小田城奪回戦②澄、追い詰められる

 大きなざわめきが聞こえて、小田城奪回戦が始まったことがあたしにも伝わってきた。


 采配を持つ手は、汗でびっしょり。


 呼吸も落ち着かないし、あとは諸将の働きを待つだけだ。


 だが、待つしかできないというのは不安でもある。


「お願い……」


 策に、大きな不安があるわけじゃない。


 政貞さまや飯塚さま、平塚さまを信じていない訳じゃない。


 それでも、戦場いくさばに立つのが初めてのあたしはどうしていいか分からなかった。


 陣幕の中で震えながら、祈ることしかできなかった。


「雫殿、大丈夫ですか?」


「彦九郎さん大丈夫です」


 声をかけてくれたのは、平塚さまの馬廻衆うままわりしゅうを務めている来栖彦九郎くるすひこくろうさん。


 本陣の周りにはあたしの護衛と、本陣からの伝令などなどののためにそこそこの数の兵たちが配置されていた。


 彦九郎さんもその一人で、今回の立場はあたしの護衛隊隊長みたいな感じ。


 馬廻衆といえば、その隊でもエリートの人たちが選ばれるから彦九郎さんも武芸に秀でている人。


 なんだけど、すごく若い。


 歳もたぶん、あたしと同い年かちょっと上ぐらいだ。


 でも最短の11くらいで元服して云々ってことを考えも、5年くらいで馬廻ってことは超エリート。


 あたしの時代で言えば、超偏差値の高い名門高校に通う秀才様って感じ。


 普通の高校で底辺と彷徨っていたあたしから見れば、キラキラ眩しすぎて話しかけることもできないような遠い人。


「大丈夫です。攻め手は小田の勇将3名、雫殿の策もありますし何事もなければすぐに落ちましょう」


「だとよいのですが、万策尽くしたとしても何かあるのが戦場。そう思っております」



「兵の士気もいつになく高く、城の子細しさいもこちらには分かっております。なので、堂々と構えていてください」


「……堂々とですか。そうですね、兵が不安になりますものね」


 そうは言えど、身体の状況は最悪で立っているのもやっと。


 数日ご飯は喉を通らないし、入ってもみんなに隠れて吐いてしまってた。


 本陣の中でそれはまずいから何とか耐えているのが現状だ。


「力水と思って、お飲みください。どうぞ」


「すいません、貴重な物を」


 戦場で水っていうのは貴重だって分かっているけど、差し出された水を軽く飲むと少しだけ落ち着いた。


 頭がはっきりしたって訳じゃないけど、気分が切り替わる感覚がした。


「どうでしょうね、戦況は」


「分かりませんが、報が入ってこないということは順調なのでしょう」


 彦九郎さんの冷静な言葉が、少しうれしい。


 この策では、よほどのことがない限り伝令が来ないことになっている。


『あまり来ても、澄殿を不安にさせるだけですからな』


 平塚さまがそう言っていたけど、すごくこれは助かる。


 あんまりたくさん来たとしても、余裕のないあたしがたくさんの情報を入れても処理ができなくなる。


 それに、情報が錯綜した時に間違った判断をしてしまうことだって考えられる。


 あたしにできるのは、みんなを信じる事だけだった。


「澄殿は、戦場は初めてでしたか」


「そうですね」


 パチパチとかがり火の音が響く本陣の中、遠くから聞こえる戦の音をどこかあたしは現実と思えなかった。


 もう戦国時代に飛ばされてしまったことは受け入れていたけれど、戦場に立つなんてことはまだ受け入れることができなかった。


 目の前の現実なのに、どこか映画を見ているような感覚すらあたしにはある。


「初めての時、彦九郎さんはどうでした?」


「必死で槍を振った事しか覚えていません。もう恐ろしくて」


 恥しそうに言うけれど、彦九郎さんの怖さは相当だったはず。


 陣幕の中でガタガタ震えてるあたしとは違って、頭の上から槍や矢が降ってきたり手槍が目の前から飛んでくるんだもん。


 それに打ち勝って馬廻になってるんだから、あたしの弱さが身に染みる。


「雫殿」


「なんでしょうか?」


「私は、雫殿はすごいと思います」


「へ!?」


 な、何をいきないり言うの彦九郎さん?


