氏治、やっぱり調子に乗り澄に叱られる
「澄、大丈夫か?」
「は、はひ。こ、こんなに大変だったんですね」
田植えが始まってたぶん30分も経っていないのに、あたしはもうボロボロだった。
あたしと氏治さまが田植えをしているのは、ちっちゃな猫の額くらいの田んぼ。
いきなりたくさんの量を担当したらどうしようと不安だったけど、そこは氏治さまと村の優秀な乙名である藤右衛門さん。
ちゃんと『澄の練習用田んぼ』を確保してくれた。
もちろん、所有者である村の人には了承済み。
迷惑じゃないかなって思ったんだけど、小田家当主と小田家に仕える女武将に田植えをしてもらえるということですごく喜んだとか。
見た感じ小さいし、これならと思ったのがまず第一の躓き。
まず、脚が土から抜けない。
苗を植えて後ろに下がろうとしても、そのまま後ろにひっくり返る。
だからせっかく落ち着いた土が、ぐっちゃめちゃ。
何とかできたとしても、苗を植える姿勢はめちゃくちゃしんどい。
この時代に来て多少鍛えてるとはいえ、運動が苦手な帰宅部のあたしの身体は、あっさりと悲鳴を上げた。
氏治も頑張って教えてくれて頭では分かってるつもりなんだけど、どうもうまくいかない。
たぶんようやく最初の列の半分が終わったくらいなのに、もう体がバキバキになって座り込んでいた。
「ここまで出来ぬとは、澄にもできぬことがあったのじゃの」
「あ、あの、あたし初めてなんですけど?」
勝ち誇ったように、畦に座り込むあたしを見つめる氏治さま。
イラっとしたから、いつもみたいにいろいろ言い返したいけどその元気すらない。
「足腰を鍛えねばな。これくらいでへばっていては、民と田植えなど無理じゃぞ」
「そ、そりゃそうですけど……」
まさか、前の時代の日々の運動不足がこんなことに影響するなんて。
ちらりと近くの田を見ると、あたしと同じ服の早乙女達が音楽に合わせてリズムよく田植えをしている姿があった。
もちろん田植え機に比べると当然遅いんだけど、あたしから見るとひょいひょい飢えているからすっごく早く見える。
中には、あたしより小さな子だっている。
「日本一の早乙女になるには、まだまだかかりそうじゃな!」
「約束、ですからね?」
「もちろんじゃ!あの時、約束したからな!」
もちろん氏治さまの指導があったとしても、日本一の早乙女になるのは無理だと思う。
でも、来年はもうちょっと役に立てるようにはなりたいな。
例えば、何とか自力で一列は疲れないように植えられるようになるとか。
「さて、ここを終わらせねばな!澄、よく見ておれ、わしの田植えの技を!」
「は、はい」
言うが早いが、氏治さまは苗篭をつけて田に入っていった。
苗篭から苗を3、4本取って、親指と人差し指、そして中指でつまむように持って土の中にリズムよく植えていく。
――さ、さすが田植大名
思わず封印すべき言葉を浮かべちゃうくらい、手慣れた様子。
なんか田植え歌すら口ずさみ、本当に楽しそう。
――小田城を取り戻して、良かったな。
氏治さまの田植え姿を見ながら、あたしはそんな事を思う。
見たかった光景が、目の前にあるんだから仕方ないけどね。
あたしから見ればたくさんの犠牲が出た小田城奪回戦だけど、過去の小田家の戦いから見ればそこまで多くないらしい。
城の奪還という目的から見れば、大成功。
小田家の家臣団からも、そんなことをたくさん言われたけど嬉しくなかった。
失礼だから嬉しがらなきゃとか嬉しいって思わないとってしても、すごく辛かった。
でも、氏治さまが楽しそうに田植えをしている姿を見ている今は、小田城奪還ができたことがすごく嬉しい。
