小田家に書状、届く
「トンビはいいなぁ」
「何を言う、彼奴らとて日々のエサは自分で取らねばならぬのだぞ?」
抜け殻のようになって縁側で空を眺めるあたしに、氏治さまのツッコミが入る。
――誰のせいで、こんなになってるって思ってるんですか?
いつもだったら出る、そのツッコミをする元気すらない。
「澄、今日の食事は合わなかったのか?」
「いえ、なんか食べる気力がなくて」
実は、今日のあたしは珍しくぶっかけ飯しか食べてない。
麦ごはんになんかよく覚えていないまま、お味噌汁をドバっとかけてさらさら流し込んでおしまい。
いつもだったら、一品一品丁寧に食べるあたしを見ている氏治さまをびっくりさせたのなら仕方ない。
それくらい、今のあたしには余裕がなくなっていた。
「先日、見事に結城に拒否されたからか」
氏治さまも、どこか気落ちしている声だった。
先日結城家に停戦と不可侵の要請、そして北条から鞍替えするという書状を送ってみた。
でも、その返答は見事な拒否。
「小田家に二心の疑いあり。信用ならず」
こんな返事をもらっては、あたしも政貞さまをはじめとする小田家家中もどうしようもなかった。
結城へは差し出す人質や物品はないし、交渉の材料もない。
残念だけど、結城家との現状を変えるというのは無理になってしまった。
古河公方様に頼む最終手段が残っているとはいえ、やっぱりショックなものはショック。
「お役に立てず、申し訳ないです」
「いや、わしが積み重ねたことによる報いよ。それを澄だけではなく、家臣たちに背負わせてしまったな」
当時の年齢を考えると、十分君主としてやっていかなきゃいけない年齢。
氏治さまも、自分がしてきたことだからと思うと堪えるものがあるんだろうな。
だけど、20そこそこの若者に領民や家中の将たち全員とその一族の命運を背負う。
こんなことなんて、あたしから見れば無理って思っちゃう。
それに現状を聞いたときはすっごく怒ったけど、氏治さまだって乱心したわけじゃなくて必死にやった結果。
毎日怒ったところで、現状は変わらないんだから。
「あたしみたいな凡才じゃなく、もっと天才な方が氏治さまの下に来てくれれば……」
唇をかみながら、最近ふとした時に思っていたことがつい口からこぼれた。
たまに読んでいた転移、転生物の主人公みたいに現実はいかなかった。
現に、小田家の状況をあたしは変えられてない。
――どうして、あたしだったんだろう。
日々、悩みに飲まれていくとそんな思いが頭に浮かんできた。
小田家に来たのがあたしみたいな『歴史が好き』なだけの凡才の女の子じゃなくて、政治や農業や工業技術、軍略に天才的で詳しい人だったら。
もっと、歴史の専門家だとしたら。
明智光秀や竹中半兵衛のような、戦国時代に生きた知将が転生してきたのだったら。
あたしがこんなにも救いたい小田家を、滅亡から簡単に救っていったんじゃないかって。
「澄」
「はい」
氏治さまの声が、あたしを現実に引き戻す。
顔を上げると、そこにはいつもの氏治さまの顔があった。
「何とかなろう」
クシャっと、あたしの頭が撫でられる。
まるで凹んでいるうじうじした妹に、明るい兄がやるようなそんな手つきで。
「澄が言うには、わしはそう簡単に死なぬのだろう?城を何度落とされても、生き残るのだろう?」
「そ、それは、そうです。あたしの知る氏治さまは。城を9度落とされても死にませんでした」
あたしの知っている、氏治さまの未来はこれから何度も小田城を落とされる。
だけど、死ぬこともなく戦国乱世を生き残った。
だからこそついたあだ名が、不死鳥なんだ。
「わしが死ななければ、小田家は滅びぬ。大丈夫じゃ」
ああ、もうこの人は。
向けられた笑顔に、あたしの力が抜けてしまう。
氏治さまはそう言ってるけど、大丈夫なはずなんて無い。
何度も何度も負け戦を続ける未来、そして本領を失い大名家としての小田家は氏治さまが当主の時に滅亡する。
