澄、佐竹側代表者と対面す
緊張の面持ちで庵寺に近づくと、どうやら佐竹家の人たちはもう着ているようだった。
その証拠に、庵寺の周りには数本の旗がはためきそこに描かれてるのは扇に月。
ゲームや本では何度も何度も見ていた、佐竹家の家紋。
――いよいよだね。
覚悟を決めてそっと目を閉じてふっと息を吐いた。
ここまで来たら、もう逃げられない。
佐竹家の内容がどんなものか知らないけど、あたしは小田家の使者として小田家の命運を分けるかもしれない会談に臨まなきゃいけない。
魔法みたいな特別な力も何もないただの歴史好きな女子高生には、ちょっとどころじゃなくて相当重い。
でも、一人で行くって決めたのはあたしだ。
「大丈夫です、雫殿は強い人です」
緊張が来栖さんにも伝わったのか、ゆっくりと落ち着かせるような言葉が聞こえてきた。
――みんなの思ってるみたいに、強くないですよ。ただの、女子高生なんですから。
みんなの思っている雫澄と、あたしが知っている本当は何もない雫澄。
そのギャップに、苦しくもなる。
言い訳したくもなるけど、今さら言い訳できる状況でもない。
「はい、行ってきます」
この返事は、あたし自身に「逃げるわけにはいかないよ」って言い聞かせる精一杯の強がりだった。
* * *
庵の中は、しんと静まり返っていた。
案内してくれる尼僧さんの後ろを歩くトコトコという自分の足音、そして、自分の心臓の音だけが聞こえてくる。
先日の小田城合戦の時は、おかしくなるくらい緊張した。
先日の戦前も自分の判断で小田家の命運を変えるとは思っていたけれど、氏治さまやみんなが側にいてくれた。
でも、今回は一人。
誰も支えてくれる人がいない中で、小田家の命運をかけた会談に臨まなきゃいけない。
昨日からご飯は喉を通らないし、ここに向かう途中もお手洗いに行くと言って何度も吐いてしまっていた。
その度に、氏治さまについてきてもらてったらって気持ちがなかったわけじゃない。
――でも、やるって決めたのはあたしなんだ。こんなのに、負けてたまるか。
でも、もし一緒にいて氏治さまの身に何かあった時の方が辛い。
それに、一人で行きますって言ったのはあたし自身。
そんなあたしのことを信じて、みんなくれて送り出してくれた。
だから、逃げたり変えるなんて選択肢を選べるはずもなかった。
「ここでお待ちです」
案内してくれた尼僧の方が、立ち止まりあたしに告げる。
この襖の先に、佐竹家の誰かがいる。
おそらく、当主の佐竹義昭かそれに準ずる武将たち。
誰にしたって、あたしがゲームで何度もお世話になった歴史上の人たちがいる可能性が高い。
この目で見れるんだ!なんて感動はゼロで、代わりにそんな名を残す人たちと名もなきあたしが本当に話せるのかって不安もある。
「氏治さま……助けて」
忍ばせてある氏治さまから拝領した懐刀を、俯きながらぎゅっと握りしめた。
普段は頼りないけど、この時代、いやあたしが生きてきた中で一番支えてになってくれたあの人の力が今は必要だった。
思わず不安で、目が潤む。
――でも、涙を見せたらそこに付け込まれる!
一つ息を吐いて、気持ちを入れ替えたあたしはゆっくりと膝まづいた。
「雫澄様、お見えになりました」
「通されよ」
声を聴き、あたしは深く頭を下げた。
思ったより、優しい男性の声。
一体、誰かは分からない。
でも、これから相対する相手だって言うのだけはバカなあたしにも十分に分かっていた。
すっと引き戸の開ききった音がしたのを確認して、あたしはゆっくりと口を開く。
「この度は、会談の機会をいただきありがとうございます。小田家家臣、雫澄に御座います」
声が、意外と震えないで出た。
緊張で頭がおかしくなってるのか、それとも覚悟が決まったのかは分からない。
でも、もう始まってしまったってことだけは分かる。
「不躾につき失礼があるかと思いますが、お許し願えればと思います」
「面を上げよ」
「はい」
声に促されて、ゆっくりと顔を上げるとそこにはきっちりとした身なりをした男性が三人。
――三対一か。
全く、神様っていうのはどれだけあたしを逆境に追い込むのが好きなんだろう。
一対一とかニ対一ならともかく、三対一はやりすぎ。
高校生だから受けたことはないけど、就職試験の圧迫面接見たいって思っちゃった。
「ほぉ、本当に女子であったか。うむ、入れ」
「失礼いたします」
縁側から室内に入り腰を下ろすと、すっと戸が閉じられる。
もう、逃げられない状況に追い込まれた。
「常陸佐竹当主、佐竹右京大夫義昭である。わざわざ小田から呼び立てすまなかったな」
佐竹義昭。
佐竹17代当主で、分家や豪族でギスギスしていた佐竹家と領内をまとめ上げ常陸統一まであと一歩まで近づいた将。
あたしにとっては佐竹義重のお父さんっていうイメージが強いけど、この人だって立派。
義光流源氏の家柄にこだわり上杉から頼まれた関東管領の職と、上杉の名を拒否したんだから結構すごいと思う。
もしかしたらがあれば、上杉義昭になってたかもしれ人なんだよね。
「いえ、佐竹様からのお招きとあれば苦ではありませんでした」
そんな人の前で、緊張しない方がおかしい。
何とか平静を装うのが精一杯で、体が震え口の中が一気に乾いていく。
この数年後に子供の義重に譲るとはいえ、威厳たっぷりなんだから。
「して、此度は二人連れて参った。まずは、義重じゃ」
「佐竹次郎義重です。お初にお目にかかります」
「し、雫澄です」
右隣の青年が深く頭を下げ、あたしは裏返った声と共に頭を下げた。
このすっきりとした人が、あの鬼義重って言われることになる佐竹義重!?
