澄、佐竹家へ仕官するよう誘われる

「雫殿は、小田家配下の雫氏の出では無いと聞いておる」


「はい。訳あって、都から流れて参りました」


 義昭さまには、本当の事を告げる訳にはいかない。


 それに、小田家中でもあたしはとある高家出身ってことになってるし問題はない。


「噂では女子でありながら文武共に優れ、知略慧眼の将と言われてるとも」


「それは、買い被りでございます。ただ、女子の身でありながら文武に興味があったのは事実でございます」


 一体、どこまで過大評価されてるんだあたし。


 小田家中なら、冗談で言ってるんでしょ?って流せるけど、他家にまで伝わってるなんて。


 これって、噂がどんどん大きくなって大変なことになってるんじゃ?


「以前は領内は、不安の中にあったとも聞く。しかし、今はそうでもないようだな」


「はい、私が見聞きした限りでは小田領内では、小田家に対する不平不満はあまりありませんでした」


 明智さまは依然と義昭さまの言葉に付け足すけど、一体どこまで調べてるの。


 恐らく会談の進言をしてから、小田領の事を事細かに調べているに違いない。


 戦は事前の準備で、勝敗がほとんど決まる。


 それを、まざまざと見せつけられてる気がする。


 これが、戦国の世で智謀で立身出世した名将のやり方なのかもしれない。


「あるとすれば、我ら佐竹や他家からの侵攻か」


「義重さまの、申す通りでございます。小田家中でも、殿の戦へ不安と佐竹や他家との関係性の不安がほとんどです」


「お主、少しは相手を欺くと言うことを覚えた方がよいぞ」


 義昭さまが少し困ったように、私に笑っていた。


 あれ?あたしなんかまずいこと言っちゃった?


 言葉や出す情報には、かなり気を付けていたんだけど。


「普通、他家に自ら仕える家の不安を話す者などおらぬよ。そんなことするのは、馬鹿正直すぎる律義者か、二心を持っている陪臣のどちらかよ」


「これは、失礼を」


 あたしは頭を下げながら、肝が冷える思いだった。


 いつもの癖で氏治さまに皆が不安に思ってるって言っちゃったけど、これって確かに機密情報だよ。


 これって下手すれば、内部工作すれば小田家は崩れますよ?って言ってるみたいなもんだもん。


「義昭さまは、雫様には搦手より正門から本丸に切り込むのが一番だと思いました」


「明智さま?」


 何か、やってくる。


 いきなり話を変えてきた、明智さまに警戒を強めた。


 明智さまには、今わかってるだけで三枚あたしを攻撃する手札がある。


 一枚目は、あたしが氏治さまの側近であると言うこと。


 二枚目は、小田領の事をあたし以上に把握しているということ。


 三枚目は、今あたしが渡してしまった小田家中が氏治さまの当主としての力に不安を持っていること。


 分かってるだけでも、何か仕掛けるには十分な手札だった。


「雫様、小田を捨て、佐竹に来ませんか?」


 そして告げられたのは、佐竹への寝返りだった。


「あなたの才能は、軍略だけではなく、農民に新しい道具を作る提案をでき、食事についても知識がおありだと聞いております」


 それは、どれも事実だった。


 フライパンはそこそこ広まって、具材を焼いたり簡単な煮物などに使われている。


 千歯扱きは、麦の試作段階だけどかなり評判はいいみたい。


 試用を頼んだ村では、今までの数倍作業が楽になったという話が来ている。


 その評判を聞いたほかの村からも、早く導入して欲しいってお願いが来るほど。


 だから、否定なんてできなかった。


「しかし、今のままでは小田家という小さな家で終わってしまいます。それを、勿体ないと思わないのですか?」


「それは、あたしに佐竹の家臣になり、より多くの人々に対して才を振るえと?」


 あたしの言葉に、明智さまはハッキリと頷いた。


「佐竹の石高は小田家の倍とは申しませんが、それに近いくらいの差があります。雫殿の才があれば、もっと多くの人を幸せにできる。そして、豊かな国を作ることができるのではないでしょうか」


「佐竹の家の事をどれほど存しているかは分からぬが、小田家とは違い各家家や寺社とのつながりも強く、才能のある者も多い。そこから学べば、お主の才を更に高められるぞ」


 義昭さまの言葉は、明らかにあたしの興味を引こうとしている者に他ならない。


 あたしが今でも才能がある人物であること、そして研鑽を摘むことで立身出世ができると見ている。


「十兵衛が集めた情報からも、先ほどの受け答えからもお主が聡明なるものであることは明らか。いくら誤魔化そうとも、わしの目は誤魔化せんぞ」


 義昭さまの眼光が、一気に鋭くなる。


 それは長年続いた佐竹家中の反乱をまとめ、様々な豪族を見極めてきた武将の目だ。


「小田家への御恩はありましょうが、どうでしょうか」


「知行も、今いくらもらっているか知らぬが小田の5倍は出すと約束しよう。どうじゃ?」


 5倍。


 あたしが100石扶ちだったらどうするつもりなんだろう?って思うけど、そこまであたしを引っこ抜きたいたいってことなんだろう。


 恐らく明智さまの調べと、そこから佐竹家に伝わっている情報はあたしの想像できる範囲を超えている。


 雫澄という将が本人の意識はどうであれ、今の小田家の要の一つとなっていること。


 重臣中の重臣、小田四天王たちからの信頼が高いこと。


 足軽たちからの評価も高く、あたしが居ることで小田家が再興できると思っている人たちが多い事。


 そんなあたしが、佐竹に寝返ればどうなるかってことも全部調べているはず。


 この誘いは、氏治さまが来ていたと思っても行われていたことは間違いない。


 もしその際あたしが動揺した素振りを見せれば、氏治さまの不安を煽り小田家を切り崩すきっかけにできるはずだから。


 ――でも、残念ですね。


 あたしは、心の中ではっきりと口にした。


 残念だけど明智さまには、知らないあたしと氏治さまの絆がある。


 誰も居ない知らない時代にいきなり飛ばされたあたしを、拾って支えてくれた。


 こうして、佐竹の会談を任せる程に信頼してくれた絆。


 そしてあたしが、小田家に命懸けで恩返ししたいという気持ち


 ただの流れてきた存在だったら無いもしれないこの絆は、明智さまは絶対知らないんだから。


 だからあたしの答えは、最初から決まっていた。


「お断りします」


 迷わず出たのは、この会談で一番はっきりとした声。


 途端に庵の中の空気が、一瞬にして変わる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る