そんな暗い未来が待っているって、あたしから突き付けられている。
いくら氏治さまだって、大丈夫なんて言えるはずなんて無いのに。
「それより民が心配じゃ」
頭を撫でるのをやめる氏治さまから、真剣な声が聞こえた。
「他家が攻めてくる不安は、恐らく民たちも分かっておる。そんな不安な中では、生活もおぼつかないであろう」
氏治さまの心配は、当然のこと。
この時代はテレビも何もないのだから、噂が主な情報源。
市での噂もあるだろうし、境界の領地からの噂。
今の小田家の状況は、領民のみんなだって数々の噂から感じているはず。
「澄、散歩に行くか」
「散歩ですか?」
「この近くだけにはなるが、わしらが元気な姿を見せれば民たちも落ち着くであろう」
何でこんな時期に散歩なんか?って思ったけど、氏治さまの言うことは確かに効果がありそう。
氏治さまの堂々とした姿を見れば、こんな中でも小田家は大丈夫って領民も思ってくれるかもしれない。
氏治さまは戦の才能は無いんだけど、内政と人心掌握は才能あるんだよね。
ちょっと人たらしみたいなところもあるけど、智謀を働かせて弱みを握るとか恐怖で支配するよりよっぽどいいかな。
あたしが転移したのが氏治さまの下じゃなくて、松永久秀や宇喜田直家だったら毎日胃がキリキリ……いや、殺されてそうだもん。
実際はそこまでの人でもないようなことも言われてるけど、イメージはすっごく怖い人たち。
――なんとか頑張ろう、ダメなあたしを認めてくれるのは氏治さまだけなんだもん。
先日、泣いても捨てないって言ってくれた氏治さまの言葉。
それが、不安定なあたしを何とか支えていた。
「さて、では――」
「殿!雫さま!書状でございます!」
ゆっくりと立ち上がろうとしたところで、どたんばたんという足音と共に沼尻又五郎さまが飛び込んできた。
沼尻さまは、のちの世で小田六騎に数えられる小田家の重臣。
その沼尻さまが、明らかに慌てた様子だった。
「書状とな?」
「沼尻様、あの、どちらからの書状なのですか」
普通の書状なら、こんなに慌てることもない。
ということは、出先は相当の相手のはず。
「さささ、佐竹からの書状でございます!」
「さ、佐竹から!? 沼尻さま、ありがとうございます」
差し出された書類を混乱しながら、あたしは受け取った。
佐竹からの書状、一体、何が書かれてるんだろう?
「氏治さま、お願いします」
あたしはこの時代の字が読めないので、氏治さまに手渡す。
「では、私はこれにて」
「ありがとうございます」
沼尻さまが部屋から出た後、氏治さまは書状の中身を確認する。
「よ、読むぞ……」
氏治さまは明らかにガタガタと震えて、明らかに動揺中。
あたしはとは言えば、字が読めないのでお行儀よく正座し固唾をのんで氏治さまの言葉を待っている。
「え、なに、折り入って小田殿と話がしたい。石岡の庵寺に家臣雫澄殿と共に来られたし。佐竹右京大夫義昭」
内容をあたしに伝え終わった後、氏治さまとあたしはお互いの顔を見合せた。
佐竹に小田家からは、勢力の鞍替えの書状は出していない。
何とか関係修復したくても、険悪な状況だから書状を出しても握りつぶされて当然って思ってたから。
それなのに、佐竹側から話がしたいだなんてこれてすっごいチャンスじゃない!?
「氏治さま!」
「澄!」
氏治さまも涙目で、あたしを見てる。
ああ、嬉しいんだろうなーそんなに涙目になるなんて。
もしかしたら、この大ピンチな状況を逆転できるかもしれないんだから!
「わし、死ぬんじゃああああああああああああっ!もう、おしまいじゃああああああああああ!」
だけど、あたしの前で氏治さまはお手本のように『泣き崩れた』のだった。
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