小田城奪回戦-諸将の想い-

「ゆっくりな‥‥かいの音にも気をつけよ」


 澄が采配を振るったのとほぼ同時刻、先発の飯塚隊は多くの船で小田城間直に迫っていた。


 村々の協力もあり、これまでのところ水路で気づかれた様子もない。


 これには、飯塚も安堵していた。


 水路での戦闘となってしまえば、限られた物資が減るだけではなく小田城への奇襲が気づかれてしまうことにもなる。


 当然、その危険性も澄は考えてあり、何かあれば即時撤退、もしくは散開して体勢を立て直すという手はずになってはいた。


「しかし、殿は民に慕われおるな」


 水路の見張りが全くいないばかりか、途中で物資の援助すらあった。


 そして、ここ最近の城方の情報も伝わってきた。


『代々の小田の殿様、そして氏治さまにはお世話になっておりましたから』


 驚き、理由を問う飯塚達に、協力を申し出た人たちは当たり前のように口にしていた。


 民の心は小田から離れていない。


 それを肌で感じた飯塚隊の士気は、大きく炎のように燃え上がっていた。


 そのもう一つの原因は、澄の出陣前の演説に他ならない。


『俺たち足軽や雑兵の力が、小田家を救う』


 己が生きるために、名を残すため、それぞれの家のため。


 思いはさまざまであったが、今までの彼らの中には自分たちがいかに槍働きをしようと意味はないという考えが確かにあった。


 ただ命ぜられ戦に赴き、運が悪ければ死に、小田家がそれを保証するだけの未来しか見えなかったものも多かった。


 だが、自分たちが槍を振るい弓を放ち動かなければ、いや、動くからこそ小田家は良くなる。


 その新しい意識が、彼らの士気を高めていた。


「我々の攻撃が、この戦の合図となる。気を引き締めよ」


 士気の高さは、平塚も同じだった。


 確かに澄を見ていると、どこか自信がなくこの優れた策にも不安もあるように思える。


 その原因は、澄は戦が初めてだからだろう。


 軍を動かす才はあろうとも、高家の女であるから戦場に出ない事は当然。


 そして、自分たち小田軍の力をこの目で知らないからであると思う。


「澄殿の才は、我も認めるところ。我が期待に応えれば、小田家は必ず強くなる」


 目標があれば、それを実現するためにまっすぐに矢のように進む澄。


 しかし、今は自信の無さがその進もうとする力を弱めているように思えた。


 矢がまっすぐ進むためには、引き放つときの迷いや不安は邪魔になる。


「澄殿の策の正しさ、我々が証明しましょう」


 まだ言葉を交わしたことも少ないが、飯塚は澄の才を感じていた。


 今回の澄の策にこたえられねば、武士としての名が廃るとも。


 そして飯塚隊は小田城攻撃目印となる杭を見つけ、弓の射程にとらえた。


 これは、小田城を知っている飯塚隊だから出来る位置であった。


 小田城は塀が高く、乗り越えるのは不向き。


 いくら塀が崩れているとはいえ、相手側に攻撃となると弓が最適であった。


「……放てえええっ!」


 飯塚の声とともに、無数の火矢が小船から放たれる。


 狙うのは本館とは違う、反対側の倉庫や建物群。


 村からの情報では兵糧はさほどなく、城方が困っているらしいとのことだった。


 だからこそ、貴重な物資が入っている倉庫であれば必ず守りに出るという目論見からであった。


 火矢は次々に小田城の壁に刺さり、煌々と小田城を照らしている。


 ――これならば、目標としては十分!なるほど!


