第一次小田佐竹会談、決着す

「なっ!?」


 明らかに狼狽したのは、義昭さまだった。


 明智さまはピクリと眉を動かしただけで、義重さまはポカンとしてる。


「令和の時代では、あたしは高家でも武家でもないただの民の娘でした。書物が好きで、特にこの時代のことを書物で知るのが大好きな平凡な何もない娘でした」


「いささか信じられませんが、雫殿はここにおられます。何があったのですか?500年後は時を渡る力があるのですか?」


 あたしはすぐに首を振る。


「明智さま、そんなものがあればもっと多くの人がこの時代の訪れ、伝わらなかった事実を解明したり、歴史を改変したりしようとしてします」


「それでは、雫殿は偶然この時代に来たということか?」


 義昭さまの言葉に、あたしははっきりと頷いた。


「義昭さま、残念ながらその通りです。親と喧嘩別れして、雨の中を彷徨い、あるお堂で気を失ったあたしが次に目を覚ましたのは、小田城の中でした」


 今でも、本当なのか信じられないこともある。


 でも、受けいれるしかない毎日がこうして続いているから本当だって思うしかない。


「そこで小田殿が、お主の才と出自を知り取り立てた訳か」


「そうでは、ありません。先の申しました通り、あたしは本を読むのが好きなだけの女子。職人でも軍略家でもありません」


 三人が固まるけれど、これは全部事実。


 身を切る思いだけど、こうでもして信頼されなきゃ小田家を守れない。


 その思いが、あたしを何とか支えていた。


「それに、小田家の行く末を知っていただけに不安で不安で仕方なかったのです」


「行く末。つまりこの先、小田家がどうなるかか。どうなるのじゃ?」


「はい。小田家は大名としては滅亡します。小田領を失い、氏治さまは流浪の身となります」


 三人が、明らかに引いた。


 普通そうだよね、いくら歴史を知ってるからって言って今仕えている家が滅亡するなんて言わないもん。


 だけど、物品的証拠が制服しかないあたしには、こうして事前知識を披露するしか信頼してもらえるものがなかった。


「その土地は、誰のものに?」


「佐竹義重さま、あなたですよ」


「お、俺が?」


 義重さま、あなた驚いてますけど、この後佐竹の中でも一番有名かもしれない武将になるんですよ。


 鉱山開発もするし、外交の判断も優秀、さらには武勇に優れて鬼義重って言われるし。


 でも、今のあたしの目の前に言えるのはそんな未来なんて知らいない、普通の若者なんだけどね。


「はい、佐竹のこの後勢力を広げ常陸を統一します。さらに南を勢力下の治める大大名となります。どうでしょうか、荒唐無稽とは思いますが、これがあたしの出自にまつわる事です」


「いささか信じられぬことですが、作り話にしてはひどすぎますな。それが、逆に真実味を増しています」


「しかも、十兵衛が指摘した言葉の謎もこれならば納得がいく。確かに、わしも聞いたことのないがわかる言葉で不思議に思っていたのだ」


 佐竹親子は、どこか信じられないが疑問が埋まっていくような感じ。


 これなら、何とか首の皮一枚は繋がりそう。


「なぜです、雫さま」


「明智さま、まだ何か?」


「なぜその事を知っていながら、小田家などにこだわるのです!家を滅亡させる当主の元に居ても、あなた様の才は埋もれてしまいます!」


 明智さまのある意味この時代では当たり前の一言が、あたしの地雷だった。


 普段なら、受け流せたかもしれない。


 でも、極限状態に追い込まれたあたしには、我慢も限界だった。


「それでもです!」


 失礼なんて言葉は彼方に飛び去り、思いっきり激しい声を出していた。


「氏治さまは、歴史に名を遺すダメ当主です。これから10回近くも城を落とされる城主なんて、日の本を見渡しても聞いたことありません!」


 分かってる。


 氏治さまに外交の才も軍略の才もないのは、小田家にあたしが来てから十二分に分かっていた。


 このままじゃ、小田家は滅亡するも当然だったなって思っちゃったことだってある。


「でも、氏治さまの側にいて、あの人はただのダメ当主じゃないって分かりました。優しすぎるくらい優しいこの時代には全く向かないけど、立派な当主なんです!」


 それでも、時代が時代なら氏治さまは立派な当主になれるってあたしは思ってた。


 民のことを考え、守り、慈しみ、その為に何とかしようって頑張る優しい人。


 もし平和な時代なら、名君になってた可能性だってある。


 そう、あたしは信じてた。


「あたしは、小田家の歴史を変えたい。そのために、身を捧げる覚悟です」


「雫殿……その、理由は?歴史を変えることで、ご自分の才を証明したいということでしょうか?」


「違いますよ、明智さま」


 思ってもないことを言われると、こんなにもムカつくんだ。


 体が震えて、声も震えてるけど抑えられない。


「違う?」


「あたしの側で笑ってくれている氏治さまが流浪の身になって、最後寂しく小田から離れた地で死んでいく。そんな未来、見たくないだけなんです!その未来を、変えたいだけなんです!あたしのことなんて、歴史書のどこにも残らなくて構いません!」


