澄、氏治より会談の使者を拝命する
「氏治さまは、確かに戦や外交の才能はないかもしれないです。あたしが来た時も無謀な戦で小田城を奪われてましたし、今回だって行き当たりばったり外交が招いた存亡の危機です」
「す、すまぬ」
「剣は修業しないからあたしに今も勝てないし、せっかくの本を今でも枕にしてるのも知ってます」
「じ、事実であるな。じゃからこそ、わしなど小田家をまとめられぬ」
「でも、氏治さまは民を、領地を、家臣たちを本当に大切に思っている優しい人だってのも知ってます」
あたしが小田家にきて、まだ数か月。
だけど、あたしは氏治さまの優しさを何度も見てきた。
領民の様子を頻繁に見に行き、時には一緒に汗を流す。
領地に異常がないか、家臣の方に聞いているのを何度も見た。
そして、あたし。
いきなり素性わからないあたしを迎え入れて、そばで笑ってくれた。
その優しさに、何度救われてきたかわからなかった。
そんな、氏治さまが大好きだった。
この人が平和に納める領地を、隣で見ていたかった。
側にいて氏治さまは後世に名の残る勇将でも、猛将でも知将でもない。
名将と評価されないのは、十分わかってる。
「なのに、何であんなこと言うんですか!ご自分が、小田家を、小田領を収める器じゃないなんて言わないでください!!」
確かに、氏治さまに滅亡の未来、その後の評価を突きつけたのはあたしだ。
戦国武将として、当主としての心を負ったのはあたしだったかもしれない。
「わしに、澄を超える才能など――」
「あります!」
あたしはきっぱりと言い切った。
「すべての民を慈しみ、守りたいという心を持つこと、自分の心のままに動くこと!笑顔で人を支えること!あたしにはできないことです!それは、氏治さまの領主としての才能です!」
氏治さまは、わがままだ。
全ての民にいつでも笑ってほしいなんて、無理だ、無謀だ、我がままだ。
辛い時笑えなんて、誰かを笑って励ませなんて難しい。
そんな感情に対して、突き進んでいけるのは才能だ。
いろんなことに迷い戸惑い立ち止まるあたしにはない、氏治さまの生まれ持った才能なんだ。
その才能は、あたしの持っている小手先の才能よりよっぽど民を救うはずだ。
「あたしは一人の将として、そんな氏治さまが大好きです!ずっとそばで支えたいって思うくらい、大好きです!」
人生初めての誰かに対する「大好き」は、全く迷いなく口から出た。
「優しい氏治さまの運命が変わっても、あたしが簡単には死なせません!絶対、絶対!小田城の畳の上で、あたしやみんなに囲まれての天寿を全うさせます!」
「澄……っ!」
「だから、ご自分を否定しないでください。そんなことされたら、あたしのこんなにも大好きって気持ちまで、否定されたみたいじゃないですか……」
そこまで言ったところで、あたしはずるずるとその場に座りこんだ。
本気で、あたしは氏治さまと向き合った。
ぶつかってもいいから、あたしの本音を伝えたから力が抜けてしまったのかもしれない。
500年前は避けていた、人とぶつかるということ。
それは思い返してみれば、自分と相手の本音から逃げる事だった。
でも、この時代に来て大好きな存在ができたから、あたしは初めて逃げない事を選べたのかもしれない。
「澄、すまんかった。そこまで、思い詰めておったのだな」
座り込んで俯いていたいたあたしの頭に、ふわりと暖かいものが触れゆっくりと撫でられた。
温かい、大好きな氏治さまの手だった。
「氏治さま戦や外交の才はありませんけど、一人じゃないです……史実でも氏治さまと小田家を支えた優秀な家臣団がいます」
嗚咽を漏らしながらも、あたしは何とか氏治さまに言葉を伝える。
「たくさん、頼ってください。出来ない事は、家臣のみんなに頼ってください。史実のように、自分勝手に暴走しないでください」
「うむ」
優しくなでる氏治さまに、甘えるように縋りついた。
こんなことするつもりはないのに、身体は迷うことなく氏治さまの袖をつかんでいた。
「いくら甘えたって、頼ったりしていいです。だから、氏治さま、ご自分が死んでもいいみたいなこと、言わないでくださいよ……」
「また、泣かせてしまったな」
優しい言葉と共に、さらさらとセミロングの髪が大好きな氏治さまの手で梳かされる。
酷いこともしたのに、たくさんたくさん、酷い事も言ってきてきたのに。
迷惑だって、たくさんかけたかもしれないのに。
役に立たない、穀つぶしかもしれないのに。
それでも、あたしのことを側においてくれた氏治さま。
そんな氏治さまが、史実とは違って早く死んじゃったら?
そんなの、想像したくもなかった。
「わしもここまで言われては、わしも覚悟を決めねばならぬな」
優しくなでられていた髪が、クシャッと少しだけ乱暴に撫でられる。
「澄」
「はい」
ゆっくりと顔を上げると、そこにはあたしを支えてくれたあの人懐っこい笑顔があった。
「頼りない当主であるが、これからもわしを支えてくれ」
「はい、必ずや」
この言葉に、嘘偽りはない。
だって、あたしは死なないから。
神様が言う言葉を信ずるなら、不老不死のあたしは矢が刺さっても体を切られても死なないはず。
だから、氏治さまが天寿を全うするまで仕えることはできる。
「わしも本当の、小田家当主として生きる。才や運命などというものに逃げ込まず、皆と共に小田家を守るために当主としてこの運命に生きる」
それは、どこか吹っ切れたような物言いだった。
今までの負け戦、今の絶望的な状況、そしてあたしから示されたこれから迎える出来事。
たくさんの嫌な現実を目の前にして、才能や運命っていう大きな見えないものに逃げ込みたい。
どこかで氏治さまも、そう思っていたんだ。
だけど、同時にそれじゃあだめだっていうことも同時にわかっていたんだ。
「氏治さま」
「しかし、わしは知っての通り勇も智もない。皆に支えられてようやく、当主たりえる男じゃ」
「はい」
「そしてその隣には、将であり友である澄に居てもら分ければ困るからな」
友。
それは、あたしに向けられた生まれて初めての言葉だった。
ずっと、ずっと、今の関係を氏治さまと続けられる。
それが嬉しくて、引っ込んだはずの涙がまたあふれてきた。
「は、はい!」
「だからこそ、此度の会談で何かあっても死ぬことは許さぬぞ」
いつもとは違う、真っ直ぐな言葉があたしに向けられた。
それは、戦国武将の男のしての言葉だった。
「当主として、命ずる。何が何でも、生きて戻ってこい。ここで死ぬは、無駄死にと心得よ」
――生きて戻ってこい。
それは、状況を考えれば重すぎる命令かもしれない。
だけど家臣として、初めての当主からの命令として。
そして大事な友達からのお願いとして、この言葉を裏切ることなんてできるなんてしたくなかった。
「……必ずや!」
――何が何でも、生きて帰ってくる!
その気持ちを込めて、凛とした真っすぐな声であたしは氏治さまに深く頭を下げた。
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