔を浮かべようと努めていたけど、あたしがどんな顔をしていたのはか分からない。


 だけど氏治さまは素早く頭の前に座って、ガタガタと震えていたのだった。

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