 火矢を集中的に狙ったこともあり、飯塚隊からは小田城の輪郭がはっきり確認できるほどだ。


 これならば、弓兵たちは大体その方向に矢を放てば敵をとらえることが分かる。


 作戦としては、十分だ。


「散れぃ!あとは、それぞれ弓を放て!ただ、太鼓の音を聞き逃すな!我々の動きが、本隊を助けることを忘れるな!」


 矢を放っている兵たちは、その声に従って散会する。


 飯塚隊の作戦は、大まかに二つ。


 火矢の時は全員が集中して放つこと、それ以外は隊の半分だけが散開しつつ矢を放つというもの。


 小舟にある矢は限られており、常に全力ではすぐに矢が切れてしまう。


 矢が切れては敵を引ける役割を果たせず、別動隊の動きを支援できない。


 これは長時間矢を放ち続けるために、飯塚が考案したものだった。


 今回の小田城奪回戦の大まかな策は澄が立てているが、細かい動きは現場の平塚に一任されていた。


『あたしは戦場いくさばには行けませんし、戦に慣れている飯塚さまが細かいところに判断するのがよいと思います』


 策に全て従え!ということもなく、分からないことは分かる人に任せる。


 飯塚から見れば、澄は理想的な策士である。


 ――任せてもらった以上、結果で応えねばな。


 平塚としても、任されたということは結果を出さねばならぬということ。


 それは澄の自信にもつながるが、小田四天王である飯塚美濃守の誇りでもあった。


「相手の混乱は見て取れるな。声が聞こえる割に、こちらにさほど矢は飛んできておらん」


 船の上からでも、城内からは何やら声が聞こえる。


 恐らく、攻撃に気が付き防備を固めようと動いているだろう。


 しかし、反撃にまでは至っていないというところか。


「上々だな。しかし、ここからが難しいところ」


 第一段階として、策の一手目としては策は完了である。


 あとは、城内の兵をできるだけこちらに引き付けるのが飯塚隊の役割。


 矢の消耗を抑えつつ、こちらの兵力を悟らせず、攻撃を続けなければいけない。


 当然、矢を尽くせば城内に切り込む準備もできている。


 しかし、槍を積んでおらず、あるのは打ち刀だけ。


 これではいささか不安であり、飯塚隊の城内突入はこの奇襲が長引いた時の最終手段。


「菅谷、平塚、頼むぞ」


 相手の矢を防ぐための母衣を張りながら、飯塚隊は攻撃を続けるのだった。


 * * *


「始まったようですな」


「ええ、城内から声が聞こえますな。さて、我々も役目を果たしましょう」


 菅谷、平塚両隊は城の正面に待機していた。


 恐らく主郭には、飯塚隊が矢を浴びせていることだろう。


「菅谷、一つ聞きたいことがあるのだが」


「なんでしょうか?」


「澄殿は一体どういう人物なのだ? 高家出身とは聞いておるが、立ち居振舞い、そして今回の軍略の才を見るとそうは思えぬが」


「……ただの女子おなごですよ。少しだけ変わっていて、我々の知らない事を知っていますけどね」


 菅谷ははぐらかすように、平塚の疑問に答えた。


 澄が自分たちの前に現れたのことを思い出すと、菅谷も今でも夢ではないかと思うことがある。


 敗走している自分たちの前に、鹿に背負われてやってきた見たこともない衣をまとった女の子。


 話を聞けば、約500年も後の時代から来たという。


 小田家滅亡の未来を伝え訊いた時は驚いたものの、その話はすごく合点がいくものであった。


 とはいえ、澄に何か特別な力があるわけではない。


 軍学を学んだこともなく、刀も槍も握ったこともない。


 元居た時代では毎日、菅谷たちが生きていたこの時や色々な時に起こった出来事を書物などで知るのが好きなだけ。


 友達もおらず、毎日、書物が友であったのだと言っていた。


 ――ただの、女子おなごなのだ。澄殿は。


 500年後の時代で生きていたからとはいえ、知識には自信がなく何か技術を伝えることもできない。


 だが、澄はそれを分かっていた。


『恩返しをしたいのは当然ですが、小田家は石高もそんなにないですし、何もできなければ穀つぶしと変わりません。絶対に、お荷物にはなりたくありませんから、褒美も何もいりません』


