氏治 抱きしめる

「澄は申しておったな?『いくら甘えたって、頼ったりしていいです。だから、氏治さま、ご自分が死んでもいいみたいなこと、言わないでくださいよ』と」


 氏治さまは顔をゆがめ、涙をこぼしていた。


 この前のあたしの言葉、覚えててくれたんだ。


 もう、それだけで十分だよ。


 ほんと、優しいんだな。


「今の澄は、まるで自分が死んでもいいと言ってるのと同じじゃ。だから、この言葉をそっくり返すぞ」


「え?」


「もっと澄を頼らせてくれ。だから自分がもう死んでもいいなどということは、言うでない」


「で、でも、あたしの出自は……」


「それが、どうした。だからと言って、今までの澄の功が、否定されるわけでもあるまい。わしが頼ってはいけないという、理由にもなるまい」


 なんでなんだろう。


 何でこの人は、こんなにもずるいんだろう。


 小田家に本当は居たいっていう本当の想いを知るように、あたしの言葉を否定するんだろう。


 離れたくないっていう本心を、どうしてわかっちゃうんだろう。


 だから、なんだよ?


 ずっとそばにいて、支えたくなっちゃうんだよ?


「澄はいつか、言っておったな。自分には、特別な才も何もないと」


「はい。あたしは何の力も才能もない、ただ書物で歴史を知るのが好きなだけ。これから歴史が変わったら、なにも役に立たない女子高生です」


 あたしはどうしても小田家にはあたしの存在が邪魔だって信じてた。


 去りたくないのは本音だけど、氏治さまに命ぜられたら納得がいく。


 あたしこそが本当はダメでどうしようもないのは、氏治さまだって分かってる。


 だから、この失態で突き放してほしいんだよ。


「そんな何もない者が、小田城を取り戻し、道具を作り民を助け、今回の会談も誘惑を突き放し、無理と言われた佐竹との同盟への道を必死の思いで奔走し繋ぐことができるだろうか」


 ふわっと、あたしの頭が撫でられた。


 耐えられなくなった涙が、あたしの目からボロボロこぼれる。


「元の才は無いのかもしれぬ。しかし、澄は恩返しせねばと、持てるものを礎に足りないものを学び、自分を磨き、この時代で生きる術、知識を生かす術を必死で身に着けてきた」


 氏治さまは頭を撫でながら、もう一つの手であたしの手をゆっくりと詰む。


「自分の身を顧みずこんなに手をボロボロにして、天羽たちに臆することなく必死に学びを請い、此度の会談でもわしのために持ち得るものを全て使い役立とうとしてくれたではないか」


 もう、ダメだった。


 情けない位しゃくりあげる涙声が、夜闇の小田城に響く。


「確かに、以前の澄は才も何も認められず、役に立たない、親にすら虐げられる名もなき民だったかもしれぬ。じゃが、今は違うのだ。お主は、雫澄という名を持つ小田家臣団の一員じゃ。才もなき、名もなき民ではない」


 あたしの小さく細い身体が、ぎゅっと抱きしめられた。


 そして背中がとんとんと叩かれ、耳もとで優しく氏治さまが呟いた。


「これまで積み重ねたものを必死に生かし小田家を支える大事な家臣で、わしの友じゃ。そう簡単に、居なくなってくれるなよ」


「う……氏治……さま」


「それに、此度の会談も澄の歴史にはないことなのだろう?」


「それは、そうです。小田と佐竹が同盟関係になるなんて、なかったです」


「ならば自分から佐竹に向き合い、同盟の道の一歩を切り開いたのではないか澄、お前の力ではないか」


 優しい氏治さまの声に、顔を上げるとそこにはいつもの優しい笑顔。


「もし家臣たちに問い詰められても、わしは澄の身を守ろう。確かに500年先から来た不思議な女子だが、ここまでの功は術でも何でもなく、澄が必死の想いで重ねたものだったからと皆に伝えよう。皆も、分かってくれる」


「じゃあ、あたし、まだ、そばにいてもいいの……?」


 悪いけど不安で確かめるようなあたしの言葉に帰ってきたの、優しい言葉と抱擁だった


「そうじゃ。だから、先の褒美はやらんぞ?よいな」


 そして、あたしは泣き崩れた。


 これからも小田家に居てもいいかもしれない安心感、あたしを氏治さまが守ってくれるって言葉、積み重ねを認めてくれた事、会談での緊張感からの解放。


 一気に噴出した感情は、嗚咽となって小田城に響き渡った。


「わしに劣らず泣き虫じゃな、澄は。こんなところでは、皆に気づかれてしまうぞ。ついて参れ」


 氏治さまに促されるまま、あたしは氏治さまの屋敷に入っていった。


 そこで、あたしは泣き疲れて意識を失うまで氏治さまの腕の中で泣き続けたのだった。

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