澄、氏治への忠義を語る

「そ、それは、この名族佐竹家からの誘いであってもか?」


 すこし動揺した義重さまに、あたしは迷うことなく頷いた。


「この雫澄、誰に100万石積まれようとも、どんな官位を貰おうとも小田家から離れることはありません」


 庵には、重い静寂が訪れた。


 あたしの返答は義昭さま、明智さま二人とも予想できなかったはずだ。


 何せ名族佐竹家当主から直接の誘いで、知行は今の5倍という破格の待遇。


 断るにしろ、一度は悩み、何か含みを残すと思っていたはず。


 だけど、あたしの答えは即答も即答。


 しかも、内容に全く付け入る余地が無いはずだったんだから。


「なぜじゃ? お主の口からも、十兵衛から伝え聞いた話でも言っておったではないか」


「殿が……氏治さまが、頼りないと言うことですか」


 義昭さまは、直ぐに頷いた。


「優れた当主に仕え、立身出世する。それが、この世の習わしであろう」


「そうです、雫様。一つの家に忠を果たすのも大切ですが、何よりご自分の才を活かす当主のもとに行くのが大切かと思います」


 明智さまの言うことは、もっとも。


 裏切りや寝返りはご法度だけど一つの家だけに忠義を果たすなんて、この時代では珍しい事。


 俸禄が釣り合わない、この当主の下では自分の才が生かしきれない、どうもそりが合わないなど。


 そんな時にちゃんと手続きを経て、主君を変える人だってたくさんいた。


 自分の才を生かしてくれて、俸禄をしっかり与えてくれる当主へと渡り歩くのは立身出世をしていくのは大事な考え方だ。


『七度主君を変えねば、武士とはいえぬ』


 この時代の築城の名手、藤堂高虎もこんな言葉を残すくらいだ。


 だけど、残念ながらあたしはこの時代の人間じゃない。


 それに、あたしの才を一番生かせるのは氏治さまだけなんだから。


 ――勝負です、明智十兵衛光秀!