来年も再来年も、この光景を見るために頑張らなきゃ。
その為にやることはきっと山積みだろうけど、その度にこの光景を見れば頑張れるかもしれない。
「どうじゃ!」
「す、すごいです」
そして体力差もあったのか、あたしのロスもあったのに刻限きっかりに田植えを終えてしまったのだ。
田植えのベテラン小田氏治ここにありって感じ。
すっごく誇らしげでいるのを「あなたの本職は武家の当主ですよ?」突っ込みたいけど、今日ばかりは抑える。
きっとこれも氏治さまで、武家の当主としての氏治さまと表裏一体なんだからね。
「おお!終わりましたか」
「藤右衛門さん、ああえっと、なんとか」
様子を見に来た藤右衛門さんにあたしは、苦笑いで応える。
あたしなんて全体の1割も植えてないから、何とかなんて言えるはずもなく全然植えてないと同じくらい。
なのに、こんな言葉が出ちゃったのはちょっとした見栄。
今のあたしの姿だけ見れば泥だらけでへたり込んでるから、うん、たぶん、そこそこは植えたように見えるはず。
さすがに役立たずでした!なんていうのは、この早乙女姿じゃちょっと恥ずかしい。
「初めてで、だいぶお疲れであったでしょう。結構きれいに植わっているではないですか」
「ええ、まぁ……」
藤右衛門さんの言葉に、あたしは目を逸らしてあいまいに答える。
疲れてるのは確かだけど、ほとんど氏治さまが植えちゃったんだよね、これ。
なんていうか、手作りです!って彼氏にチョコに渡すけど、実は上手い友達に作ってもらったんです!って気持ちってこんなのかもしれないって言うくらい気まずい。
全く植えてないのにへたり込んでるなんて、小田城を奪回した小田家の家臣として恥ずかしいもん。
でも、バレてないんならここはあたしの今後のために難とか誤魔化さなきゃ。
「何を言っておるのじゃ、たかが数本でへばりおてって」
「う、氏治様!?」
だけど、そんなあたしの想いは後ろから聞こえた何も知らないあの男の声で数秒で瓦解した。
ビクンと震えて後ろを見ると、すっごく満足そうに田植えを終えた表情の氏治さま。
回避不可能、言い訳不能。
「藤右衛門、澄は本当にだらしなくてのぉ、数本植えただけでこの体たらくよ」
かちん!
澄ちゃんの怒りメーター25%上昇。
あの、それって言わなければお疲れ様でしたで終わったましたよね?
なんでわざわざ、本当のこと言うんですか?
「わしが初めての時を知っておろう? 子供のわしでも一列は植えたのになぁ」
かちん!かちん!
50%に上昇。
いや、そりゃそうですけど?
でも、あたしと氏治さまは同じ人間じゃないんですけど!
「藤右衛門にも、見せてやりたかったぞ? あのいつもは凛々しい澄がな、田んぼにこうひっくり返る姿がなぁ、もうなぁ。ふはは!」
かっちーん!
初心者のあたしの一生懸命を、笑いものにしましたね?この男は。
一気に怒りメータ、120%突破。
あたしなにこやかな顔をあえてキープしつつ、藤右衛門さんに向き直った。
一つ会釈をすると、藤右衛門さんが明らかにひきつった顔で氏治さまに何やら合図を送っている。
ああ、無駄ですよ?藤右衛門さん。
この人、こういうことは本当に鈍いんです。
だから、絶対伝わりませんので。
「氏治様?」
「澄、なん……ひっ!」
あたしを見た途端、氏治さまはまるで物の怪か暗殺のために送り込まれた間者を目の前にしたような顔になった。
「氏治様?どうしたんですかぁ?そんな顔しちゃって」
失礼しちゃうなぁ、氏治さま。
あたしのこと、忘れたんですか?まさか、忘れませんよね。
あなたの家臣、雫澄ですよ?