 いきなりのことに、采配を思わず落としそうになったよ!?


 別にあたし、すごい事なんてしてないよ。


 小田城を奪回したわけじゃないし、小田家であたしが何かしたわけじゃないし。


「小田城を取り戻したいというのは、殿だけではありません。我々も他の兵たちもそうでした」


 彦九郎さんから聞こえてきたのは、そんな言葉。


 そりゃそうだ。


 小田城防衛には小田家の家臣が大勢いただろうし、彦九郎さんもいたかもしれない。


 目の前で仲間が倒れて、そして城が奪われたのに取り返したくないって思わないはずはない。


「ですが、思うだけでした。策を練ることもなく、思いを伝えることもなく、ただただ土浦城で下知を待つだけの日々でした」


「それは仕方ない事では? 皆さんが上の方に上告するのは、命を懸けるとことにもなります」


 馬廻衆の彦九郎さんだとしても、平塚さまや他将にお城の奪回の想いを伝えるのは難しいはず。


 立場の差もあるし、何かあったら処分だって下るはずだし。


「いえ、本当に取り戻したいのなら下から少しずつ、言葉を伝えていけばよかったはずです。あのままでは命惜しさに、この機を逃していたかもしれない」


 あたしの言葉を、彦九郎さんはあっさりと否定した。


 それは、少しの悔しさと自身のふがいなさを公開しているように聞こえてしまう。


「ですが、雫殿は違いました。客将という身分でありながら、小田城奪回を提案し殿を、我々を動かしたのです」


「あ……」


「雫殿が来られなければ、我々の不満は積もり、いつしか小田家への絶望と諦めへと変わっていたかもしれません」


 彦九郎さんの言葉は、はっきりと頭の中に伝わってきた。


 兵たちの不安や不満がたまっていったら、何が起こっていたか分からないのを彦九郎さんは感じていたんだ。


 それは、下手をすれば小田家の内部崩壊だったかもしれない。


「そして、初陣でありながらこうして采配を握ることを決めたのは雫殿の強さです。私が任されてたら、逃げ出してしまうでしょうね」


 そうだ、あたしだって逃げることはできたはず。


 誰かに采配を任せて、土浦城で待つことだってできた。


 恩はあるけど、もっと安全な家に逃がしてもらうことだってできた。


 でも、あたしは小田家に身を置き、恩返しのためにと本陣で采配を握る事を選んだ。


 それは、誰でもないあたし自身がが選んだことだった。


「そうですね。この戦は、あたしが決めたことです。新しき小田家の始まりを継げるためと」


 学校で時には床に転がって、みんなに怯えてて。


 家に帰れば、親から怒鳴られるてばっかりで言い返せなくて。


 前の時代では、自信なんてこれっぽちもなかった。


 そんなあたしでも、心のどこかにあった強さ。


 目の前のことに『負けるもんか』って思う強さ。


 それが、きっと今のあたしを支えてくれている。


 それを気付かせてくれた彦九郎さんに、あたしは自然にお礼を口にしていた。


「ならば、待ちましょう。小田城の奪回の報を信じて」


 そうだ、あたしが震えてても何も変わらない。


 逆にこのまま震えてたら、本陣のみんなを心配させてしまう。


 あたしができるのは、みんなを信じて待つこと、そして何かがあった時に撤退の判断をすること。


 采配をきゅっと握りしめると、手汗でびっしょりで指先が冷たいのが分かる。


 それでも、いい。


 初陣で、しかも指揮官なんて立場で緊張しないのがそもそもおかしい。


 でも、みんなはあたしを信じてくれてる。


 だから、あたしもみんなを信じるだけだ。


 だけれど、あたしは知っていた。


 勝つっていうのは、簡単にはいかないこと。


 勝ちを逃すほころびは、勝ちを確信してしまった時に来るってことを。


「で、伝令―!」


「どうしました!?」


 そして、伝令が伝えたのは小田城陥落ではなかった。


 戦に勝つことというのは、本当に難しいってことを示す報だった。


「平塚殿負傷!思った以上に城方しろがたの抵抗が激しく、乱戦の中負傷いたしました!平塚隊に動揺が広がっております!」

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