かなり有名な武将だけど、肖像画が一枚もない事でも有名。
そうじゃないか?っていう絵はあるにはあるんだけど、鎧しか描かれてないからどんな人かイメージすらなかったんだよね。
とりあえず、イケメンってことは分かる。
イケメンに耐性がないうえに、ゲームでめっちゃお世話になった人が目の前にいるのはさすがにビビる。
ステータス、統率も、武勇も、政治も高くてほんと優秀だったんだよね。
「もう一人は家臣の――」
「明智十兵衛光秀です。よろしくお願いいたします」
「え!?あ、明智‥‥‥!?」
頭を下げた男性に、あたしは返事も返せず言葉を失った。
明智十兵衛光秀。
美濃の麒麟、織田信長の下で才を発揮し数々の武勲を重ねた名称。
残虐であり、慈悲をもち、様々な才能を持ち、この時代有数の文化人。
そして、その織田信長を本能寺の変で討ち、山崎の合戦で敗れた日本史最高の謎を含んだ武将。
――嘘だ、そんなはずない。
確かに斎藤道三が没した後、明智光秀は流浪してたらしい。
でも、流浪した地域は畿内を中心とした場所だったはず。
こんな関東まで足を伸ばしていたなんて、聞いたこと無い。
信じられないあたしの目に飛び込んできたのは。彼の腰から零れていた紋章。
それは、明らかに桔梗紋。
疑うことなく、明智家の家紋だった。
――なんで、明智光秀が佐竹家臣としてこの会談に?
あたしがこの時代に飛ばされたことで、歴史が変わる可能性は確かに考えてた。
だけど、小田家の中心としたごく小さな範囲でしか影響が出ないはずって考えていた。
それが、もしかしたらもう日本全国で何かが小さく狂い始めているのだとしたら。
もうあたしの知る日本と、食い違いが出たっておかしくない。
――今回の会談に明智光秀がいるってことは、今回の戦の相手は佐竹家だけじゃない。
佐竹家だけではなくて、日本史に残る知将である明智光秀とやり合わなきゃけないってことだ。
勝てるはずなんて、無い。
あたしはただの、自称歴史が好きなだけの女子高生。
そんなあたしが、常陸を統一することになる名族2人と歴史に名を遺す知将とやりあう。
プロとド初心者以上に、勝負になるはずなんて無かった。
「――どうしましたか? この前のように、話していただければ大丈夫ですよ」
緊張と今の状況で頭がおかしくなりそうなあたしを更に追い詰めるように、明智さまが笑顔を向けてくる。
「こ、この前?」
「はい。お声を聞いて確信しました。澄さまは私と先日、小田領の田の横でお話しした方だと」
「っ!」
明智光秀って人物の前情報があるからかもしれないけど、笑顔と柔らかな何気ない言葉すらあたしを追い詰めるための下準備にすら思えてしまう。
明智さまがあたしとのこの前の何気ない会話のどこかで、小田家を追い詰める何かをつかんでいるとしたら
だとしたら、あたしなんかじゃ到底太刀打ちできない。
「やはりか。十兵衛が佐竹で奉公させて欲しいと申してきた際に、小田領を非常に興味深く話しておったのじゃ」
もう、思考回路がまともに働かないあたしをさらに追い詰めたのは義昭さまの一言。
「つ、つまり此度の会談は、明智さまの進言あってのことと?」
「そういうことです。あの時聞けなかった話も、こういう立場なら聞けると思いましたしね」
「先日の小田城攻めもであるが、十兵衛の話も興味深い物でなおさら小田殿と顔をあわせてみたかったのだ」
三人に深く頭を下げて感服の意を表す振りをして、必死に考える。
明智さまは佐竹と小田両家が、現在の関係をなんとかしたいと知っていたってことだ。
そして、おそらく義昭さまは氏治さまの悪い噂しか知らない。
弓馬の道が衰えた当主が率いる小さな名族が、なぜ先日小田城をすぐに奪還できたのか不思議だったはず。
その答えのようなものが、明智さまからもたらされた小田領内と雫澄という人物の存在の情報だったんだろう。
いくら秘匿をしようとしても、あたしは小田城下を頻繁に歩いて商人たちとも交流している。
さらに、足軽の皆にもあたしの名を出さないでくださいなんていうことはしていなかった。
軽率といえば軽率だけれど、こんな展開読めっこない。
「そこまで強張るな。佐竹家としても、小田家との関係は考えねばならぬ時であっただけだ」
「義重の申す通り。なにも、お主を殺そうとして呼んだわけではない」
「申し訳、ございません。あまりの驚きに、我を失っておりました」
何とか控えていた義重さまの発言で会談をの目的を思い出して、あたしは震えながら言い訳を口にした。
これは、生きて帰ることすら困難かもしない。
そんな不安が、胸の中でどんどんと渦巻いていた。
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