澄、兼と語り合う
「澄は小田殿を助け、家臣にも一目置かれ、民に慕われているとも聞くが」
「ど、どこでそれを?」
「長尾は、耳が早くてな。それくらい、知っておるよ」
驚くあたしに対しての景さまの返答は、さも当然のようだった。
確かに長尾家はのちの軒猿とも呼ばれる忍びを抱えているのは、前の時代の知識知っていた。
どうやら、その忍びたちはこの世界でも健在。
だから、あたしの情報もある程度は知られているみたいだった。
でも、さすがに未来から来たってことまではバレてないみたいで安心する。
「高家の出身で女子であれば流れ着いた小田殿の城で、唄でも読んでいればよい。それが、こうして小田殿の側に時には他家とやりあうときにも付き支えている。それで、どんな女子か話してみたくなった。回りくどくて、済まなかったな」
そこで、ようやく少しだけ柔らかい顔を兼さまが見せた。
とはいえ、ほんの少しだけ口元が緩んだだけで目は相変わらず氷のように冷たいまま。
長年景虎さまとともに長尾家を支えていて、氷の女としての振る舞いが染みついているのかもしれない。
「いえ、そんなことはありません。お話し出来てあたしは非常に楽しく、有意義でした」
「楽しいか。世辞が、うまいな」
「いえ、本音です」
そう答えながらも、少しだけあたしはもっと景さまのことを知りたくなった。
それは、戦国の世で生きてきた女武将の先輩として参考にしたいだけじゃない。
何故か、兼さまの笑顔が見たくなったからだった。
こんな政治的な場所や話でなければ、この人も、もう少し笑ってくれるんじゃないかって思うし。
「澄と話してみて、いつかゆっくり酒でも交わして話したくなった。なかなかに面白そうだ」
「い、あっ、え! は、早くても、さ、三年はお待ちください」
「なぜじゃ?」
あたしの慌て様に、不思議そうに首をかしげる兼さま。
確かに、政治とか抜きで兼さまと話はしてみたい。
けど、そこに飲酒が絡むのはあたし個人の問題だけど、明らかにやばい。
下手すれば、今からでもお酒を酌み交わそうということになりかねない。
とっさに出たのは、未成年飲酒が嫌だということを説明する通じなそうな言い訳だった。
「ああ、えっと。我が家の決まりで、20までは酒は口にするなと。追い出されたとはいえ、家は家。言いつけは守りたいのです!」
こんな家、戦国時代にあるはずもない。
けど今のあたしは前の時代の倫理が残っていて、つい口に出てしまった。
お酒は父親が酔ってあたしに暴力を振るった嫌な思い出もあるし、前の時代の常識が身についているから未成年飲酒っていうのは気が引ける。
「ふむ、分かった。では、3年は死なぬよう小田家を支えてくれよ」
「心得ました」
よかった、信じてくれた。
でも、この時代のお酒って結構度数が高そうなイメージあるけどやばそうだけど大丈夫かな。
兄に負けず兼さまも約束には厳しそうだし、忘れたなんていうのは許されなさそう。
これは、もしかしたら大変な約束をしちゃったのかもしれない。
「3年後か。その時には兄も私も酒と戦と仏に逃げる日々が、少なくなればよいのだが……」
ふっと初めて兼さまが見せた妹としての感情のこもった言葉は、そんな心配と悲しそうな声だった。
この時代の上杉謙信は、あたしのように義の武将として神格化された人間ではまだないはず。
領土の内紛に悩み、家中の権力争いに悩み、力を頼ってくる他国の有力者に悩みながらも必死に家と土地を守ろうとしている。
そんな、一人の戦国武将だ。
そしてそれを一番側で支えているのは、この時代では珍しい女性武将で双子の妹である兼さまなのだ。
「私は姫ではないから、出来ることは限られているのが悔しいよ」
初めてあたしに見せた、女性としての言葉にあたしは何も言えなかった。
それは、悔しさ以上にどこかむなしさすら感じさせるものだったから。
――もしかして、あたしの生きていた歴史の変わる前の戦国長尾家にも兼さまはいたのかも。
上杉謙信には、否定はされてはいるけど好まれる設定で女性説がある。
死因のこととか、民間伝承とか、海外の書状とかが発端らしい怪しいもの。
けど、もしかしたら、本当に景様のような人がいたのかもしれない。
上杉謙信に付き従う一人の女性がもしいたのだとしたら、その伝承が女性説になったのかもしれない。
「景様。景虎さまは、きっと兼さまが側にいて心強いと思います」
さみしそうな兼さまに、あたしは思わずぽつりとつぶやいていた。
「澄?それは、どういうことだ」
「今は血と地で争う戦国の世、たとえ親兄弟とて敵に回るかもしれない世ではあります」
「そうだな。兄も、義理の兄弟や親せきと戦うことが何度もあった。まことに地獄のような世の中よ」
「でも、血の絆は深い物でもあります。景虎さまは多くの難題を敵を抱えている中で、隣に双子の妹である兼さまがいるのは心強いのではないでしょうか」
あたしは、兄弟もいない。
家族との関係も最悪で、親戚づきあいもほとんどなかった。
一人ぼっちで毎日を過ごす中で、すぐ傍の味方が欲しかった。
そして今は小田家のみんなはいるけれど、血のつながりがある人はだれもいない。
そこにどうしても、壁のようなものを感じることもあった。
だからこそ、あたしは景様の存在が景虎さまにとって本当に心強いんじゃないかって思った。
「そうか。私が兄の力になっておるか……。そうであると、嬉しいな」
あたしに向けられた景様の言葉にはどこか困ったような、それでいて嬉しそうな感情が冷たい言葉と表情の中にも混じっていた。
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