氏治、参上す

「具合は!?」


 一気に血の気が引くけど、詳細が分からないと判断がつかない。


 軽い負傷であれば、彦九郎さんにあたしからの言を伝えて立て直す事もできる。


 ただ、もし重症の場合は、兵の動揺はそれだけでは抑えられない。


 下手すれば、平塚隊を丸ごと下げなきゃいけない。


 動揺した兵たちを、命を危険にさらすことはできなかった。


「不明であります! 矢が当たって倒れ『引いてはならぬ!ここで引けば、小田城は取り戻せぬ!』と申して、一度下がったきりで」


「平塚さま……」


 子細は分からないけど、平塚さまの気持ちが伝わってきた。


 確かにここで平塚隊が引いてしまえば、菅谷隊が孤立。


 抵抗の激しい城方の兵たちに、押し切られることだって考えられる。


 それに手を緩めれば、陽動の飯塚隊に危険が迫る可能性もある。


 小田城を取り戻すためには、引くという判断はできなかった。


――どうしたらいい?どうすれば……。


 ほころびは出るかもしれないから油断せずにと思ってたけど、これは想定外の想定外。


 城の兵は少なくて混乱しながらも、必死の抵抗をしているというがまず想定外だ。


 城を枕にって考えは少ないはずだから、ある程度動揺を誘えば城を放棄するっていうあたしの考えが甘かったってことだ。


 だけれど、城の深くまで切り込んでいるとすれば撤退も容易じゃない。


 それに、撤退していく隊を無傷で返すなんてのは考えられない。


 このまま判断が遅れて戦いが長引けば夜が明け、今はまだ報が入ってないけど相手の援軍が来ることだってある。


 そうすれば、今の城攻め方は壊滅必須。


「せめてこちらが救援を出せれば。でも、本陣の数では少なくて救援に向かっても戦力になるかどうか……」


 必死に頭を回すけど、いい手が浮かばない。


 この戦場で判断を下せるのはあたししかいない現実は、誰よりも分かっている。


 だからここで判断を間違えば、小田家を滅ぼすのはあたしだ。


 歴史を悪い意味で変えてしまうのは、あたしになる。


 それに今のあたしを助けてくれる人なんて、いない。


 神様だって、あたしを助けることをしないって言っていた。


 小田城内いる政貞さまや飯塚さまが助けてくれるはずもないし、土浦にいる天羽さまに助言を求める事なんてできない。


「土浦にいる氏治さまさえ、動いてくれれば……。でも、夜だから狼煙なんてあげられない」


 昼間なら狼煙を上げて救援要請を、土浦城に伝えられるかもしれない。


 だけど、今は夜だから狼煙で連絡するのは不可能だ。


「早馬でも、間に合わない。万事休す……?」


「し、雫殿―!!」


「えっ!?ど、どうしたんですか!? 土浦側で、何か動きが!?」


 思考の途中で突然聞こえてきた声の方を振り向く。


 するとそこには、土浦側の見張りをしていた兵が息も絶え絶えで座り込んでいた。


 ――ま、まさか挟み撃ち?


 まず頭に去来したのは、最悪のパターン。


 もし相手方の援軍で挟撃となれば、この兵数では全滅は必須。


 あたしの采配でどにかできるものじゃない。


「は、旗印が見えました!旗印です!」


「え、旗印……何ですか!?」


 伝令の兵も混乱しているみたいで、何があったのかがなかなかわからない。


 半泣きになりながらも、せめて何とかしようと思ってあたしも頑張って聞き返す。


州浜すはまです!州浜の旗印です!」


「州浜!? まさか……」


 よく聞くと、伝令の兵の言葉は驚きと同時に喜びに満ちている。


 そして、伝えてくれた旗印。


 その旗印を、あたしはよく知っていた。


 でも、そんなことあり得ない。


 だって、その旗印が動くことなんてないはずだから。


「澄ぃ―!どうじゃ、戦は!」


 だけど、それは現実。


 あたしを混乱から救い上げる、聞きなれた声が本陣に響いた。


「氏治さま!?」


「澄、この顔、わし以外に誰がおる?」


「大将が……この戦に足りなかった最後の一人が、遅すぎなんですよ」


 口から出たのは、強がりとも言えるそんな一言だった。


 でも、それはずっと待っていたからから出た恨み節。


 この戦で、一番側にいてほしかった人。


 最弱の名門戦国武将”不死鳥”小田氏治さまだった。


「……遅くなったな」


「ギリギリですよ!全く!」


「彦九郎!城はどうなっておる!」


「あと一歩ではありますが敵兵の抵抗が激しく平塚さまが負傷し、平塚隊が混乱中。しかし、菅谷、平塚隊、共に城奥まで踏み込んでおり撤退が出来ません!」


「わかった。ならばわしが行けばあと、一歩じゃな!」


 あたしの隣で初めて聞くような、氏治さまの凛々しい声が響く。


「そうです、氏治さま。みんなが作り上げた、最高の舞台ですよ!」


 平塚隊は城の奥まで切り込んでいるということ、そして兵の抵抗が激しいってことはもう少しで落城ってこと。


 あと一押しで、小田城はあたしたち小田家に帰ってくるのは間違いない。


「ならば、行くまでじゃ! 自分の城を自ら取り戻さずして、当主は名乗れんからな!」


 戦国最弱武将なんて到底言えない、名門小田家の当主がそこには居た。


「澄、行って参る。これが終わったら、田植えだぞ?楽しみじゃな!」


「約束、ですよ? 絶対、絶対ですよ?」


「おう!任せておけい!わしは死なぬぞ!わしを、誰だと思っておるのじゃ!」


「はい!“戦国の不死鳥”小田氏治さまです!」


 あたしに背を向けて手を軽くあげながら、氏治さまは闇へと消えていった。


「この戦、勝ちましたね」


 あたしは確信していた。


 氏治さまが来てくれたのなら、この戦はきっとうまくいく。


 この人は、戦国最弱の武将じゃない。


 自分の力に悩んで、ちょっと優しすぎて、田植と領民が好きで、不死鳥のように何度でも立ち上がる諦めの悪い少し変わった戦国武将なだけなんだから。


「氏治さま!小田家の歴史は、ここから変わりますよ!」


 あたしは、氏治さまを後押しするように采配を振った。


 そして、空が白みはじめたころ小田城から鬨の声が上がった。


 こうして小田城奪回戦は、あたしたち小田軍の勝利に終わったのだった。

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