氷の女、長尾兼

 ちょ、ちょっと待って!?


 上杉謙信に姉はいるのは知ってたけど、妹!?


 いや、それはちょっと、想定外というか、歴史が変わりすぎだって!


 とはいえ、このままでは失礼だと思って息を整えて頭を下げる。


「改めまして、雫澄です。かねさまのことを存じ上げず、失礼をしたしました」


「ふむ?珍しい、双子と聞いて嫌な顔をしないのは」


 兼さまには何も珍しい問いかけではなかったかもしれないけれど、あたしはビクンと震えあがった。


 あたしの時代では考えにくいけど、この時代、いや結構新しい時代まで双子は忌み子として嫌われていた。


 それも男女の双子となれば、なおさら。


 普通は家族と面会することもなく養子に出されるか、殺されるのが当たり前。


 ――しまった。この前の明智さまのような失敗はしないようにって、気を付けてたのに!


 前回は失敗を上手くリカバーできたけど、今回はその隙が無い。


 スーッと血の気が引き、冷や汗が浮かんでくる。


「構わぬ。悪い顔をされてるのに慣れているから、驚いただけだ。他意はない」


 構わぬとは言うけれど、凛として真っ直ぐにあたしを見つめる兼さまの瞳は冷たい。


 何というか、氷みたいだ。


 二人っきりのせいで、夏なのに気温が一気に下がって寒気がしてくる。


「雫は、女ながら大したものだ。我が兄に向ってあれだけの物言い、そうは出来るものではない」


「お、お褒めいただき、光栄です」


「佐竹殿の書状、あながち嘘ではないか」


「佐竹さまの書状?」


「小田家は右大将家以来、名望のある豪家であり、氏治もまた普通に優れた才覚があり、譜代の家人も覚えの者が多く、とにかく家名を保っている。その中でも雫澄という女人は智慧の眼を持ち、衰えた小田家を再び名族へと盛り立てるであろう。とあった」


「えっ!佐竹さまがそのようなことを書状に!?」


 さすがに、あたしも驚きを隠せない。


 ちょ、ちょっと待って義昭さま、長尾家にそんな書状を送っちゃったんですか!?


 いくら会談であたしのこと気に入ったみたいだけど、これはやりすぎ。


 恥しすぎるし、小田家中には先日あたしの名前を残さないようにお触れを出したばっかりなのに。


 ――ど、どうしよう。さすがに小田家の外があたしの名前を書状で出す案て想定外だったよ。


 お触れの理由は、簡単。


 あたしは女の子で、この戦国は男性社会。


 小田家は小さな地方の武家とはいえ、書状にあったように歴史のある名族。


 そこに一時とはいえ小田家に女子が仕えていたなんて後世まで残ったら、さすがに問題だと思ったから。


 後、みんなには言ってはいないけど、どうやらあたしは不老不死。


 もしそれが本当なら、書状にずっとあたしの名前が残ってたらおかしなことになる。


 他にも理由はあるけど、とにかくややこしいことになりそうだから家中の書類にあたしの名前を出すことはしないようにしてもらっていた。


 が、当然佐竹さまには伝えていなかったから、書状に書いて出してしまったんだろう。


「は、恥ずかしいので……その書状は燃やしてください。平にお願いします」


 名を残す戦国武将にそんなに評価されてたなんて、恥ずかしすぎる。


 それにやっぱり、あたしの名前が歴史に残るのはまずい。


 震えながら頭を下げると、また兼さまの冷たい声が返ってきた。


「ふむ、わかった。なんじゃ、再程とはまるで別人じゃ。不思議な女子じゃ」


 不思議は言われても、仕方ない。


 あたしは小田家の客将であると同時に、令和を生きていた女の子でもあるんだから。


 戦国の世で生きていくとは決めていたけれど、偉人たちを目の前にするとやっぱりドキドキしてしまう。


「澄」


「は、はい!」


 景さまの声は凛と通るおかげで、名前を呼ばれるだけで学校の授業のように背筋が伸びる。


 なんというか、身体につららが突き刺さるみたい。


「此度の会談、兄としてもきっと有益な物であったはずだ。あれだけの兄に言を申したこと心強く、優柔不断の小田殿を動かしたこと、大儀である」


「それは、どういうことでしょうか?」


「関東の輩どもは、我らが越後に戻るとすぐに他家になびいてしまう。小田殿もそうじゃが仕方ないこととはいえ、悩みの種であった」


 それは、あたしの知る歴史も証明していた。


 関東の国人衆や小さな家々は、季節代わりとは言わないけどコロコロと勢力を変えていた。


 小田家もその一つだったんだけど、仕方ないと言えば仕方ない。


 上杉家を補佐している長尾家の本領は、越後山脈を越えた日本海に接する越後。


 冬はどうしても本領に戻る必要があり、冬の間は関東諸家は長尾家の助力は受けられない。


 そして、北条家や他の勢力からの脅威に襲われて鞍替えして、初夏になれば再び降伏する繰り返し。


 これが上杉謙信が関東管領を名乗りながら、関東支配を進められず関東が荒れ果てた一因であるとも言われている。


「だが、我らに名族小田家がつくとなれば話は別。しかも、あれだけの言を申した。簡単に裏切るとは思えぬ」


 そのような情勢は、この世界でもあるようだ。


 だから、関東の中でも小田家が裏切らないというだけでも、かなりの心強いのかもしれない。


「全域はともかく、常陸国は少しは落ち着くかもしれぬからな」


「微力ながら、お力になれればと思います」


「私は兄が外交や戦に注力できるよう、日々頭を回し時には兄の代わりに戦を行っておる」


「景様は内政も行い、戦にも出向いておられるのですか?」


「運良く、女子ながら才があったようでな」


 あたしの問いに兼さまは、眉一つ動かさず氷のような表情を崩さない。


 でも、内政も戦もこなすなんてさすが、あの上杉謙信の双子の妹。


 この時代の越後は、景虎さまと景さま、二人の上杉謙信で運営されるってことか。


 すごく強力そうだし、しっかり協力しないと小田家なんて指先1つで吹っ飛ばされそう。


 それに、景さまはきっとあたしより頭も切れそう。


 今もすごく堂々としてるから、あたしなんかより戦国の姫武将って雰囲気がすごく伝わってくる。


「とはいえ、国元の越後はまだ問題がくすぶっておるし、寺社や豪族も兄ではなく私が出ると少し素直でなくてな」


 困ったようにため息をついた兼さまに、初めて感情のようなものが見えた。


 もしかして、あたしに向けている氷みたいな態度は外向きなのかも。


 同じ女子とはいえ、名将長尾景虎の妹として、長尾家の重臣としての振る舞いを見せている。


 あたしには、そう見えてしまった。

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