「す、澄、いや、わし、何か悪い事した?」
へぇ、無自覚。
この当主さまは、部下を誰かの前で笑いものにすることを平気ですると。
これは、いけないことだって教えないとダメだね。
「氏治さま、そこに座ってください」
「澄?いや、何で怒って――」
明らかにまずいって分かってる顔なのに、明らかに誤魔化そうとする態度。
ああ、怒りメーターがさらに上がっちゃうなぁ?氏治さまぁ。
「座ってください。お話があります」
「あ、いや、なんかこれ、覚えがあるんじゃが、わし、何か――」
「ああ、覚えてましたか、さすが名族小田家の血を引く氏治様。犬畜生の頭ではないみたいですね。だったら、分かりますよね」
シュン!
今回も効果音が尽きそうなほど、見事な勢いで氏治様はあたしの目の目にひざまずいた。
「うん、よろしいです。では――」
そして、期せずして身分を無視した公開説教、第二回目が開始されたのだった。
* * *
そして、時は今に戻る。
あたしがへそを曲げている理由は、こんなくだらないこと。
ただ、あたしだって悪いのは分かってる。
田植えくらいあたしにだって、教われば簡単にできるなんて甘く考えてたんだから。
「お役に立てなかったの、やっぱり辛かったんです。少しは出来ると思ってたから」
「ほんと、澄は真面目じゃの」
少し困ったけれど、仕方ないなっていう感じだ氏治さまが笑って見えた。
「笑いものにしたのは悪かったが、あそこは『面目ない』とでも笑ってすませばよかったのじゃぞ」
冷静になれば、氏治さまの言う通り。
初めて田植えをするあたしだし、氏治さまが付いていたとしても全然植えられないかもしれないってこともみんな分かっていたはず。
ちょっと余裕があれば、そんな風に次回は頑張りますよーなんて言えたのかもしれない。
――ちょっと、気張りすぎなのかな。
小田城奪回を済ませて、これからまた頑張るぞって思ってた。
でも、少し気を張りすぎて余裕がなのかもしれない。
余裕がなければ運動でケガするし、勉強だって頭に入ってこないし、この時代に生かせるアイディアだって浮かんでこない。
「ごめんなさい、ちょっと意地張りすぎてましたね」
「こちらこそすまぬ。澄のことを考えれば『やってみたものの、なかなか苦心しておってな』くらいですませばよかったのだ」
あたしと氏治さまは、お互いに頭を下げた。
うん、これでこの件はおしまいにしよう。
あんまり引きずってても、仕方ないしね。
「わしはわしで、楽しみにしていた、田植えが楽しくて舞い上がってしもうた」
「あはっ、そうだったんですか?」
照れくさそうに頭をかいた氏治さまにあたしは思わず笑顔を浮かべてしまった。
「と、当然じゃ!民が楽しみなように、わしにとっても楽しみ!しかも、今年は特別じゃったのだからな!」
「特別?」
「そうじゃ。澄をはじめ、家臣たちが小田城を取り戻してくれたからこその田植え。楽しみにしないはずがあるまいよ」
ビシッと嬉しそうに指をさしてきた氏治さまを見て、あたしはまた満たされていく。
その顔を見れただけでも、頑張ってよかった。
言葉にすれば短いけれど、あたしの心を満たすには十分だった。
目の前では、何人もの人たちが小田城の修繕のために走り回っている。
あたしも少し休んだら、もう一度小田家のために何かできないか考えよう!
小田家の状況は何も改善してないと言えば、していない。
本来の拠点である小田城を奪還したんだから、小田家としては原状復帰しただけ。
他家も落ちついたら小田城を攻めるってこともあるだろうから、国力の増強だけじゃなくて他家の外交なんでことも考えないといけないかもしれない。
でも今はちょっとだけ、氏治さまと一緒にこの初夏の風に吹かれていたい。
これからはきっと、こんな風にのんびりする時間がすごく貴重になるはずなんだからね。
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