澄、越後の龍の妹と出会う
「長尾景虎である。小田殿、遠路はるばるご苦労である」
「ははぁ!!」
うわぁ、何も言えないで頭を下げるだけか。
いや、気持ちはわかるんだけど、何か返してくださいよ氏治さま。
これじゃあ、来た意味ないじゃないですか。
「隣のものが、噂に聞こえる澄殿か?」
「そ、そうでありますうううっ! 澄は本当にできた女、いえ、将でありまして、まさに計略智眼、わしをいつも支えており、小田家がここまであるのもまさに、澄のおかげと言っても他なりません!」
氏治さま、いきなり早口で言い過ぎだってば。
確かにあたしは小田家のためにっていろいろしたし、計略智眼っていうのも自分に箔をつけるためにちょっとは言ったけどさ慌てすぎ。
「この関東の騒乱を収める力に、小田家、いや澄の力は必ずやお役に立ちましょうぞ!で、ですから、ああ――」
なんだかもうあたしまで恥しくなるけど、氏治さま言葉に詰まってる。
これじゃあ、小田家の立場も力になれることも証明なんてできないよ。
氏治さまの立場を立てようと黙ってるつもりだったけど、ここは家臣としてほおっておけない。
何とか、助け舟を出そう。
「この小田家の力、関東の長たる関東管領を補佐する長尾家が存分にお使いください」
「ふむ。それは、上杉家、いや、長尾家に小田家が従属するという意味でよろしいか?」
「はい、我が当主氏治さまだけではなく、小田家は関東に泰平が訪れることを強く望んでおります」
ピリッとした空気を感じながら、あたしは景虎さまに真っ直ぐに相対する。
今回の会談は前回の佐竹との同盟の時とは違って、長尾家と戦をするつもりはない。
けど、小田家の立場ははっきり言わないといけないことには変わりない。
「今の関東は長尾様の存じているように、長く荒れ果てております。上杉家の関東管領の力は失われ、複数の家が関東管領を自称する有様です」
「それは存じている。本来の関東管領である憲政様が、我が長尾家の領地に逃げ延びるなど、あってはならぬこと」
景虎さまの表情が、厳しくなる。
――うん、この方はこういう方だと思っていた。
権威主義でありながらも、同時に礼儀を重んじる方。
一説には越後に居ながらも頼ってきた上杉家と関東管領を継ごうした行動は、逃げてきた上杉家当主上杉憲政に対する礼儀だけじゃない。
動乱が多い越後と長尾家中をまとめる手段として、幕府の権威のひとつ関東管領を欲したからとも言われいた。
この目の前の景虎さまも、その傾向はあるってことならここは一気に攻めるまで。
あたしは小さく頷き、一手を打つ。
「さらに関東の一部では統治もままならない荒れた土地から逃げ出すものも多く、元より武芸自慢も多い土地柄なのはご存じかと思います。彼らが野党となって、民や商人を襲うことも少なくなりません」
「坂東武士の力はわしも思い知っておる。味方になれば心強いが、敵となれば非常に手を焼く存在である」
「はい。しかし、彼らとて望んでいるのは平和でございましょう。ですが、このままでは争いは終わらず、民はいつになっても安心して暮らすことができません」
「つまりは、このわしに関東管領となり荒れた関東を治めてほしい。そう、申すのだな?」
「景虎さまは、上杉家の養子になったと聞いております。関東管領になるのは時間の問題かと」
前置きは、ここまで。
もう一手、攻める!
「我が小田家は関東の名族として、関東管領の名のもとに関東の泰平のため思う存分その力を振るうことをお約束いたします」
小田家は、ただ長尾家に従属するつもりはない。
関東管領に与し関東の平和のためなら、力を貸しましょうという少し強気な決意表明だ。
下手に下に出ては、小田家は元はといえば関東管領を補佐するはずの家の一つとしてのプライドはないのか!って思われちゃう。
――さて、どう出る?
隣でガタガタ震えている氏治さまなんてほおって置いて、あたしはじっと景虎さまの言葉を待つ。
関東に拠点のない長尾家だから、統治にはどうしてほころびが出る。
それはあたしの持っている、この時代の人間にはない歴史の知識で十分わかっている。
佐竹家と組んだ時点で、後に関東に覇を成す北条側と敵対するのは明らか。
そうなると小田家が手を取るべき力のある勢力は、同じ反北条の急先鋒、長尾家しかなかった。
「分かった。佐竹からの書状もある、小田家が関東平定のために共に働いてくれることを期待する」
「ありがたき、幸せにございます」
重い声が部屋に響き、あたしは安ど感に包まれた。
これで無事、小田家は反北条側への勢力の鞍替えができたってことだ。
「さて、遠路はるばるということだ。さて、小田殿!」
「は、ははぁ!」
あたしと景虎さまばっかりが話してて蚊帳の外状態だった氏治さまに、ようやく話題が向けられた。
「少し酒に付き合え!下戸ではないのだろう?」
「は、はぁ。多少はたしなんでおりますが……」
氏治さまはあいまいに答えるけど、あたしは表情に出さずとも苦笑いを浮かべていた。
上杉謙信と言えば、酒好き武将の一人。
死因の一つとも言われているし、辞世の句として有名な一つが「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」。
こんな句が後の世に伝わってるんだから、どう見たって酒好きにしか思えない。
「よし!ならば飲もう!待っておるからな!」
どこか嬉しそうに景虎さまは口にすると、小姓と共に部屋から出て行った。
「え、えあ、な、長尾様?」
状況が分からずおろおろする氏治さまを、慌てあたしは肘で小突いた。
「氏治さま、待たせて怒らせる前に行ってください……」
「わ、わかった」
訳も分からず部屋を出ていく氏治さまを見送って、あたしは大きく息をついた。
部下であるあたしが呼ばれる可能性は少なかったけど、一応は未成年。
初めてのお酒の相手が上杉謙信なんてヤバすぎるし、自分がお酒に強いか弱いかもわからない。
氏治さまなら、うん、たぶん大丈夫だろう。
景虎さまならお酒でだまし討ちすることも……って、確か家臣に依頼して、政敵を酔わせて溺死させたエピソードがあったような?
い、いや、あれは確か作り話だったよね!? だ、大丈夫かな?急に不安になってきた!
「澄と申したか」
「は、はい!」
氏治さまの背中を見送って、急に不安になったあたしに凛とした声が響いてピンと背筋が伸びた。
声の主は、会見に同席していた女性だった、
「申し遅れた。私、
「え、え!い、妹!?」
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