 信じられないという明智さまの顔を睨みつけた後、あたしは大きく息をついて頭を下げた。


「この出自が漏れて、もし小田家を去ることになっても小田家を恨むことも、佐竹さま、明智さまを恨むこともありません。ですから、小田家との同盟をどうかご一考お願いいたします」


 これが、あたしの最後の一手。


 考えられる手は、すべて打った。


 もう、頭の中は、空っぽ。


 これで、佐竹の信頼を少しでも得られなかったら、それまでだ。


 生き恥をさらすと分かっても、氏治さまに報告するしかない。


「……雫殿、面を上げよ」


 短い沈黙の後聞こえてきたのは、義昭さまのどこか優しさのある声だった。


「お主、いささか真っすぐが過ぎる。これでは、この乱世を生き残る事は出来ぬぞ」


 それは、どこか呆れたような、それでいて嬉しそうな顔に見えた。


「十兵衛が熱くなり、少し無礼な物言いになってしまったことわしから謝ろう。しかし、それにひるまず女子ながら正面から向かい合う気骨、十分に伝わったぞ」


「義昭さま……」


「雫殿、熱くなり申し無礼を働いたこと、申し訳ございませぬ。想いはこの十兵衛にも、十分伝わりました」


 明智さまがあたしに丁寧に頭を下げたところで、ようやくあたしは何が起こったか分かった。


「では、同盟の件は……?」


 信じられないように効くと、義昭さまが大きくうなづいた。


「前向きに、考えよう。佐竹本国に持ち帰り、皆と協議を重ねた上で、佐竹としての条件を次回の会談で提示しようと思う」


「あ、ありがとうございます!」


 無傷ってわけにはいかなかったけど、何とか佐竹との同盟の線が残った事が今のあたしには嬉しかった。


 佐竹側の勧誘をはねのけて、さらに同盟の道を残したんだから十分な勝ち戦。


「しかし、これは佐竹と小田の同盟ではないぞ?」


 義昭さまは、喜びでガッツポーズしそうなあたしにくぎを刺すように言い放った。


「それは、どういう?」


「お主だ、雫澄。小田家にこれだけの才があり、忠義を果たすものがいれば佐竹と小田は上手くやっていけると思うたからな」


 それは、意外な一言だった。


 だけれど、それはそれだけあたしが佐竹に信頼された証拠でもあった。


 こうして、一回目の佐竹と小田の会談は幕を閉じたのだった。


 * * *


「雫殿、一つ聞いておきたい」


 会談の後、義昭さまにこっそり庵の裏に招かれたあたしは重い口調で切り出された。


「わしは、あと何年生きられる?」


 ドキリとした。


 義昭さまは、自分がもう長くないってことを本当に知っていたんだ。


「義昭さま、それは――言わねばならぬことですか?」


「500年先から来て義重のことも知っておるなら、わしがどのような体か知っておろう」


「はい、一説にはでございますが体が弱いと」


 義昭さまはあたしの知る史実でもその約3年前の永禄5年には、義重さまに家督を譲っている。


 あまりにも若くの隠居で、自分の死を察知していたのかもしれないといわれている。


「その通りじゃ。なれば、限られたうちにやる事をやって義重に後を継がせたいのだよ」


 500年後から来た歴史好きのあたしは、義昭さまの没年は当然知っていた。


 でも、それは言うのは辛かった。


 これは、恐らく何をしても、どうしても避けられない変えられない運命みたいなものだから。


 だけどあたしに向けられているのは、現佐竹当主としてと、子を心配する父としてのお願いだった。


 悩んだけど、あたしは知っていることを口にした。


「……あと、6年です。永禄8年、それがあたしの知る義昭さまの没年です」


 今から6年後の永禄8年、義昭さまは常陸の統一を目の前に急死した。


 その時、義昭さま35歳。


 戦国武将としても、若すぎる死だった。


「6年か。十分よ、十分すぎる時間よ」


 あたしからの残り時間を聞いて、ふっと空を義昭さまは仰いだ。


 あたしは頭を下げ、次の言葉を待った。


「雫殿」


「はい」


「小田家もだが、義重を頼むぞ」


「失礼ですが、義重さまは鬼義重と言われ武勇に優れ、激動の時代の中で名将になられる方。ご安心ください」


 史実の義重さまを知ってるから心配無用とは思うけれど、やっぱり実の父。


 息子のことは、いくら言われても心配なんだろうな。


 あたしは、そんなことなかったから、少し羨ましい。


「そうか。だが、この国に知勇兼備と名を馳せる義重の姿は、この目で見られぬか。それだけは、心残りであるな」


 空を向いた義昭さま顔は分からないけど、とても優しい声がした。


 それは、寂しさの中にも覚悟を決めたかのような声だった。

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