 大ピンチなのに、相手は歴史に名を遺す名将なのに。


 なのに、頭は氷のように冷静で、なぜかこんな言葉すら頭に浮かんでしまうほど。


 ――勝負事で一番面白いのは、相手が勝つって確信した一手をひっくり返す瞬間なんだから。


「なるほど、皆さまは氏治さまではあたしの才を活かしきれないとお思いなのですね」


 あたしの問いに、三人はハッキリと頷いた。


 世間の氏治さまの評価を考えれば、当然かもしれない。


 弓馬の道も衰えたと言われ、自分の失敗で周囲の家の振り回され風前の灯火ともいえる弱小名族当主。


 義昭さまや明智さまの思っている雫澄って天才には、不釣り合いかもしれない。

 だけど、そんなことはない。


「逆です」


「ぎゃ、逆ですと?」


 今日、初めてあたしの前で動揺を見せた明智さまにはっきりと頷く。


「主人が氏治さまだからこそ、あたしは思う存分才を振るえるんです」


「なん……ですと? あの、小田殿だからと?」


「もしみなさんの領地に高家の出と自称する女子がいきなり現れたとして、それを家臣として拾い上げますか?」


 あたしの質問に答える人は、庵の中で誰も居なかった。


 誰もが、そんな事をしないってわかってるからだ。


「そもそも、詳しく話も聞かないでしょう。間者と疑うか、所詮女子と思って体よく寺に預けるのが落ちです」


 そう、その可能性だってあたしにはあった。


 しかもあたしはこの時代にはあり得ない服を着て、鹿に乗せられていたっていうんだから。


 そんな得体の知れないもの、無視してたっていい。


 怖いからって言って、寺社にでも預けてしまってもいい。


「だけど、氏治さまはそんな事をしなかった。あたしの身を案じ、話しを聞き、やりたいことはやらせてくれました」


 もちろん、実際は500年先から来たって言うことは言ってある。


 それだって、怪しんで牢に一生入れられても、おかしくはなかった。


 更に言えば、あれだけ氏治さまの暗い未来をべらべらと喋ったんだから。


「女子だからと握りたいと握った剣を取り上げることも、軍学をもっと学びたいという気持ちも取り上げることも無かった」


 それは、あたしの人生で初めての経験だった。


 今まではやりたいことを否定され、目の前で取り上げられて棄てられてきた17年間だったから。


「内政にだって、いいと思うことは口出しを許してくれた。道具だって、氏治さまが作ろうって言ってくれたから作れた」


 あたしには、才なんて無い。


 そんな無能な女子高生がたまたま才を発揮できたのは、氏治さまっていう頼りないし情けない時もあるけどあたしにはぴったりの当主の下だったからだ。


「一度や二度ではなく、身分なんて関係ないとばかりに牙をむいて進言をし、氏治さまが打ちひしがれることもありました」


 あたしの時代から見た氏治さまを知っているから、この時代を少し俯瞰して知っているからたくさん酷いことも言ってきた。


『何、言ってるんですか?バカ当主』


 こんな事、普通言ったら首を刎ねられておしまい。


 なのに、氏治さまは受け止めて打ちひしがれて、そして、進言を受け入れてくれた。


「小田家中であたしのことを、やっかむ者もいるでしょう。ですが、足を引っ張ることなくそれぞれがやるべきことを精進し、それぞれが功であたしと争っています」


 当然、訳の分からな新参者のあたしが小田家中で力を持つことでやっかむ人がいるのは事実。


 だけど、氏治さまの耳に何か入れるような人も、あたしの仕事ややる事を妨害する人は誰一人いなかった。


 誰とも話すように気を付けているからだけれど、嫌がらせは一度もなかった。


 あれだけ、前の時代では嫌がらせが絶えなかったあたしにだ。


 逆に最近では、教えを請われ恩返しとばかりに功を上げようって頑張る人たちが増えている。


 小田家は、そんな不思議だけど、あたしの才を生かす理想の環境だ。


「あなた方に、あたしという狂犬を飼いならすことができますか?才を、発揮させることができますか?」


 あたしは自分のことを、狂犬って思ったことはない。


 でもこの時代であたしのやっていることは、きっと狂犬。


 だから、佐竹家への挑戦状と小田家へを忠誠を示すにはぴったりの言葉だった。


「あたしを飼いならせるのは、この日の本で小田氏治さまという狂人、言ってしまえばうつけ者だけですよ」


 どこか軽い言葉を放って頬を緩めるあたしとは裏腹に、目の前の三人には重い空気に包まれていた。


 ――勝った、かな。


 あたしの放った一手は、確実に相手の急所を突いたようだった。


 恐らくだけど、あたしの才を生かすのは佐竹でも可能と言えば可能。


 だけど、家々や個々の争いは小田家とは全く違うもの。


 そこで、才が生かせるとは到底思えなかった。


 何より、小田家滅亡の運命を変えるっていう思いがある。


 俸禄や官位なんかで、その思いが動くはずなんてなかった。


「――小田殿は、果報者よの。なぁ、明智殿」


「本当に御座りますな。しかし、雫殿の想いと言葉、今の我らに動かす手立てはありません」


 長い沈黙の後で義昭さまと明智さまが苦笑いを浮かべ、大きく息を吐いた。


「そ、それでは」


「小田家に忠義を果たし、才を発揮せよ。わしらから言えるのは、それだけじゃ」


「有り難き、幸せに存じます!」


「すごいな、雫殿は。女子でありながら、父上と明智さま二人相手に堂々と渡り合うんだからな」


 義重さまも、感心した様子だ。


 勝った。


 何とか、この状況を乗り切ったことがまずは嬉しい。


「して、雫殿。こちらの話は済んだが、小田からも、何かあるのだろう」


 義昭さまに、小さく頷く。


 誘いに勝ったあたしへの、譲歩ってとこかな。


 でも、これでようやく交渉のきっかけをつかめるんだ。

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