 ある時の勉強の休み時間、澄はそう寂しそうにつぶやいていた。


 小田家の行く末を知っていること、そして故郷のはずのこの国のどこにもいく当てがないこと。


 もし、自分が今のままの役立たずであれば、小田家滅亡を目の前で見なければならないこと。


 そんな不安に、必死に抗ってるのが菅谷には伝わってきた。


 だがその不安は、澄を突き動かす力になっていた。


 天羽の伝える兵法や軍学をめきめき吸収し、政貞の教える武術では柔らかな手がボロボロになるまで木刀を振る。


 剣の教えの間に休みを提案しても『休みはちゃんととってますから、大丈夫です!まだ……まだ!お願いします!』とフラフラになりながら立ち上がることも珍しくはなかった。


 そんな努力と元々あった知識が上手く合い、今回の策を立てるまでになった。


 ――我ながら、澄殿には無理をさせているな。


 歳は数えで18。


 元服を済ませた立派な大人だが、澄の時代ではまだまだ親の庇護のもとで過ごす子供だという。


 親の元で庇護され勉学にいそしみ、世に出るのは20を過ぎた後が多いと聞く。


 澄は政貞たちが思った以上に、子供であるのだ。


 子供であれば身寄りもなく何もわからない土地で過ごし、人に囲まれていることは戸惑いも多いはずだ。


 そんな中でも澄は笑顔を絶やさず礼儀作法も必死で覚え、この時代に適応しようと努めていた。


 城内を歩けるようになってからは誰と会っても無礼が無いように、毎日気を張り、小田家に役立つことが無いかと、日々質問をしているのを政貞は分かっていた。


 唯一、表情が和らぐのは氏治の隣にいる時だけだ。


 いつもの気を張った澄の立ち振る舞いが、なぜか氏治の前では薄まっていた。


 それに天羽から聞いた話では、氏治の話になると急に感情が出て子供のようになるらしい。


『あの姿こそが、本来の雫澄という女子なのでしょうな。このまま気を張りすぎては、いつか気持ちが切れてしまうことが天羽は心配です』


 それはひとえに氏治の人柄だと思うが、天羽のげんの通り政貞もやはり不安であった。


 もし澄が拾われたのが、この小田家のような家ではなかったら。


 例えば、佐竹や里見、北条や武田、上杉、本当に高家であったなら。


 もしくは京の御所という力のある家なら、澄は何の心配もせずに屋敷で安心して暮らせていたはずだ。


 そこでは、和歌に親しみ、蝶よ花よで姫子ひめことして先の時代を知る者として平和に暮らしていたかもしれない。


 だが、小田家はそんな力のある家ではない。


 澄の話すこの先のように、名門とはいえ戦乱に明け暮れた日々が続く小さな家。


 何かが変わらなければ、この小田城はこれから何度も落城の憂いに直面することになる。


 このままでは乱世という時代と不安に翻弄されて、何かで気持ちが切れた時、澄が壊れてしまうのは明らか。


 本来は、このような戦場いくさばに立つことすら向いていないただの女子なのは政貞も分かっているつもりだ。


 しかし、今の小田家には澄の才はどうしても必要だった。


 代々の主家である小田家滅亡の未来は、政貞としても避けたいものだったからだ。


「なるほどな」


 飯塚も、これ以上の深入りは出来ないと政貞の言葉から悟った。


 この男は、いろいろな物を抱え込む男だ。


 小田本家以上とも言える力を持ちながらも、小田家の一家臣として支える菅谷家当主。


 強大な力を持つということは、離反疑惑の目にもさらされるということだ。


 その疑惑に、政貞は力と知力で勝ち続けてきた。


 だが、それは清廉潔白な物ではない。


 時には、小田家を支える同士だけではなく同族を貶めねばならないこともあった。


 それでも抱え込んだ闇を見せず、どこか堂々と、時には飄々としているだけにこの男がはぐらかすときは何か深い事情がある。


 そこに深入りするのは、野暮という物だろうというのは十分に分かっていた。


 自分が変わりものであることは自覚している節が澄にはあるし、小田家に忠を尽くそうとしているのも分かっている。


 今は、それで充分であった。


「ええ。さて、これから小田城を取り戻しましょう。殿と澄殿に吉報を届けられるのは我々だけですからな」


「ですな、では、参りましょう! 平塚隊が、先陣を務めますぞ」


「頼みました」


 政貞の言葉に、平塚は頷くと己の兵たちに声をかける。


「平塚隊突撃!目標は……小田城奪回である!」

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